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【逆説の日本史】「対ソ干渉戦争」失敗の原因となった「シンボルと新国家のビジョン」欠如

NEWSポストセブン / 2024年12月2日 16時15分

 ところが白軍はどうか? 文字どおり白軍は「軍隊」であって、「政党」では無い。当然、占領した地域をどのように維持するか、人民を新国家の国民として、どのように処遇するかについて、なんのビジョンも無かった。そもそも、それを担当する部門すら無い。ゆえに「苛酷な軍事独裁体制」を敷くしかなかった。「黙って従え、逆らえば殺す」である。これでは人民の支持が得られるわけが無い。このうえにセミョーノフとコルチャーク、つまり「独裁者同士の対立」があったのだから、白軍が最終的な勝利を収める可能性は、じつはほとんど無かったのである。

 では、ここでなぜ両者は対立したのか、あらためて考えてみよう。もちろん日本とイギリスという「応援団の違い」はあるのだが、それが根本では無い。日英ともに支援目的は一致しているのだ。やはり問題は、コサックの頭目とロシア海軍提督という立場の違い、いや平民と貴族という身分の違いにあったのだろう。

 とくにコルチャークにとってセミョーノフは、山賊の親玉みたいなものだ。頭を下げるなど論外で、対等なパートナーにするのも抵抗がある。一方、独立心の強いコサック上がりのセミョーノフにとって、コルチャークは貴族出身を鼻にかける尊大な男だったろう。「部下にしてやる」と言われても頭など下げたくないし、自分は日本の支援の下で「ザバイカル王」としてじゅうぶんにやっていける、という自信もあったろう。

 ここであらためて認識するのは、ソビエト共産党がロシア皇帝ニコライ2世一家を全員惨殺「しておいた」ということだ。もし一人でも生き残っていて、それが新ロシア帝国建国のシンボルとして皇帝にでも祀り上げられていたらどうか? セミョーノフとコルチャークも「皇帝陛下の臣下」として共闘しなければならなくなる。現に内蒙古ではそういう存在が不在で団結できなかったが、外蒙古ではジェプツンダンバ・ホトクト8世(ボグド・ハーン)を担ぎ出したことによって、見事に政権が成立したではないか。

 この点、ニコライ2世一家を皆殺しにしたソビエト共産党つまりレーニンの「作戦勝ち」なのだが、対抗する手段はまったく無かったのか? 日本の天皇家と違って、ヨーロッパの皇室は各国相互に嫁や婿のやり取りをしている。現に、当時のドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世とニコライ2世はイトコ同士であった。ドイツは直前までロシアと殺し合っていた国だから、そこの皇族を引っ張ってくるのは無理だとしても、広範囲で探せばそうしたシンボルになるような皇族は一人もいなかっただろうか。

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