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ろう者の女優・忍足亜希子が語るデビュー25年の集大成「世の中はどれが、誰が優位ということではなく、どの世界も存在していていい」 

NEWSポストセブン / 2024年9月29日 16時13分

ろう者女優の忍足亜希子

 日本で最初の、ろう者主演女優としてデビューした忍足亜希子さん。着実にキャリアを積み上げ、25年が経った今、集大成ともいえる作品に臨んだ。親子の絆を描いた、しみじみと心揺らす物語だ。さまざまな困難に立ち向かいながらも、一途に自分の道を切り拓いてきた、その軌跡を追った。【前後編の前編。後編を読む】 

人は皆、全部違う。どの世界も存在していい 

 現在、全国で上映されている映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、公開前から大きな話題となっていた作品である。東北の小さな港町で、耳のきこえない両親のもとに生まれた、きこえる少年(吉沢亮)。実話である原作をもとに製作された今作には、決して平凡とはいえぬ境遇を背負って生きていかねばならない少年の、苦しさと葛藤とが描かれる。 

 そしてその息子に、懸命に愛を注ぎ、強く明るく成長を見守っていく母親は、どこにでもいる市井の母の姿であり、登場する人々の、悲喜入り混じる人生と共に、深い感動を与えられる。 

 その母親役を演じたのが、忍足亜希子さん。ろう者の女優である(夫役の今井彰人もろう者の俳優である)。忍足は25年前に女優として映画主演デビューし、コツコツとこの道を歩いてきた。 

「原作を書かれた作家の五十嵐大さんは、私とは逆の形の家庭で、私の両親はきこえる人たちですが、きこえる世界、きこえない世界を行き来しながら、孤独を感じたり葛藤してきたところは同じです。読んだときは痛いほど胸に刺さりました。脚本には『全部、お母さんのせいだよ! 障害者の家に生まれて、こんな苦労して!』といったセリフもあるのですが、私は私で、お母さんに『なぜ私を産んだの!』と叫びたかったときもある。ひとつひとつが、自分ごとでした」 

 取材は、手話通訳の方を介して行われた。こちらの質問を手話で忍足に伝え、その返事を彼女が手話で返してくれる。通訳は、テレビドラマ『デフ・ヴォイス』(NHK)の撮影でお世話になった方だといい、ふたりの間にしっかりと信頼関係があることが、みてとれた。 

 そして忍足の手の、強弱のあるきれいな動きや、その動きと共に取材者と通訳者に交互に向けられる目も、充分に感情を伝えてくれていた。聴者にとってはあたりまえな会話も、ろう者にとっては、生きることそのものなのだと、教えられる。 

 今作の監督を務めたのは、心理をきめ細やかに演出することで知られる、呉美保。息子を演じたのは、演技派といわれる吉沢亮である。苦悩しつつも次第に自分の居場所を見出し、成長していく青年の心情を繊細に演じ、これまでにない表情をいくつも見せていた。そして母とかわす手話はいかにも自然であった。 

「吉沢さんとは撮影前、2か月ほど手話の練習を含めた稽古をしたのですが、本当に真摯な方。端正なルックスで、カッコよくて。私はさも普通な感じで接していたのですが、実のところ、ちゃんと顔を見られないくらい緊張していました(笑い)」 

 この映画を通して、たくさんの人たちに、少しでも伝わるものがあれば、と願っている。 

「人は皆、全部違う。世の中はどれが、誰が優位ということではなく、どの世界も存在していていいのだということ、そして親子というものについて、あらためて考える、ひとつのきっかけとなってもらえたら、とてもうれしいです」 

自分だけにしかわからない孤独の中で 

 忍足亜希子は、1970年6月、父親の赴任先である、北海道千歳市で生まれている。両親の愛情を受けすくすくと育っていたが、2歳半を過ぎても発語がなかった。妙だ……と思った父親は、第2子を宿していた妻を気遣って、ひとり亜希子を連れて、札幌にある北海道大学付属病院へと向かった。寒い冬の朝であった。告げられた診断は、両感音性難聴。娘は……きこえない世界に住んでいた。 

 忍足がデビューしたとき、本人とその母に取材をする機会があった。母は娘の事態を知ったときのことを、「体が沈み込んでいくような感覚を覚えました。何かの間違いだ、と思い、それから1年ほどは夜が来るたびに泣きました」と、声を詰まらせながら話してくださった。 

 心を立て直せたのは夫の「亜希子には何でも経験させてやろう。どんな困難にぶつかっても、ひるまない子に育てよう」という言葉だったという。両親は頻繁に大自然の中に連れ出しては、思う存分に遊ばせた。そして4歳になったとき、一家は両親の出身地である横浜へ転勤のために転居。ろう学校の幼稚部へと通うことになり、忍足は初めて「自分はきこえない人間なのだ」と知る。その告白はせつないものだった。 

「もっと小さい頃ですが、親や弟が口をパクパクして話しているのを見て、私はパクパクするのができない。いったいどうやってするんだろうと不思議でした。でも、きこえないのだと知ったとき、自分は他の人とは違うのだと……泣きました」 

 ろう者であるという事実は、その後の人生に、ひんやりとした疎外感をもたらすこととなった。同じろう者の子どもらと活発に過ごす時間は楽しかったが、どうしても拭いきれない寂しさがあった。 

「自分だけにしかわからない孤独というのか……どうしたらよいのかわからない。不安でした」 

 小学部に入ると、別の小学校の児童から、すれ違いざまに「病気がうつる」とか、「ヘンな声」とからかわれたりもした。否応なしに社会の現実と直面する時が来ていた。 

「そのとき、一緒にいた先生が『あなたたちも耳をふさいでごらん。気持ちがわかるでしょう』と諭してくれたんです。その後、その子たちとは仲良くなった。小さい頃から、世の中にはハンディを持つ人たちがたくさんいる、といった教えをしてくれたらいいのに、と切に思うんです」 

 中学部は、再び父の転勤により、名古屋の学校へ。ここで校内でのいじめを受けることになる。それまで通学していた学校は手話ではなく、口話(なるべく声を出して喋らせる方法)での訓練をしていたが、転校先は手話が主体だった。それが原因となり、よそ者のように扱われたのだ。 

「いじめは3年間続いて、ストレスで頭痛や腹痛が起こり、登校拒否寸前でした。でも母は断固として『休んだらダメ!』と、毎朝、毎朝、追い出すように家を出された。一日休んだら、また一日休みたくなるからと。でも、家にいていいと言われたら、もっと落ち込んで死にたい、とか言い出したかもしれない」 

 ある日、堪えきれず怒りが沸点に達したとき、首謀の相手の胸ぐらを鷲掴みした。結果、いじめはなくなった。 

「母に似て、芯は強いんです(笑い)。母は本当に厳しかった。自分も何度も落ち込んで、這い上がってを繰り返してきたの、と。逆に父はとてもやさしい人。その両方をうまく受け継いだお陰で今の私がいる、と思っています」 

(後編につづく) 

【プロフィール】 

忍足亜希子(おしだり・あきこ)/1970年、北海道生まれ。1999年、映画デビュー。第54回毎日映画コンクール「スポニチグランプリ新人賞」、第16回山路ふみ子映画賞「山路ふみ子福祉賞」受賞。近作に映画『僕が君の耳になる』『親子劇場』、ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(NHK)ほか。講演会、手話教室開催など、多岐にわたり活躍中。本作は、ロンドン映画祭コンペティション部門、バンクーバー国際映画祭パノラマ部門、上海国際映画祭コンペティション部門に出品された。 

取材・文/水田静子  撮影/浅野剛

※女性セブン2024年10月10日号

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