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《世界の真田広之が便所掃除を続けた日》高校時代の親友で俳優・島英津夫が明かす知られざる堀越学園時代

NEWSポストセブン / 2024年10月29日 16時15分

 淡路をとにかく慕っていたという真田。淡路が亡くなった際も、真田はすぐに島に電話をかけてきたという。

「おっかあに会いたかったな。何もしてあげられなくてごめん、日本に戻ったら連絡するよと涙ながらに言っていましたね。『今頃うちのお袋(1989年に死去)とおっかあは天国で飲んだくれてるから心配するな、生きてる俺たちが頑張ろう』という真田の言葉にグッときました。広之は本当に友達を大切にしてくれる、物静かで誠実な男です」

溜まり場だったラーメンパブ

 真田と島の青春時代を語るに欠かせないのが、ラーメンパブ『リッチハウス』(現在は閉店)だ。

 六本木の雑居ビルの2階にあり、5000円で飲み放題・食べ放題という若者にとっては天国のような場所だったという。特に人気だったのは、シンプルながら抜群に美味しい醤油ラーメンだった。

「『リッチハウス』は僕たちの青春そのものです。僕たちが20代の頃はほとんど毎日のようにそこに通っては、たわいもない話をして、お酒を飲んで、時には朝まで騒いでいました(笑)広之がハリウッドで成功してからも帰国すると時々『リッチハウス』に通っていました。

何回かパブで僕のバースデーをやってもらったことがあるんです。マスターが船の形をしたケーキを作ってくれて……今でも忘れられない。ロウソクを消そうとした瞬間に広之がケーキを持ち上げて僕の顔に叩きつけた。そしたら『広之! 俺が何日間もかけて作ったんだ』ってマスターが怒って……その後、広之がしょんぼりとひとりで壁についたクリームの掃除をしていたんです。かわいいですよね」

 その後、真田は2003年の『ラスト サムライ』への出演を機に、活躍の場を海外へと広げることになる。2010年には「ハリウッドで最も活躍しているアジア俳優」に選出されるなど着実にキャリアを築いてきた。

 島は真田のエミー賞受賞を聞いた時の率直な思いを口にする。

「涙が出ましたよ。スピーチで『これまで時代劇を継承して支えてきてくださった全ての方々、そして監督や諸先生方に心より御礼を申し上げます』と語っていて、きっとうちの親父(義父の萬屋錦之介)、勝新太郎さん、三船敏郎さんらみんなのために今まで努力してきたんだろうなって思いました。

 僕の高校時代から20代にかけての青春時代は、いつも広之と一緒でした。苦しい時辛い時、いつも声をかけて励ましてくれた。かけがいのない無二の親友です」

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