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伊勢丹新宿本店「日本一の百貨店」の価格戦略ストーリー

プレジデントオンライン / 2016年4月18日 10時15分

三越伊勢丹ホールディングス社長 大西 洋(おおにし・ひろし)1955年生まれ。79年慶應義塾大学商学部卒業、伊勢丹入社。紳士服の販売員からキャリアをスタートし、プロジェクト開発や店舗開発を担当。2003年には紳士営業部長として伊勢丹新宿本店の「メンズ館」をオープンさせる。08年に三越と伊勢丹が経営統合。09年に伊勢丹社長に。12年より現職。

【弘兼】平日の午後にもかかわらず、たいへんな賑わいですね。さすがは日本一の百貨店です。

【大西】お陰様でこの店は2014年度2585億円の売上高でした。ひとつの店舗としては日本一だと思います。

【弘兼】ただ百貨店は「冬の時代」ともいわれています。

【大西】市場規模は90年代半ばから縮小し、業界全体で約10兆円あった売上高は、現在では約6兆円です。

【弘兼】原因をどう分析していますか。

【大西】以前は小売業のなかで百貨店は独自の位置にいました。グレードの高いものを売るだけではなく、売り場にエンターテインメント性があった。それが「カテゴリーキラー」の登場で同質化してしまいました。

【弘兼】ユニクロやヨドバシカメラ、ニトリのような企業ですね。一方で、「安くはないが、欲しくもない」という中途半端な商品しかない百貨店は、軒並み潰れてしまいました。

【大西】特に地方では、中心市街地の空洞化が進んだこともあって、百貨店が淘汰される例が相次ぎました。

【弘兼】たしかに人が集まる場所は、街中の百貨店から、郊外の大型ショッピングセンターに変わりましたね。

【大西】首都圏の場合は、鉄道会社が、駅の直上や近くに、若年層対象の商業施設を開発しました。ファッションに特化した「セレクトショップ」などが成功しています。

■「楽しい場所」として思い出に残る空間に

【弘兼】すこし前までは、駅で服を買うなんて考えられませんでした。小売店の同質化が進むなかで、どう差別化を図りますか。

【大西】私は日本から百貨店がなくなるとは考えていません。上質で適正な価格の商品。歩くだけでわくわくするような環境と空間づくり。そして1対1の手厚い接客。店頭でのもてなしは、百貨店の最大の強みです。

【弘兼】商品だけでは勝負はしない。

【大西】おっしゃる通りです。いま伊勢丹新宿本店では、「世界最高のファッションミュージアム」を目指して、大規模なリモデル(改装)を進めています。2013年の婦人フロアのリモデルには約100億円の投資を行いました。商品を販売するだけではなく、驚きや発見など、ミュージアム(美術館)に行ったような満足感をもっていただくのが狙いです。

【弘兼】各階の雰囲気もガラッと違いますね。さきほどご案内いただいた3階の婦人服売り場は、天井の装飾がシャンデリアのように輝いていて印象的でした。

【大西】実はフロアごとに「香り」も変えているんです。エスカレーター付近にアロマの噴霧器があり、印象を変える試みをしています。

【弘兼】2階にはシャンパンを飲めるバーカウンターもありますね。ほかにも売り場のなかに飲食や休憩のできる場所が、自然に織り交ぜられていると思いました。これも新たな試みですか。

【大西】リモデルの際に考えたのは、「百貨店の良さを取り戻したい」ということでした。「目的買い」だけでなく「遊びに行こう」と思い出していただきたい。店を出たときに「今日は楽しかったね」と満足していただけるか。お買い物をしていただけたかどうかは二の次です。

【弘兼】たしかに思い出に残っているのは、買った商品より、食堂での「お子様ランチ」かもしれません。

【大西】レストランは重要ですね。いまの新宿本店で感度の低いところです。次のリモデルでは飲食・レストランを徹底的に変えるつもりです。

(1)伊勢丹新宿本店の外観。(2)メンズ館8階の万年筆売り場。(3)「男の生活空間」をテーマにした逸品がならぶ。(4)シックな雰囲気。(5)本館1階正面玄関前での朝礼の様子。(6)大西社長もお辞儀で出迎える。(7)挨拶のあとは現場の声を聞いて回る。

■「アイビールック」から全身「ヨウジ」に変身

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縮小する百貨店業界でシェアを拡大

【弘兼】大西さんは紳士服の出身で、2003年に「メンズ館」を立ち上げています。若い頃からファッションに関心があったのですか。

【大西】もともとは接客に関心がありました。最初に就職を考えていたのはファミリーレストランの「ロイヤルホスト」。「豚ロースのしょうが焼き」が大好きで、大学生の頃からよく通っていました。縁あって内定をいただいたのですが、知り合いから「接客であれば、伊勢丹という百貨店の労働条件がいいよ」という助言を受けたんです。たしかに当時の伊勢丹は完全週休2日制。本社も東京にある。東京を離れるためらいもあって、伊勢丹を選びました。

【弘兼】そこで紳士服に配属された。

【大西】配属先は新宿本店新館(現在のメンズ館)の1階でした。

【弘兼】私の世代では「トラッド」や「アイビー」が流行しました。ボタンダウンのシャツに紺のブレザー、チノパン、ローファーの靴といった装いです。アメリカの影響が強いファッションスタイルですね。

【大西】私も同じで、まさにそうした格好をしていました。ところが、入社3年目頃にデザイナーズブランドの担当をするようになりました。山本耀司さんや川久保玲さんなど、デザイナーの世界観に統一された個性の強いファッションです。そのとき店頭の人から「あなたのようなトラッドな格好をしている人に、いろいろ言われたくない」と反発されて、服装をチェンジしました。

【弘兼】どうチェンジしたのですか?

【大西】「ヨウジヤマモト」と「コムデギャルソン」しか着ない、と。それでようやく店頭の人とも話ができるようになりました。

【弘兼】さすが。徹底していますね。

【大西】最初はきつかったですけど、次第に好きになりました。社長になるまで、ほとんどその2つのブランドだけを着ていましたね。

■全商品の5割以上は「手頃」な価格に抑える

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圧倒的な売上高の「伊勢丹新宿本店」

【弘兼】大西さんが手がけられた「メンズ館」は、そうしたブランドの壁を取り払った開放的な売り場が特徴的です。なぜそのような売り場を目指したのですか。

【大西】我々がイメージしたのは、ニューヨークの五番街にある高級百貨店「バーグドルフ・グッドマン」でした。ブランドごとの壁はなく、シャツや鞄、靴など、売り場は商品ごとに分かれている。環境と空間づくりへのこだわりで、ファッション感度の高い男性に選ばれていた。実は、リモデルの前まで、「男の新館」の買い物客の75%は女性でした。我々は「代理購買」と呼んでいますが、その服を着る本人ではなく、奥様が商品を選んで買っていたのです。

【弘兼】そもそも男性は百貨店に来ていなかった、ということでしょうか。

【大西】それもあると思います。一般的に百貨店の売上高の35~40%が「婦人服」です。次が「食品」で20~30%。これに対し「紳士服」は6~7%です。百貨店のお客様の中心は圧倒的に女性なんです。

【弘兼】思った以上に紳士服の割合は少ないのですね。「メンズ館」への投資には反対もあったのでは。

【大西】リモデルには約45億円を投じました。改装前、「男の新館」は、東京23区内の百貨店の紳士服で25%のシェアがありました。目標はこれを33%まで高めることでした。

【弘兼】高い目標ですね。

【大西】そのためにはファッション感度の高い男性を取り込む必要があります。いくつかの主要ブランドを縮小するなど、大胆な絞り込みも行いました。顧客減も覚悟しましたが、結果的には新規顧客が30%ほど増え、メンズ館全体ではリモデル前より売上高が20%ほど増えました。

【弘兼】「百貨店に男性は来ない」という業界の定説を、見事に打ち破ったわけですね。

【大西】ただし当時の武藤信一社長はアナリストから「落ち込んでいる紳士服市場に大きな投資を行うのは、成功したとしても経営判断としては支持できない」と指摘されたそうです。そういう意味ではイレギュラーな賭けだったのかもしれません。

【弘兼】さきほどメンズ館を見学して、「高級志向」ではあるけれども、手頃な商品もあると感じました。シャツであれば、数万円の高級品もあれば、6900円の手頃な商品もある。価格帯は幅広いのですね。

【大西】「プライスライン」と呼ぶ1つの基準があります。百貨店は専門店とは違って、マスの市場で商売をしています。だから多くのお客様が「シャツならこれぐらいの価格かな」と考える基準を守る必要があります

【弘兼】高級品だけを取り扱うのでは、百貨店としてはダメなんですね。

本館2階の婦人服売り場に突然あらわれるバーカウンター「THE STAND」。シャンパンやスパークリングワインのほか、コーヒーを飲むこともできる。

【大西】「入りづらい」というご意見をいただくこともあるのですが、どれだけ高級なイメージがあっても、店頭には手頃な商品がなければいけません。バイヤーには少なくとも5割以上はプライスラインを守った商品を置くように指示しています。プライスラインより高い商品は最大2割。残りの3割はバイヤーの権限に任せています。百貨店にとってプライスラインは、常務・専務クラスが決裁する最重要事項なんです。

【弘兼】一方で、デフレの際には、ワゴンセールやバーゲンを乱発して、プライスラインが下がりきってしまった百貨店もありましたね。

【大西】一度プライスラインを下げてしまうと、店の格が落ちてしまうので、再び上げるのは難しい。デフレ局面でも「プライスラインは動かすな」と厳命していました。

【弘兼】そうなると現場感覚が重要になりますね。大西さんは売り場に立っていても違和感がない。根っからの販売員という印象を受けます。

【大西】いまもできるだけ店頭に立つようにしています。特に、当社は水曜日が「週のはじまり」なので、開店時にはご挨拶のために店頭に立ちます。店頭の意見は、とても参考になりますね。

■外国人対応フロアを三越銀座店でスタート

【弘兼】この数年、「訪日外国人」が急増しています。2014年は1300万でしたが、2015年は2000万人に届く勢い。政府は3000万人という目標も掲げ始めました。特に小売業では訪日中国人による「爆買い」の勢いがすさまじいですね。

【大西】中国からのお客様は以前からいらっしゃっています。これまではいわゆる富裕層の個人のお客様が多かったのですが、3年ほど前から中間層のお客様が、団体旅行でいらっしゃるケースが増えました。

【弘兼】団体旅行になれば騒がしくなるのは当然ですよね。40年ほど前、日本人も欧米に団体旅行で乗り付けて、各地で顰蹙を買いましたから。

【大西】同じ中国のお客様でも、富裕層の方は「静かに買い物がしたい」「団体客とは一緒になりたくない」とおっしゃっているようです。

【弘兼】とはいえ、バスで来るお客様を断ることはできません。

【大西】もちろんです。今後、さらに外国人のお客様が増えれば、専用フロアを設けることも考えなくてはいけないでしょう。百貨店は地下を合わせると大体10フロアになるのですが、そのうち3~4フロアは婦人服です。これは婦人服の売上高が35~40%を占めているからです。

【弘兼】そうすると訪日外国人のシェアが10%を超えてくれば、1層は外国人専用のフロアになりますね。

【大西】我々の店舗のなかでも、三越銀座店は訪日外国人のお客様が多い店舗です。このため2015年、8階に「空港型市中免税店」を導入。商品購入時にパスポートと航空券を提示していただき、商品は羽田空港か成田空港で受け取る形になります。

【弘兼】売り場が分かれていたほうが、日本人と外国人の双方にとって、ストレスが少なくなるでしょうね。

【大西】一方で、外国人のお客様がどれだけ増えたとしても、1つの店で2層や3層の専用フロアを設けるつもりはありません。そうなれば、これまでのお客様が離れてしまうでしょう。我々は日本の百貨店。あくまでも日本のお客様を大切にしたい。バランスをとりながら、ご要望に応えていきたいと考えています。

■高級バスツアーが人気、お客様の人生を豊かに

【弘兼】三越伊勢丹が発足してから7年が経ちました(取材当時)。三越と伊勢丹では、イメージがずいぶん違うので、当時はとても驚きました。顧客層もかなり異なるのではないですか。

【大西】そうですね。伊勢丹は30~50代、三越は60代以上のお客様が多いですし、確かに社風も違いました。正直なところ、当初はなかなか難しい点もありましたが、積極的に店舗間の人事異動を始めてからは、垣根もなくなったと思います。

【弘兼】それでも高齢者には三越が人気なんですね。わかる気はします。うちのお袋もそうでしたから。

【大西】三越のお客様はロイヤルティが非常に高い。この強みを伸ばしていきたいと考えています。

【弘兼】日本は超高齢社会に入っていますから、商機はたくさんありそうですね。すでに三越が手がける高級バスツアーが大変な人気だと聞きました。高齢者にウケているんですね。

【大西】はい。三越では従来からお得意様向けに自社企画旅行を手がけていました。なかでもバスツアーが人気のため、2015年、新しく「三越伊勢丹旅行」という会社を設立して、旅行事業を拡大させます。

【弘兼】パンフレットには「2泊3日23万円、上高地帝国ホテルツアー」とあります。安くはありません。

(右)三越伊勢丹旅行のバスツアーで使う「プレミアムクルーザー」の内観。通常45席の大型バスの座席を10席に改造している。2泊3日で約23万円の「上高地帝国ホテルツアー」が人気。添乗員が同行し、高齢者でも不安が少ない。(下)バスの外観。

【大西】通常45席のバスを10席に改造したプレミアムクルーザーと呼ぶ豪華バスで、添乗員と一緒に観光地を巡ります。発売日には定員の9割ほどが売れてしまうなど、大変な人気です。現在このバスは2台ありますが、増車を計画しています。

【弘兼】この連載では、以前、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」を取り上げましたが、そちらもリタイア世代から大人気だと聞きました。

【大西】似ていると思います。これからの百貨店は、単にモノを売るだけではなく、お客様のライフスタイルにいかに関わるかが重要になります。今年は診療所や薬局などをトータル展開する「医療モール」の運営会社も立ち上げました。そのほか、保険や金融なども要望も多い分野です。

【弘兼】店で待っているだけではなく、こちらから出て行くわけですか。

【大西】これまで金融関連のサービスは、窓口を設けるだけで、自分たちでリスクをとるビジネスはしていませんでした。しかし「百貨店だから選ばれる」という時代ではありません。我々にしかできないサービスを突き詰める必要があります。中途半端なものではなく、お客様をわくわくさせられるようなサービスをいかに提供するか。百貨店への期待に応えていきたいと思います。

■弘兼憲史の着眼点

▼「団塊の世代」にとってデパートは「パラダイス」

私は昭和22年生まれ。いわゆる「団塊の世代」です。そんな私たちにとって、子供の頃の「デパート」というのはパラダイスでした。大食堂では「お子様ランチ」が食べられて、屋上には遊園地がある。「とにかくデパートに行こう」というのが、家族の休日の定番でした。買い物に出かけるだけではなく、総合的な「アミューズメントセンター」でした。

私の地元、山口県岩国市には、当時エスカレーターがなかったので、小学生の頃、自転車で1時間以上かけて、広島市のデパートを訪ねた記憶があります。友達同士で、どうしてもエスカレーターに乗りたかったんですね。

大学生のときには、渋谷のデパートの屋上ビアガーデンでアルバイトをしました。ステージではハワイアンバンドの演奏があって、とてもにぎやか。この頃のデパートは本当に勢いがあった。その後、バブル景気の崩壊を経て、百貨店は「冬の時代」に入ります。特に地方では、中心市街地の空洞化が進み、百貨店のある場所は「一等地」とはいえなくなった。品揃えも、郊外の専門店に見劣りするようになりました。

▼「日本一」の集客を活かしネットとリアルをつなげ

しかし――。大西さんに店内を案内していただくなかで、「百貨店」の価値を再認識することになりました。

特に関心をもったのが「メンズ館」の8階です。このフロアは照明も抑えめで、シックな雰囲気。テーマは「男の生活空間」と「遊び」とうかがいました。壁一面のガラスケースには、高級万年筆がずらりと並んでいます。なかには10万円を超えるような商品もある。そのほか、腕時計や眼鏡、葉巻、パイプ、ウイスキーなど、「男の趣味」をくすぐる選び抜かれた逸品が並べられていて、見入ってしまいました。

男というのは、ある年齢を超えると、植草甚一さんや池波正太郎さんのような「粋なおじいちゃん」になりたいと考えるようになります。そうした人間にぴったりの、「大人のおもちゃ箱」のような空間でした。

私のような「団塊の世代」を取り込む売り場がある一方で、若い人たちに支持される新しい取り組みもありました。本館2階では「クラウドファンディング」でつくられた小物が展示されていました。実績のないデザイナーの商品を、いきなり店頭で販売することは難しいでしょう。しかしインターネット上で不特定多数の人から資金を募ることで、挑戦を手助けできます。商品を売るだけが、ネットの使い方ではない。「日本一」の売り場を活かした試みだといえます。百貨店にはまだまだ可能性があるなと感じました。

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弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。

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(OFFICE TAISEIYO代表・三越伊勢丹HD前社長 大西 洋、漫画家 弘兼 憲史 田崎健太=構成 門間新弥、プレジデント編集部(バス車内)=撮影)

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