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「本当に優しい子」「これからも定期的に会いたい…」水原一平被告の父親が裁判官宛に書いた“手紙”で吐露した親心

NEWSポストセブン / 2025年1月26日 16時15分

水原一平被告の父が切実な申立書を提出した(時事通信フォト)

 ドジャース・大谷翔平(30)の口座から1700万ドル(約26億円)を不正に送金したとして銀行詐欺罪などに問われている元通訳の水原一平被告(40)。米連邦検察は、4年9ヶ月の禁固刑、釈放後3年間の保護観察、大谷への賠償金支払いなどの量刑を求める文章を裁判所に提出した。もともと最長で「禁錮33年」と報じられていたが、求刑では大幅に差し引かれる形となった。

「水原被告が早い段階で司法取引に応じ、検察側の負担を減らしたことが評価されたようです。ただ、水原被告側は、『ギャンブル依存症だった』として、1年6ヶ月の禁固刑が妥当だと主張しています。このなかで、水原被告が減刑を求めて、裁判所に提出していた申立書の存在が明らかになっています」(在米ジャーナリスト)

 この申立書には両親や妻が用意した裁判官宛ての書類も含まれている。父親の英政さんは料理人で、水原被告が6歳のとき、和食店を開くために妻子を連れて渡米したことがすでに広く知られている。幼い頃にアメリカで暮らした経験があるからこそ、のちに水原被告は通訳の仕事を始め、大谷の“相棒”となったのだ。

 英政さんが用意した“手紙”では、ある意味で水原被告の全ての始まりとなったアメリカ生活についても触れられている。以下、資料から抜粋する。

《当時、一平は英語を全く話せなかったので、彼が文化に順応し、新しい言語を学ぶことがどれほど大変だったかは想像に難くありません。また、幼少期には差別や人種差別にも直面しましたが、一平は強く生き抜き、戦い抜きました》

 水原被告の心優しい素顔も明かされた。

《まず一平はとても親切な人間で、特に家族や友人に対して親切です。2000年代の頭ごろ、一平が初めて本格的な仕事に就いたとき、初めての給料で最初にしたことのひとつが、私たちに立派な薄型テレビを買ってくれたことでした。

 同じころ、私たち家族の友人であるCさん(仮名)が甲状腺の手術を受けたときは、一平はその全過程で通訳を務め、Cさんは英語があまり得意でなかったため、数日間、一緒に病院で過ごしました》

 大谷の“相棒”として多忙な日々を過ごすなかでも、家族を気づかっていたという。

《私の母(一平の祖母)は、北海道の最北端の島で一人暮らしをしています。一平が2019年のオフシーズンに東京にいたとき、彼女を東京に招待し、数日間案内しました。一平はオフシーズン中、翔平の世話で忙しかったのですが、一平が時間を割いて案内してくれたことに、母はとても感謝し、喜んでいました。彼女は今でも、それが最高の思い出のひとつだと話しています。

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