【逆説の日本史】「ビリケン内閣」成立の大正五年に起きた「注目すべき事件」とは?
NEWSポストセブン / 2024年10月3日 16時15分
もっとも、このころになると頑迷固陋な韓国人の保守派も、近代化自体は認めざるを得なくなった。わかりやすく言えば「火縄銃ではライフルに勝てない」ということだが、朱子学という亡国の哲学によって日本ですらこの当然の事実を認めるのに長い時間がかかったことは幕末史のところで何度も説明したが、曲がりなりにも近代化に成功した日本が日清戦争、日露戦争に勝つことによって世界の列強に伍する国家になったことを見て、韓国人も日本に頼るしかないという考えに傾いたということだ。
しかし、そうは言っても韓国人のプライドを尊重していた伊藤博文では無く、「重箱の隅をつつく」寺内正毅が併合事業を進めたことによって、後で大きなツケが回ってくることにもなった。このツケについてはいずれ述べるが、この大正五年時点での寺内への評価は、「単なる軍人では無く、朝鮮統治もなんとかこなした。政治家の才能もあるのではないか」ということだった。大隈の、とくに大陸政策が「軟弱」だと批判を浴びたこともあり、「強引」な寺内にお鉢が回ってきたのである。
もっとも政党内閣では無いので、寺内の容姿がアメリカのビリケン人形に似ていることもあって寺内内閣はビリケン内閣と揶揄された。「非立憲(びりけん)」ということだ。
さて、この年、注目すべき事件がいくつかあったのでそれに触れておこう。まず、日本において社会主義が徐々に浸透してきたことを示す二つの出来事で、一つは寺内内閣成立のちょうど一か月ほど前の九月に、河上肇が『大阪朝日新聞』に『貧乏物語』の連載を始めたことである。
河上肇は一八七九年(明治12)、山口県岩国に生まれ、東京帝国大学を卒業した。当初は理科系の講師として活動していたが次第に経済学に関心が移り、マルクス経済学の強い影響を受けた。出世作となった『貧乏物語』は資本主義社会が必然的に生み出す格差と貧困の問題を追究したものだが、このあと河上は最終的にこの問題を解決するにはマルクス主義しか無いと思い定め、日本共産党に入党し共産主義者として活動。治安維持法違反で投獄されたが転向はせず、一九四六年(昭和21)に病死した。共産主義あるいは社会主義の活動家は、一般人から見ると近寄りがたい雰囲気があったのは事実だが、河上はそうした人々の警戒感を解き社会主義思想の普及におおいに尽くした。
ちなみに、『朝日新聞』はそもそも一八七九年(明治12)に大阪で創刊された。その後一八八八年(明治21)に東京にも進出し、その新聞は『東京朝日新聞』と銘打たれたが、大阪で発行される新聞はその後もしばらく『朝日新聞』のままだった。「こちらが本家」という意識だろうか、しかし一八八九年(明治22)に「本家」も『大阪朝日新聞』と改称した。
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