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【逆説の日本史】「天皇信仰」がもたらした「野蛮にして極悪」なソビエトに対する強い反感

NEWSポストセブン / 2024年10月24日 11時15分

「ソビエトの悪」を初めて大々的に告発した風刺小説『アニマル・ファーム』がイギリス人作家ジョージ・オーウェルによって書かれたのは一九四五年、つまり第二次世界大戦が終了した年の話である。一九一七年当時のヨーロッパやアメリカでは、とくに現状を変えなければいけないと考える正義感の強い若者にとってレーニンは憧れの的であり、ソビエトは理想の国家だったのだ。

 もちろん欧米列強でも社会の主流は保守的な大人であり、そうした人々はブルジョアジーつまり資本家を敵視する共産主義に強い反感を持ち、ソビエト連邦もなんとか潰そうとした。しかし、いま述べたような状況があり、必ずしも欧米列強は一致団結してソビエト潰しに走ったわけでは無い。それに「味方」する人々も少なからずいたからだ。

 しかし、日本の場合はまったく事情が違ったこともおわかりだろう。日本はもともと帝国主義に餌食にされる側のアジアの一員でありながら、西洋近代化を奇跡的に成功させ最終的には「帝国主義国家群に参入」できた。そのことで国民も豊かな暮らしができるようになった。それは天皇という存在があってこそだ。

 大日本帝国憲法がそう定めたから天皇は国家の「核」となったのでは無い。憲法は幕末から明治にかけて成立していた「天皇教」を追認したに過ぎない。ということは、いかに共産主義者が帝国主義の悪を説き、それを変革するには共産主義しかないと主張しても、日本ではロシア共産党は「皇帝一家を裁判無しに皆殺しする」ような野蛮な組織ではないか、そんな連中の言葉に耳を貸す必要は無い、ということになってしまう。

 別の角度から言えば、日本と他の「帝国主義グループの欧米列強」との間には、史上初の共産主義国家ソビエト連邦への反感について、かなり温度差があったということだ。日本は他の列強と違ってソビエトに対する反感がきわめて強かったということである。

「よくぞ阿部を殺した」

 さて、一九一七年当時の日本人の気持ちになって考えるには、このソビエトに対する天皇信仰がもたらす強い反感のほかに、もうひとつ押さえておかねばならない心情がある。それには、英米や中国との協調路線を志向した山本権兵衛内閣下で起こった、外務省の阿部守太郎政務局長の暗殺事件を思い出していただきたい。

 これは一九一三年(大正2)の出来事だから、それほど昔の事件では無い。阿部局長は、当時の袁世凱政権とのトラブルを平和的に外交的手段で解決しようとしていた。それが「軟弱外交」ということで右翼青年に惨殺されたのだが、そうした青年たちに強い影響を与えていたと考えられる当時の新聞、とくに『東京日日新聞』のコラム「近事片々」の内容を覚えておられるだろうか。

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