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絶好調ボルボの社長がトヨタで学んだこと

プレジデントオンライン / 2019年3月8日 9時15分

ボルボ・カー・ジャパンの木村隆之社長(撮影=プレジデントオンライン編集部)

ボルボ・カー・ジャパンの業績が絶好調だ。新車受注台数は2万台を超え、5年連続の前年越え。しかも5年前に317万円だった平均購入価格は昨年530万円となり、200万円以上も上昇している。高いのに売れているのだ。なにが変わったのか。トヨタ、日産を経て、初の日本人社長を務める木村隆之氏に聞いた――。(後編、全2回)/聞き手・構成=安井孝之

■「どんな車でも売ってみせる」という販売力

――19年間、トヨタで働かれ、何を学ばれましたか。

【木村】今は違いますが、昔は「販売のトヨタ」「技術の日産」と言われました。日産はすごい技術を開発し、車に載せている、とお客さまに訴求していたのですが、トヨタは違いました。どんな車でも売ってみせるという圧倒的な販売力がトヨタにはありました。その背景にあるのはお客さま第一主義という考え方です。

その考え方はディーラーにも徹底させていた。トヨタの強みとは大事な価値観について、口と心は一致していること、つまりSincerityがあること。分かっていること、一度決めたことを徹底的にやり続ける粘っこさ、Stickinessです。そのDNAは今の私にも残っています。

またトヨタは結果がすぐに出なくても、人づくりへの投資はずっと続けるというプロセスを大事にします。費用対効果の議論では説明しきれない価値を追求するという姿勢が大切です。それもトヨタで学びました。

――それなのにトヨタをお辞めになった。もっとトヨタで働くという選択肢はなかったのですか。

【木村】トヨタに入ってしばらくたって、世の中は組織のフラット化を目指しました。トヨタも例外ではありませんでした。日本の組織の強みだった上司がOJTで部下を育てるという仕組みが崩れました。一人の上司が面倒をみる部下がフラット化で増えたので、面倒が見切れなくなったのです。

今は仕組みを元に戻そうとしていますが、いったん崩れた仕組みに戻すのは容易ではない。私は大企業の中で人は本当に育つのだろうかと思っていますが、ビジネスをもう一度ちゃんと学ぼうと留学を目指したのです。

■トヨタからユニクロに転職した理由

――トヨタが海外留学制度を復活された時に応募され、留学が可能になったのですね。

【木村】36歳の時でした。トヨタの人事担当者も「この年ならもうMBAを取っても辞めないだろう」と思ったのではないでしょうか。ところがMBAを取ると「社長をやりたい」と思うようになりました。トヨタのような大企業ではすぐには難しい。留学後、レクサス国内営業部で働いていましたが、社長にしてくれる会社はないかと探し始めたのです。

――それで海外のM&Aを進め、海外子会社の社長候補を探していたファーストリテイリングに2008年に転職されたわけですね。

【木村】ファーストリテイリングの柳井正社長の指示は「まずは本業を勉強しなさい」ということで、営業改革や人材開発などを担当しました。

――結局社長にはならず、2009年にインドネシア日産自動車の社長になられます。

【木村】ヘッドハンターが日産のインドネシアの社長はどうかと打診してきたので、すぐに応じました。インドネシアはまさにモータリゼーションの勃興期でとてもエキサイティングでした。アジア・パシフィック日産自動車の社長にもなり、アセアンや韓国、オーストラリアの統括業務を任されました。外国人社員らととてもスピード感のある経営ができたと思います。

今年4月に発売予定のボルボの新型SUV「V60 クロスカントリー」。価格は549万円~649万円。

■部門の責任者にとどまっていては面白くない

――そこからボルボに転身されましたが、なぜですか。

【木村】ボルボが社長を探していたからです。家族は日本にいたので、そろそろ帰国したいと思っていたころでした。

――なぜそんなに社長にこだわるのですか。

【木村】例えば自動車産業を考えると顕著ですが、開発、製造、販売などどの部門をみてもグローバルな競争力がなくては生きていけない産業です。それぞれの競争力を高めるために部門ごとにサイロに閉じこもり部分最適を目指しがちです。しかしそれでは会社の全体最適を実現することはできません。ですから部門の責任者にとどまっていては面白くはありません。

一方、社長は部門間のぶつかり合い、矛盾を解消し、全体最適を実現するために知恵を絞るのが仕事です。私はそのプロセスがとても面白いと考えているので、社長をやりたいと思ったのです。

■従業員の満足度を上げる大切さがわかってきた

――しかし多くのビジネスマンは社長になりたいとはあまり思わないのではないでしょうか。

【木村】私は2009年にインドネシア日産の社長になって10年がたちました。この10年を考えると自分がこれまでやりたかったことを社長としてやることに邁進してきました。しかし今は少し変わってきたと思います。

最終的にはお客さまを最優先することには変わりはないのですが、ボルボの従業員、ディーラーの従業員の満足度を上げることの大切さが重要だと考えるようになりました。「他の人が社長をやるよりも木村がやる方がハッピーだ」と従業員に思ってくれるようになることを大事にしたいのです。それが結果的にお客さまのためにもなる。そうした関係を保つことができるかが、社長業の醍醐味だと思います。

――つまり社長として全体最適を実現すること、あるいは自分のやりたいことをやるためには社長になりたい、という「自分のため」の社長業から他人をハッピーにしたいという「他人のため」の社長業になりつつあるということですね。「木村塾」にも力が入っていますね。

【木村】ボルボにとってディーラーがよりよくなってもらうことは大切ですが、お客さまにとってもとても重要なことです。45社のディーラーの次世代経営者20数人とボルボのディレクタークラス6人を加えた30人規模の塾で、次世代経営者育成プログラムです。2015年に始めました。

■ディーラーも含めて経営方針を徹底させられる

――どんなことを教えていらっしゃるのですか。

【木村】自動車産業が車を売るだけの販売業からサービス業に変わり、ボルボとしてどのようなブランドビジネスに取り組むかという基本認識に始まり、ぶれてはいけない経営の軸を教えます。私がずっと話している中長期の利益志向の基本である「ES(従業員満足)→CS(顧客満足)」経営は重視しています。私が米国で学んだMBAのエッセンスも教えます。

15年に塾に集まった者たちはその後も毎年、フォローアップをしながら経営者として成長するように後押ししています。ともすれば経営者は孤独な存在です。そんな時も塾生たちはお互いにネットワークを築き、助け合っているようです。こうしたネットワークができているので、私が打ち出す経営方針もディーラーも含めて徹底できるという利点もあります。

■日本企業には「スピード感」が絶対的に足りない

――ボルボの社長を10年は続けるとコミットされているようですね。

【木村】ディーラーから「10年はやってくれ」と言われたからコミットしただけです。経営がおかしくなったら「すぐに首を切ってくれ」とボルボ本社には言っていますよ。

――日本企業の経営やビジネスパーソンに足りないものはなんでしょうか。

【木村】スピードですね。ボルボ・カー・ジャパンは外資系ですがほとんどが日本人です。日本の中ではスピード感があるとは思いますが、外国人ばかりだったインドネシア日産に比べればスピードは半分ぐらいです。私は迷わず決断しますが、社長が迷ってはいけません。とにかく素早く行動することです。行動すると、その方向が正しいか、間違っているかも分かります。私は間違っていれば、悪かったとあやまり、すぐに修正します。スピード感を持って行動することが大事です。

社長をするなら大きな組織にこだわることはありません。中小企業の方が面白いかもしれません。大企業では自分一人が頑張っても周りがちんたらしていては変わりません。ボルボ・カー・ジャパンは小さな会社ですが、この5年間をみても会社が変わったことが実感できました。社長としての面白みは小さな会社の方がより実感できると思います。

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木村 隆之(きむら・たかゆき)
ボルボ・カー・ジャパン 社長
1965年生まれ。87年大阪大学工学部卒業、トヨタ自動車入社。海外の商品企画を担当し、2003年米ノースカロライナ大学でMBA(経営学修士)取得。レクサス国内営業部を最後に2008年退社し、ファーストリテイリング入社。09年インドネシア日産自動車社長に転じ、12年からアジア・パシフィック日産自動車社長兼タイ日産自動車社長。14年7月からボルボ・カー・ジャパン社長。

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(ボルボ・カー・ジャパン 社長 木村 隆之 聞き手・構成=安井孝之 撮影=プレジデントオンライン編集部)

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