1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

なぜ「ブラック企業」と呼ばれるのか――成長にこだわるユニクロ流働き方

プレジデントオンライン / 2016年3月3日 10時15分

ファーストリテイリング会長兼社長 柳井 正(やない・ただし)1949年、山口県生まれ。71年早稲田大学政治経済学部卒業、ジャスコ(現イオン)に入社。72年父親の経営する小郡商事へ。84年社長に就任。同年6月「ユニクロ」の1号店を広島市に出店。91年社名をファーストリテイリングに変更。2005年より現職。

■「売上高5兆円」という前人未踏のエベレスト

【弘兼】2014年11月の「画業40周年を祝う会」では、スピーチを引き受けてくださり、ありがとうございました。柳井さんが登壇されるのは珍しいと、みんな驚いていました。

【柳井】弘兼先生の作品は大好きです。同じ山口県の出身でもありますし、ご依頼は断れませんよ。

【弘兼】柳井さんは卓越した経営者ですが、パーティや会食などには消極的なので、人柄も誤解されがちです。誤解を解くためにも、まずは聞きづらいことから。最近は「ブラック企業」との批判を受けていますよね。

【柳井】我々は「ブラック企業」ではないと思っています。創業間もないころには、長時間の残業をすることもあったかもしれません。また商品整理をしながら眠り込んだという話もあったでしょう。でも、上場以来、そのようなことのないように指示を出し続けてきました。特にこの10年ぐらいで、働き方は180度変わったと思います。

もしかすると社員の中には昔の習慣を引き継いでいる人がまだいるかもしれません。徹底できていない面があれば正します。その意味では、現状は「限りなくホワイトに近いグレー企業」ではないでしょうか。

悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね。

【弘兼】いまは僕たちの時代とは労働に対する考え方が違うような気がします。いまの規準で言うならば、僕らの若いころはかなりの企業が「ブラック企業」でしたね。まあ、漫画業界では、追い詰められたときには徹夜が当たり前ですから、僕なんかもいまだにブラックですね(笑)。

【柳井】それぐらい一生懸命にやらないと一人前にはなれないんじゃないですか。不思議なことに、みんな大学を出たら一人前だと思っている。どれだけ優秀な人でも何かの仕事で一人前になろうとしたら、3年から5年はかかります。普通の人なら一つのことを10年ぐらいはやり続けないと絶対に一人前になれません。

【弘兼】その通りです。ただ、企業としては働き方の変化に合わせて制度を整える必要がありますね。ユニクロでは2014年4月、約3万人のパート・アルバイトの半数にあたる約1万6000人を正社員にする方針を打ち出しました。これは社員の要望に応じて、どんどんキャリアアップできる働き方と、転勤がなく希望の勤務地に居続けられる働き方をわける、という考え方ですね。

2013年9月、上海にオープンしたユニクロのグローバル旗艦店。(時事通信フォト=写真)

【柳井】はい。大きくわけると正社員の制度は2つあります。転勤がない「地域正社員」と、日本全国もしくは海外でも活躍してもらう「グローバルリーダー」。この2つは自由に行き来ができます。

僕らは「売上高5兆円」という前人未踏のエベレストに登頂しようとしているわけです。大学を卒業したばかりの新入社員に「エベレストに行こう」と言っても難しい。それなら、まずは近くの標高500メートル程度の山に登るところから始めないといけない。地域正社員はその取り組みのひとつです。でも500メートルに登ったら、次は1000メートルに登りたいと思うはずです。500メートルで見える風景と、平地で見える風景は、まったく違いますから。

人間には、誰しも成長意欲がある。まずは近くの500メートルの丘に登るというのが地域正社員です。販売の現場にはいろいろな仕事があります。どんな作業もこなせて、人に指示が出せて、店長の代理もできる。普通の人なら10年かかる仕事を、3年でできるようになるかもしれない。そういう人にはより高いステージで活躍してもらいたいですね。販売の現場を経験することは、すごく大事なことだと思います。上から下を見るだけでなく、下から上を見る。上下両方とも経験することで、偏りなく見ることができますから。

■「安心、安定、安全」ばかり、日本人は臆病すぎる

【弘兼】ファーストリテイリング(FR)は2009年に「売上高5兆円」という壮大な目標を掲げ、現在まで驚異的なスピードで成長を続けています。一方、日本経済の先行きは不透明です。安倍晋三首相は、我々と同じ山口県出身ですが、「アベノミクス」はどう評価されていますか。

グラフを拡大
売上高はこの10年で4倍に

【柳井】「第一の矢」(金融緩和)と「第二の矢」(財政出動)については正解だったと思います。安倍さんとは就任直後(12年12月)にお会いしました。そのとき「経済、経済、経済で行く」と言われたんですよね。その初心に戻られて、経済が活性化することをもっとやってもらいたい。だから「第三の矢」を本当にやってもらいたいと思います。

【弘兼】成長戦略ですね。

【柳井】成長戦略と同時に、もっと自由に商売ができるようにしてもらいたい。規制緩和はもちろん、女性の活躍できる社会にすることや、観光客だけでなく、外国人が日本で仕事をしやすい環境を整える。さらに日本人が海外に出て行きやすい状況を目指す。世界中の人々が日本に来て、日本人も世界中に行く。グローバル化が進むなかで、日本という国だけが昔に戻らないようにしてもらいたいというのが一番の希望です。

【弘兼】日本は昔から島国ということで、海外から入りにくく、海外にも出て行きづらいところがありますね。

【柳井】内にこもるんですよ。いまの日本は、若い人も年寄りも、内にこもる。特に若い人たちは、未来に向けて、これからは外に向かうことが大事だと思います。ところが最近は懐古趣味みたいなことがすごく多い。特に僕らの年代はそういう人が多いと思いませんか。

【弘兼】同級生に会うと、何となく話が合いませんね。定年を迎えて、魚釣りや山登りぐらいしかやることがない。だから話題は「昔はこうだったよな」という話ばかり。こっちは次の連載をどうするかとか、考えることがいっぱいあって、昔を思い出している暇はありません。

【柳井】団塊の世代には、趣味の世界だけに入り込まないようにお願いしたい。僕は同窓会に行ったことがないんですよ。それでも、ときどき同級生に会いますが、あまりに爺さんなので嫌になります(苦笑)。

【弘兼】ボランティアでもいいので、自分の役割を認めてもらえるような仕事をしたほうがいいんでしょうね。

【柳井】そうじゃないと、たぶん僕らもそうですけど、仕事を辞めるとボケるんじゃないかと思いますね。

弘兼「アジアでは政治的な緊張もありますね」柳井「日本、中国、韓国。この3つの国で、ユニクロは売上高や利益、ブランドの人気で1位です。『反日、反韓、反中』はきっと越えられます」

【弘兼】若い世代はどうでしょうか。海外への留学者数は2004年をピークに減り続けています。少子化の影響もありますから、単純に「内向き志向」とは結論づけられませんが、インドや中国、韓国に比べると、確実に後れを取っています。

【柳井】僕はやはりバブルが崩壊してからの時代が、非常に悪い時代だったと思うんですよ。経済が停滞して、いろいろな面で日本が他の国に追いつかれそうになったり、追いつかれたり。日本自体が低迷し、自分たちの給料も上がらない。そういう時代だったと思うんですね。

それはもう断ち切らないといけない。チャレンジしないといけないのに、すごく臆病になっていると思うんです。安心、安定、安全。そういうことばかり考えている。そういうものは、漫画家の弘兼先生にとってもないし、ビジネスマンの僕にとってもない。未来に向かって次はこういうことをやろうと考えないと、本当はいまのこの位置すら危ない。

【弘兼】自分の会社が危なくなっていることにすら気づかず、このままやり過ごそうとしているサラリーマンがたくさんいますよね。流行りの「ありのままで」ではダメです。もっと危機感を持ったほうがいい。1人ひとりが経営者と同じような危機感を持たなければいけないはずです。

【柳井】僕もその通りだと思います。これは個人でも、企業でも、国でも同じで、安心感を持った途端に終わりなんです。「これで達成した」と思った途端に終わり。昔のことを振り返るのではなく、つねに将来のことを考えないといけない。だから危機感がないところには未来はない、と思います。

■サラリーマンは全員が「自営業者」になるべき

【弘兼】柳井さんは以前から「サラリーマン根性」を痛烈に批判されていますよね。こうした考えを持つようになったのはなぜですか。

【柳井】零細企業を経営してきたからだと思います。大企業には、僕がさっき言った「安心、安定、安全」みたいに、自分のことだけを考える人が多かった。そういう人たちとの商談が嫌だったので、サラリーマン根性を批判するようになったんですね。

大企業にもサラリーマン根性を持っていない人もいるんですよ。そういう「いい人」は、相手のことを考えて、お互いにとってベストな形を提案してくれる。経営者感覚やビジネスセンスを持った人ですね。

【弘兼】経営者の立場からすれば、相手が自社の利益と自分の幸せのどちらを優先して考えているか、というのはすぐにわかってしまいますよね。

【柳井】ええ。大企業であっても、零細企業のつもりで、少なくとも自分の周辺、自分の上下を見渡して、会社がどっちの方向に進もうとしているのかを知っておく必要があるはずです。そうじゃないと、たぶん仕事はできないと思いますよ。

【弘兼】自分のことだけを考えるサラリーマンには、自分の生活を守るためには、会社が業績をあげていかなくてはいけないことを理解してもらいたいですね。経営者のつもりで会社の業績を考えていれば、結果として自分の生活も守られる。

【柳井】うちの社員には「サラリーマンというのはもうない。本当はみんな自営業者なんだ」と言っています。

自営業者としても食える人でなければ、組織の中でもやっていけない。たとえば経理をやっている人は、経理という仕事の自営業者だと思ってほしい。そのうえで組織の中の経理は、数字を通じて会社全体の動きを知ることができる。だから経理をやっている人は、経理の仕事を考えながら、会社全体のことも考えてもらわないといけない。そうでなければ仕事は完結しないと思います。

【弘兼】何かの仕事を与えられたときに、いったい何の役に立っているのかわからないけど、とにかく与えられたことだけやっている。そういう姿勢ではダメなんですね。

【柳井】自分から進んで、仕事の幅を広げていく必要があると思います。たとえば漫画でも、絵が上手いだけでは漫画家にはなれませんよね。背景取材やストーリーづくりも重要でしょうし、出版社の要望や読者のニーズにも応えなければいけない。仕事の基本は共通すると思います。

弘兼 「社長は何をしているのか」と仕事のイメージが湧かない人もいるようですが、実際には最も忙しく、いろいろと考えているのが社長ですよね。

【柳井】考えないと、会社というのはすぐ潰れますから。

■「玉塚元社長は優秀。僕が異常なだけです」

【弘兼】アメリカでは、現場のブルーワーカーほど余暇が長く、トップに近づくほど忙しくなると聞きます。

【柳井】トップはすぐクビになりますが、その代わり給料が高い。日本の3倍から10倍ぐらいですね。だから多くの経営幹部には、徹底した自営業者の意識がある。時折びっくりします。家族のように付き合っていた人でも、報酬の話になると「弁護士を通して話しましょう」となる。そういうところは、外国人と日本人では違いますよね。

【弘兼】企業側も、クビにした社員は翌日から事務所に入れず、パソコンやロッカーも凍結してしまう。雇用関係はドライでシビアですね。

【柳井】外資系はそうでしょうね。うちは違います。辞めた人たちは卒業生として、いい関係を続けたいというふうに思っています。

【弘兼】それは外国にはない日本のいいところですね。

【柳井】いつどこで会うかもわかりません。敵であるより味方のほうがいいですよね。辞めるときには、だいたい僕のところへ挨拶に来るんですけど、そのときに「何か困ったことがあれば来てくれ、僕にできることだったら何でもします」と言って送り出しています。そういうことが、僕は大事だと思います。

【弘兼】かつての部下が、他社で活躍しているのはうれしいですか。

【柳井】活躍してくれないと困ります。「ユニクロにいたんだけど、全然役に立たなかった」と言われるのはダメですよね。「やっぱりユニクロから来た人はすごいな」というふうに言われたほうがいいですから。

【弘兼】他社で活躍する卒業生といえば、2002年から05年まで、柳井さんに代わってFRの社長を務めた玉塚元一さんが、2014年にローソンの社長に就任しましたね。

(上)2014年5月、ユニクロの地域正社員説明会に集まった参加者。(下)2005年7月、東京証券取引所での記者会見。玉塚元一氏(右端)が社長を辞任し、柳井会長が社長を兼務すると発表した。(時事通信フォト=写真)

【柳井】彼は優秀です。よく勘違いされているんですけど、僕がクビにしたんじゃない。彼が「辞めたい」と言ったんです。彼の考える経営者像と僕の考える経営者像が、ちょっと違っていた。彼はすごくまとも。僕が異常なんですよ(笑)。

僕の考え方はベンチャービジネスなので、急成長を遂げたあとには海外に出て行こうと考えました。だから、そのための人材や仕組みを早急に整えたかった。一方、彼は01年に4100億円あった売り上げが、02年に3400億円、03年に3000億円と急減した時期に立て直しみたいなことをやったので、もっと安定成長したいと思っていた。そのことが僕にはよくないように見えたんです。そんな認識の違いがあった。

今回、ローソンという大会社の社長になりました。社内向けの講演を頼まれて引き受けたこともあります。(セブン&アイHD会長の)鈴木敏文さんには怒られるかもしれないけど、セブン-イレブンに匹敵するか、超えるような会社になってもらいたいなというふうに思います。

【弘兼】僕もアシスタントのなかには、漫画家として独立したやつがいます。ライバルでもあるのですが、彼らがヒット作を出すとうれしいんですね。

【柳井】玉塚君もそうだし、ほかの人もそうなんですけどね。ユニクロでの経験が役立ったと言ってもらえることは、やはりうれしいですよね。

■ぼうっとした大学時代、あだ名は「寝太郎」

【弘兼】柳井さんが求める人材像というのは、どういったものですか。

図を拡大
世界の主なSPA(アパレル製造小売)企業との比較

【柳井】人生の最終目標なのか、使命感なのか、自分のビジョンなのか。できるだけ早くそれを見つけるか、決めるか、発明するか。そういうことが必要なんじゃないかなと。僕もこの商売を一生やろうと思ったのが早かった。23~24歳からずっと経営をやっているのでうまくいったんだと思います。弘兼さんも、松下電器(現パナソニック)に入ったときには、将来は漫画家になろうかな、と思っていたのでは。

【弘兼】松下に入ったころは、「とりあえずこの会社でせめて部長ぐらいまでは行こう」と、まっとうな考え方を持っていたんですけどね。

【柳井】本当ですか。

【弘兼】思っていたんです(笑)。結局、25歳で会社は辞めました。ところで、柳井さんは僕と同じ早稲田大学の出身ですね。いま『会長島耕作』と並行して、『学生島耕作』という作品を連載しています。僕の学生時代の経験がモチーフなのですが、柳井さんはどんな学生でしたか。たとえば硬派だったか、軟派だったか、ぼうっと生きていたか。

【柳井】ぼうっと生きていましたね。

【弘兼】友達は多かった?

【柳井】いや、ほとんどいません。下宿にいて友達と麻雀したり、パチンコしたり、映画を観に行ったり。で、ときたま授業に行く。下宿のおばさんには「柳井さん、あなたいつも寝てますね」と言われました。あだ名は「寝太郎」でしたから(笑)。

【弘兼】これは意外ですね。世界的な企業のトップになる人は、学生時代から起業しているものかと。

【柳井】大学に入るまでは勉強していましたけど、入ってからはジャズばかり聴いていましたね。親父がせっかく仕送りをしてくれたお金は、ほとんどレコード代に消えた。ジャズ喫茶に行くよりも、部屋でしんみりと聴くのが好きでしたね。

■「明日死ぬかもしれない」「死ぬまで成長したい」

【弘兼】では、いつからいまの柳井さんに変わったんでしょうか。

【柳井】ビジネスを始めてからでしょうね。23歳のときに、親父が「これからはおまえがやれ」と小郡商事の実印と銀行通帳をくれた。もうしょうがないです。もう逃げられないと。仕事がその人をつくるんじゃないかと思います。やはり僕には商売人という感覚がありますから。

【弘兼】父親の影響もありますか?

廊下には2015年のスローガン「Go beyond borders」(「自らを拓く」)のパネルがかけられていた。

【柳井】尊敬する部分と、そうじゃない部分、教師と反面教師の部分がありますね。その2つの間で、自分というものを自分で発見するということが必要なんだと思います。僕は飯を食うのがすごく速いんですけど、それはゆっくり食べていると親父に怒られたからなんです。それで悪い癖がついて。これは反面教師ですね。

【弘兼】なかば無理矢理に会社を任されたわけですよね。もっと自分に向いている仕事があるんじゃないか、と不安に思ったことはないですか。

【柳井】ほとんどの人が実際にそうなんですけど、与えられたものでしか自己実現はできないと思っているんです。いま持っているものでしか自己実現はできない。僕はいつも「人間のピークは25歳」と言っているんです。

我々のようなビジネスマンでも、弘兼先生のような漫画家でも、あるいはスポーツ選手、芸能人、学者、政治家でも、自分の才能にいつ気付けるかは、人によって違う。ただし、いずれにしても、自分の持っている才能のもとは、だいたい25歳ぐらいまでにできている。その才能にいつ気付けるか、という違いなんです。

【弘兼】飽くなき成長志向を持つ柳井さんは、天性の経営者だと思います。一方で、そのスピードについていけないという人もいるのでは?

【柳井】でも、僕も最近、宗旨は替えたんですよ。重要なのは、スピードよりも、成長し続けること。僕は死ぬまで成長したい。それが一番いい人生だと思うんですよね。

若い人は残り時間がたくさんあると錯覚しているけど、いつ死ぬかはわからない。明日死ぬかもしれない。

それなら今日が最後の日だと思って、行動するべきです。若いころはぼやっとして、わからないですよね。僕もそれがわかったのは35歳ぐらいなので、ほとんどの人がそうだと思うんですよ。最終的な目標を決めて、それに対して具体的に行動しなければ、あなたの人生とほかの人の人生は違わないかもしれない。それではあまり意味がないんじゃないかなと、僕は思うんです。

■弘兼憲史の着眼点

▼人生最高の映画10本は25歳までに観てしまう

「人間の才能のベースは25歳までにできる」

柳井さんのこの発言には、私にも思い当たる節があります。以前、ラジオ番組で、映画評論家の品田雄吉さんと、「いままで観た映画のベスト10」について対談したことがありました。品田さんによると、雑誌「キネマ旬報」が著名人100人にアンケートを依頼したところ、回答者の「ベスト10」のほとんどが、18歳から25歳くらいまでに観た映画だったそうです。誰しも感受性が高くなり、いろいろと吸収しやすい時期なのだと思います。私の場合、映画だけでなく、音楽についても、この時期に聴いたものからいまだに離れられません。

振り返ってみると、私が松下電器を辞めたのも25歳のときでした。

22歳で入社したときは、せめて部長ぐらいまでは出世したいというまっとうな考えを持っていました。配属された宣伝部では、私の前に、主任、課長、部長と並んでいました。部長の席までは約20メートル。この20メートルに30年はかかるというイメージがあり、もっと早く行く方法はないかなと漠然と思っていたものです。

ところが――。

宣伝部では、デザイナーやイラストレーターとの付き合いが多く、彼らのなかには漫画家志望の人間もいました。アパートへ遊びに行くと、一生懸命に描かれた作品がある。そこで酒を飲みながら漫画について話していると、はたと自分は何をやっているんだろうと思いました。自分はこっち側の人間ではないのか、と。30歳までにデビューできなければ、違う仕事をしようと決めて、25歳で退職。それから運良く27歳で入選して、現在に至ります。

▼経営者も漫画家も、才能だけでは長続きしない

柳井さんからは対談中、いろいろと質問を受けました。そのなかに「漫画家には、ヒット作に恵まれても、後が続かずにすぐ消えてしまう人と、弘兼さんのようにずっと続いている人がいる。その違いは何ですか」という質問がありました。私の答えはこうです。

「たとえば今、私が銀座でお酒をご一緒するような巨匠たちは、どなたも癖はあるんですが、基本的には人格者で、飲んでいても楽しい。ものすごく実力があっても、人との付き合い方が悪く、編集者から嫌われている作家は、何となく消えていく気がします」

あらゆる仕事はチームワーク。漫画家も、本人の才能だけでは連載は続けられません。周囲の助けが必要です。いい漫画作りといい服作りも同じですね。柳井さんとは意外なところで共通点がありました。

----------

弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。

----------

(ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長 柳井 正、漫画家 弘兼 憲史 田崎健太=構成 門間新弥=撮影(対談) 時事通信フォト=写真)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください