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「被災地はゴミ捨て場じゃない」という訴えはなぜ届かないのか

NEWSポストセブン / 2024年9月28日 16時15分

 賞味期限が切れそうな(渡すタイミングによっては切れている)水を渡そうと思ったら、列に並んで水を取りに来てくれた被災者のみなさんに、賞味期限と消費期限の違いを詳しく説明する必要があります。忙しい職員やボランティアとしては、そこに貴重な時間や手間をかける余裕はありません。しかも、どんなに丁寧に説明してもクレームが入る可能性はあります。その対応にまた労力を割かなければなりません。

 そもそも、自分の友人や知人に賞味期限が切れそうなものをあげるでしょうか。友人知人にあげられないものを被災地に送ってくるのは、被災者を一段下に見ているからです。「困っているんだったらありがたく飲め」と超上から目線で言っているも同然であり、打ちひしがれている被災者にとっては、無神経で残酷な所業と言えるでしょう。

 しかも、賞味期限切れの保存水は、ほとんどの自治体では破棄されるか、説明した上でこっそり職員に配られるかで、要するに「ゴミ」です。地元の市民にも渡さないようなものを被災地に送るのはおかしいんじゃないでしょうか。

「なぜ渡せないか」についての投稿主の説明をベースに、私の解釈も加えました。ほかの投稿でも、具体例を挙げながら重ねて伝えてくれています。「被災地で被災者に理解や説明が必要になる物資は、千羽鶴と大差ないありがた迷惑です」とも。たしかにそうですよね。

 そう、千羽鶴を被災地に送ってもありがた迷惑だという認識は、ここ数年でそれなりに広まりました。ウクライナに千羽鶴を送ろうとした団体に多くの批判が集まったのも、記憶に新しいところです。ただ、そのときも「いいことをしているのに!」「善意の贈り物にケチを付けるなんて!」といった擁護の声もたくさんありました。

 今回の大雨でもそうですが、大きな災害が起きるたびに、SNSなどには「古着を送ってこられるのがいかに迷惑か」「古着を送ることがいかに失礼な行為か」という声が、さんざん上がっています。もう着なくなったものを被災地に送るのは、自分では善行のつもりでも、被災地をゴミ捨て場扱いしていることに他なりません。まず使われませんが、もし使うにしても仕分けの手間が膨大にかかります。はたして、それは誰がやるのか。

「自分はいいことをしている」という満足感と優越感に酔っている人(というより、実際には何もしていないけどそういう酔い方をしたいだけの人)には、「それを送っても迷惑だ」という声は届きません。それどころか、自分の想像力のなさや善意の独りよがりっぷりを認めたくないもんだから、ムキになって反発してきます。

「善意でやっている」と思っているときほど危険

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