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【逆説の日本史】「平民宰相」ではあったものの「庶民派」では無かった原敬

NEWSポストセブン / 2025年2月7日 16時15分

 その証拠と言うべきか原は頑なに爵位を受けることは拒否したが、位階と勲位は受けている。彼は「正二位大勲位」である。ちなみに大勲位とは勲一等を越える勲功を挙げた者への敬称で、勲章の大勲位菊花大綬章かその上の大勲位菊花章頸飾が天皇から授与される。頸飾とは文化勲章のように首からペンダントのようにぶら下げる勲章のことで、最近では暗殺された安倍晋三元首相が「大勲位」を受勲している。

 ただ、原敬は遺書で「墓標には位階勲等も書くな」と指示している。なぜ自殺したわけでも無いのに遺書が残されているのかということについては後ほど説明するが、古くからの制度ということで受けた位階勲等についても墓碑への記載を拒否したのはなぜか? それは、たとえば伊藤博文が原より上の従一位なのは、あきらかに維新における「賊軍討伐」の功が含まれているからであり、それがあるのに後世の人間に「伊藤よりは下なんだ」と思われるのが嫌だったのだろう。

 語弊はあるかもしれないが、原を支えていたのはあきらかに庶民派としての感覚では無く、傷つけられたエリート意識ではなかったか。そうでなければ、わざわざ「一山」と号しないだろう。しかしこのことは、じつは不幸も招いた。

 それはなぜか。

「普選反対」で選挙に圧勝

 理由はどうあれ、原は爵位を持っていなかったから「平民宰相」であったことは間違い無い。そしてそれは、同じ平民から見れば「自分たちの仲間」が宰相まで上り詰めたということだ。当然、彼らは原が「平民寄り」の政策を取ることを期待した。では、この時期の平民つまり庶民が政治に対してもっとも望んでいたことはなにか? それは、普通選挙の完全実施である。

 普通選挙は制限選挙の反対語で、制限選挙とは一定の国税を納めた成年国民男子のみに衆議院選挙における選挙権(投票権)、被選挙権(立候補権)を認める、という制度である。こうなったのには、日本ならではの歴史的経緯がある。欧米では、キリスト教(プロテスタント)の「神の下の平等」がフランス革命(1789年)の行動原理でもあったので、これをもとに三年後の一七九二年に世界初の普通選挙が実施された。

 ただ注意すべきは、この「普通」というのは成年男子のみに適用される概念であり、女子は最初から排除されていたということだ。じつは、フランスで男女平等の本当の普通選挙が実施されたのはなんと一九四五年、つまり昭和二十年であった。日本では、敗戦によって被占領国家となりGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の強制的な改革によってようやく一九四六年(昭和21)に男女平等の普通選挙が実施されたのだが、フランスは日本と「ほぼ同時」だったのだ。

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