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《人生の後悔》50代となった女優3人が振り返る半生「いつ、『最後の1回』になるか分からない」舞台に生きる役者の覚悟

NEWSポストセブン / 2024年10月16日 10時59分

舞台『片づけたい女たち』で共演する3人。人生で思い残したこととは

「今、片づけたいものはありますか?」──映画、ドラマ、舞台で活躍する女優3人にそう問いかけてみた。すると、人生の酸いも甘いも知る彼女らは、意外な言葉を口にしたのだった。

 片づけたいのに、片づけられない。散らかりまくったマンションの1室で、50代半ばの女友だち3人が遠慮なしのやり取りを繰り広げる舞台『片づけたい女たち』。年齢、社会との繋がり、死。重く描くこともできるテーマを、あくまでも軽妙に見せている本作。同世代の女性にはもちろん、20年後、30年後に50代を迎える女性たち、50代女性の周りにいる男性陣にとっても、大いに笑い、ふと考えさせられる場面が多いはず。

 片づけるとは? 長い人生において、50代とは? 劇中で「ツンコ」「おチョビ」「バツミ」を演じる3人が、これらの難問にどのように向き合い、それぞれの人生を歩んできたのかも気になるところだ。【前後編の後編。前編から読む】

──「片づけたい」と常々思いながらも積み重なっていってしまうのは、「モノ」だけではないですよね。人生のなかで、思いを残したままにしていることはありますか。

松永玲子(以下、松永):そんなことだらけのような気がします(笑)。たとえば職業的なことを言うと、ロシア人作家のアントン・チェーホフの戯曲『かもめ』で「私はかもめ」って言ってみたかったとか、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』で少女ローラを演じたかったとか。

 後悔というわけではないけれど、その年代にしかできない役というのはやっぱりあって、オファーがなかったなら、自分でリーディング公演(朗読するスタイル)ぐらいやればよかったなと思ったりはします。もちろん、今50代半ばになったからこそ、今回の『片づけたい女たち』の「ツンコ」が当てはまったわけで、それはそれで幸せなことなんですけどね。

──松永さん演じるツンコは、「傍観者」となってしまった過去の自分に強い思いを残しています。

松永:「ツンコ」が抱く「傍観者の罪」のような思いは、大なり小なり誰にでもあるもの。もちろん、私にもあります。生きるのが苦しくならないよう本能的に脳がフタをするけど、きれいに消え去ったわけではなく、荷物を背負うようにずっと積み重なっている。それでも進んでいくのが、ひょっとしたら人生なのかも。そんなふうに、50代半ばになって考えるようになりました。

佐藤真弓(以下、佐藤):普段は忘れていても、ふとしたときに『あぁ、あれはああしておけばよかったんだろうか』と思い返す。そういったことは、本当にたくさんあります。実際、いっぱい間違えてきただろうし。

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