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自動改札機で失われた“駅員の職人芸” 「大阪駅にはタンゴのリズムで改札バサミを空打ちする駅員がいる」《関西私鉄の秘話》

NEWSポストセブン / 2025年2月12日 10時53分

 ただ、クリアすべき問題点は残ったままだった。

 切符と定期券に同時に対応できる自動改札機はまだできなかった。パンチカード方式の定期券用、バーコード方式の切符用、自動改札に対応できていない切符用の3種類の改札口をつくらざるをえなかった。

 全自動化駅は華々しくスタートしたものの、トラブル続きだった。

 切符用の自動改札機に間違って定期券を投入してしまうというようなトラブルの頻発はまだ想定内だった。

 定期入れに入れたまま機械に投入してしまう人。
 紙幣を投入口から入れてしまう人。
 硬貨を投入口へジャラジャラと入れてしまう人。

 今では考えられないような“初歩的なトラブル”が多かった。大きな荷物を抱えたり、赤ん坊を背負っている人を2人と読み違えて、自動改札機の扉が“ガシャン”と閉まってしまうアクシデントもあった。

 駅員の手作業に頼っていたときよりも、処理能力は3~4倍高くなったが、トラブルへの対応のために、駅員が一日中改札口に張り付いていなければならなくなった。「全自動化のおかげで駅員を余分に配置しなければならなくなった」という皮肉な事態まで起こった。

 駅に苦情が殺到してもおかしくない状況だったが、「お客様からのお叱りはほとんどなかった」という。

 乗客のほとんどが、完成したばかりのニュータウンに入居した若い人たちだった。万国博覧会が開かれる街で近未来を体験しているという夢と希望にあふれていたからだといわれている。

 北千里駅への設置を皮切りに、関西の私鉄では自動改札機の設置が急速に進んだ。さまざまな改良が加えられ、乗客が自動改札に慣れてきたこともあって、トラブルは急減していった。1975(昭和50)年末には、関西の五大私鉄と大阪市営地地下鉄への導入が完了した。

 首都圏では、1971(昭和46)年に東急東横線の3駅で導入された。しかし、相互直通運転が多いことから、乗り継ぎのための切符の共通化などに手間取り、自動改札化は遅々として進まなかった。

 首都圏で自動改札機が広がっていったのは1990年代からで、関西圏より10年以上も遅れてしまった。

(第5回に続く)

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