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石坂浩二が明かす、名演出家・名監督との交流「浅利慶太さんの助手として働いた忙しい日々」「出番がなくても毎日通った市川崑監督の現場」

NEWSポストセブン / 2024年10月19日 6時58分

1979年のNHK大河ドラマ『草燃える』の記者発表にて。石坂は主人公の源頼朝役に。左から国広富之、真野響子、石坂、岩下志麻、松平健

 芸歴66年。デビュー直後から多忙を極め、いまなお映画やドラマへのオファーがやまない石坂浩二(83才)。高校時代に民放ラジオで台本を書くなど、若くしてその才能を開花させてきた。そして、そんな石坂に影響を与えたのが、浅利慶太さんや市川崑さんといった名演出家や名監督だ。2人の重鎮との交流を石坂が振り返る【全3回の第2回。第1回から読む】

故・浅利慶太さんに揉まれて愛されて

 もともと勉強家の石坂だったが、縁にも恵まれた。なかでも「劇団四季」の創設者である故・浅利慶太さんからはさまざまな影響を受けたという。

「高校、大学の先輩でもある浅利さんが“卒業後はうちにこないか”と誘ってくださいました。それで入ったのが『劇団四季』でした。主に浅利さんの演出助手が仕事だったのですが、眠る時間がないほど忙しかった。浅利さんはテーマをつかむのがうまく、演出的な発想は秀逸。とはいえ、今日言ったことが翌日には覆されるので、助手がいないと形にならなかったんです」(石坂・以下同)

 石坂の仕事は、浅利さんの希望通りの演出ができるよう段取りをつけることだった。

「このときは何でもやりました。浅利さんの食事の手配もしていましたね。稽古場の近くに浅利さんお気に入りの飲食店が3軒あって、浅利さんが食べたいと思うであろう献立を予測して手配し、食べたいであろうタイミングを見計らって出す──これがなかなか難しかった(笑い)」

 石坂はさらに台本の内容チェックや翻訳も担当。俳優としてテレビドラマの仕事もこなしており、疲労はピークに達した。

「結果、収録中に胃潰瘍で倒れて入院することになりました」

 石坂はこれを機に「劇団四季」を退団。浅利さんがこれをどんなに惜しんだかは言うまでもない。その後も「帰ってくる気はないよね」と何度も打診されたという。

 役者でありながら脚本家や演出家としての経験と視点を持つ石坂。これもまた、長年業界で求め続けられるゆえんであろう。

市川崑監督の現場通いで学んだこと

 映画監督の故・市川崑さんもまた、石坂を重用し続けたひとりだ。

「1976年の映画『犬神家の一族』(東宝)の撮影のとき、市川さんからは“自分が出演していないシーンの撮影日でも毎日現場に来なさい”と言われていたので、本当に毎日、出番がなくても通っていました。そこで、監督が撮影中にブツブツ話していることやスタッフへの指示なんかも聞いていましたね。監督はぼくたち俳優には細かいことを言わず、段取りを説明するくらいで、比較的穏やかでした。

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