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《布川敏和が語った還暦で『シブがき隊』再結成》解隊から36年「決定権はもっくんが握っている」「やっくんは同じ思い」の熱烈ラブコール

NEWSポストセブン / 2025年1月1日 15時58分

1986年 紅白歌合戦に急遽代打で出演した際の記者会見(時事通信フォト)

“花の82年組”といわれる1982年にデビューし、1988年に解散(解隊)した「シブがき隊」。解散後、やっくんこと薬丸裕英さんはMC、もっくんこと本木雅弘さんは俳優として主に活動し、布川敏和さんは活躍の場を俳優・タレントに移した。「シブがき隊」解散時の真相や再結成の可能性、その後の仕事などについて聞いた。【全3回の第2回。第1回から読む】

 * * *
「シブがき隊」の解散を、初めに言い始めたのは僕です。18歳になったとき、僕のデビュー前の友人らは高校を卒業し就職し始めました。僕はオヤジの中古車販売店を継ぐつもりだったから、「やばい、もう遊んでる場合じゃない」と思い、「引退してオヤジの会社を継ぎます!」と突然、事務所に伝えたんです。もっくん、やっくん、事務所の人たちも、レコード会社の人たちもあ然。「これからなのに、何を言ってるんだ」と驚いたと思います。そしたら、伊豆の旅館に一泊二日で連れて行かれ、美味しいご飯をふるまわれて、うまく説きふせられてしまいました(笑)。

 次に僕ら3人の間で解散の言葉が出始めたのが22歳の頃。大学へ進学していたら卒業して就職する年齢です。最初に言い始めたのは、本木だったか、僕だったか。当時はアイドルはいつまでもやるものじゃない、という認識でしたから、僕はやはり引退してオヤジの会社を継ぐつもりでした。薬丸と本木は俳優をやる考えだったと思いますが、このときも六本木の遊び仲間たちに「今までやってきたことを無駄にしたらもったいないだろう」と説きふせられ、すぐに引退を撤回。個人で活動することにしました。

 やりたかったのは俳優。亀山千広さんと一緒にやった『あまえないでョ!』(フジテレビ系)を初めとする『オレの妹急上昇』『ヘイ!あがり一丁』の3部作で、演じることのおもしろさを感じていたからです。それからは『ウルトラマンダイナ』(TBS系)、『おばさんデカ 桜乙女の事件帖』シリーズ(フジテレビ系)……本当にたくさん出演してきましたよね。

劇団で猛特訓した過去も

 でも、それが可能だったのは、元「シブがき隊」の肩書きだけのおかげじゃない、と思っています。劇団での猛特訓を自分に課したからこそ、です。26歳で結婚し、ハネムーンベイビーの長男・隼汰が生まれたとき、もっとしっかり演じることに腰を入れなきゃいけない、と思いました。29歳から3年間、布施博さんの劇団「東京ロックンパラダイス」で鍛えてもらったんです。劇団の活動をメインにしていたらお金になりません。当時の事務所の社長と会長に「3年間だけやらせてください」と手紙を書いてお願いし、舞台にほぼ専念させてもらいました。

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