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【仕事こそ人生でも最後は妻と…】小倉智昭さん、40年以上連れ添った夫婦の“心地よい距離感” 約1年前から別居も“夫婦のしあわせな日々”が再スタートしていた

NEWSポストセブン / 2024年12月14日 7時15分

「きっかけは小倉さんの収集癖でした。自宅には膨大な量の書籍やCD、絵画、ギターといったコレクションが山積みで、さゆりさんの居住スペースを圧迫していた。そこでさゆりさんは、“あなたの余生は、自分が好きで集めたものに囲まれて暮らすのが幸せでしょう”と、2023年の秋に実家に戻ってしまったんです。実家には実母が暮らしており、介護が必要になったことも理由のひとつでした。

 でも、決して完全別居というわけではなく、週に3日はさゆりさんが小倉さんの元を訪れて、一緒の時間を過ごしていました」(芸能関係者)

 一回り以上の年齢差があっても、40年以上連れ添った夫婦にとってはその距離感が心地よかったのだろう。

「離れて過ごす分、LINEや電話でやりとりする機会が増え、たまの外食では手をつないだりするようにもなったそうです。死去の1年前から、さゆりさんとのしあわせな日々が再スタートしたことに、小倉さんは満足しているようでした」(前出・小倉さんの知人)

 小倉さんの仕事ぶりにも拍車がかかった。死去の1か月前に応じたテレビの取材では、がん闘病はもちろん、年齢を重ねて物忘れがひどくなったことなどを開けっぴろげに語っていた。しかし皮肉にも、小倉さんの病状が悪化するにつれ、さゆりさんが自宅に通う機会は増えていったという。

 小倉さんが自宅に戻った後、事務所関係者や緩和ケアのスタッフが常に控えていた。だが、ふいに訪れた夫婦ふたりきりのタイミングで、さゆりさんに手を握られながら、小倉さんは77年の生涯に幕を閉じた。

『とくダネ!』に出演していた当時の小倉さんは、毎日、全国紙に目を通し、睡眠時間は3時間。仕事こそ人生というアナウンサーだった。小倉さんを看取ったさゆりさんは、周囲にこう漏らしたという。

「人づきあいが多い智ちゃんのまわりにはいつも誰かがいたけれど、最後の最後だけは、私だけの時間でした」

 それが、仕事に生きた小倉さんからのさゆりさんへの恩返しだったのだろう。

※女性セブン2025年1月1日号

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