1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

こだわりパン屋が手抜きを始めた深い理由

プレジデントオンライン / 2019年5月2日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/orendls)

日本のパン屋は長時間労働だ。焼きたてを提供するため、深夜から仕込みをする。そして大量のパンを焼き、大量に捨てる。それが常識とされてきた。だが、そんな常識を破ったパン屋が広島にある。労働時間は短く、パンは捨てず、わりと儲かる。店主が「手抜き」という、その働き方とは――。

※本稿は、仲村和代・藤田さつき『大量廃棄社会』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■実家のパン屋が厳しい経営状態に

田村陽至さんは広島市にある創業約70年のパン屋「ドリアン」の3代目だ。父は、典型的な街のパン屋だった。店には、食パンやフランスパン、菓子パン、総菜パン、サンドイッチなどたくさんの種類のパンが所狭しと並んでいたという。

でも田村さんはそんなパン屋を継ぐのが嫌だった。売れるために焼きそばもたこ焼きも入れ、その流行が去れば次の流行に飛び移る。そんな「なんでもあり」の日本のパンが軽薄に見えて、好きではなかったのだ。田村さんは東京の大学で環境学を学んだ後、沖縄の環境NPOやモンゴルのエコツアーの仕事をするようになった。だがバブル崩壊で、実家のパン屋は厳しい経営状況に陥ってしまう。

一時帰国した田村さんに、両親は「従業員には全員やめてもらい、2人だけで店を続けて借金を返していこうと思うんじゃ」と告げた。

いくらなんでも、それは現実的じゃないだろう……。そう思った田村さんは、パン屋を手伝うことを決めた。2004年のことだ。

■夜10時から翌日夕方までパン作りに追われていた

田村さんはドリアンを、当時流行り始めていた「こだわり」のパン屋へリニューアルすることにした。パンの具はすべて手作り。保存料なども使わないようにした。石窯を作って、天然酵母のパンも焼き始めた。店にはいつも40種類ほどのパンがずらりと並んだ。

製造スタッフ、店舗スタッフ、パート従業員あわせて10人ほどがフル稼働して2店舗を回し、レストランへの配達もこなした。豊富な品揃えのこだわりのパンが並ぶ店は、すぐに人気になった。田村さんは夜10時から翌日の夕方まで寝ずにパン作りに追われた。

「客入りは最多になり、売り上げも最高になった。でかいエンジンでとにかくがむしゃらに働く、という感じでしたね。でも、パンを売っても売っても、お金が残らなかったんです。外からの評判はいいのに、中は潤っていない。この矛盾はちょっとおかしい、と感じるようになりました。スタッフも自分も安い給料で働き続けていた。当時、僕には若いスタッフにパン作りを教える余裕もありませんでした。彼らが店を気に入ってくれているのに甘えて、このまま1年、2年ずるずると貯金もできないのに、時間を奪い続けていていいのかと悩みました」

■「なんでパン捨てるんですか」

ある時、アルバイトで働いていたモンゴル出身の女の子が、売れ残ったパンを「前の日のパンでもおいしいね」と食べていた。

後日、彼女から言われた。

「なんでパン捨てるんですか。誰かにあげたらいいのに」

店では閉店後、毎日のように売れ残ったパンを捨てていた。25キロ入りの小麦の袋が満杯になるぐらいのパンを捨てることはざらだった。焼きたてのパンが人気だったため、田村さんは夕方まで窯入れを繰り返し、作りたてが店頭に並ぶ機会を増やすようにしていた。だがそうすると、午後に急な雨で客足が止まれば、バットに満載のパンを丸ごとゴミ袋へ入れなくてはならなくなることもあった。

保存料無添加のクリームパンや生の果物のデニッシュは、翌日にはとても出せない。1回でも食中毒を起こせば店は終わりだろう。そのリスクを冒すなら捨てた方がいい。パンを誰かにあげる暇だってない。

「パンをあげるなんて、日本ではできないんだよ」

田村さんは彼女に答えた。

こうした経験が積み重なる中、田村さんは自問自答するようになった。

「これは、このまま10年、20年、次の世代まで続けられる職業なんだろうか」

■ウィーンの名店「勤務時間は4、5時間」

2012年春、田村さんは店を休業した。店のスタッフだった妻の芙美さんとともに田村さんが向かったのは、ヨーロッパだ。

1年半かけて、フランスとオーストリアのパン屋3軒に受け入れてもらって修業をした。最後に働いたウィーンの名店「グラッガー」での日々は、田村さんのパン職人としての認識を根底から揺るがす経験になった。

「朝8時に来て」

店からは事前にそう言われていた。パン屋の仕事は早朝から始まるのが常識だ。帰る時間が夜遅いのかな……といぶかりながら行くと、昼には仕事が終わった。勤務時間は4、5時間。自分だけでなく、他の職人も全員だ。拍子抜けした。

グラッガーのやり方は、日本のパン屋の常識と違うことばかりだった。日本では、パンの生地をこねたら数時間発酵させ、分割・成形をしてから再び発酵時間を取るのが一般的だ。だがグラッガーではそれも適当で、職人たちはこねた生地をすぐに分割・成形して、冷蔵庫に入れて帰宅していた。材料を混ぜたり、生地を切ったりするのも機械で、田村さんには「手抜き」に見えることが多かった。パンの具もほとんど入っておらず、ゴマを振りかけた程度だ。

■「仕事が楽しいと初めて思った」

でもそのパンは段違いにおいしかった。

違いは素材だった。店の代表のグラッガー氏は「使う材料には、入手できるベストのものを使っている」と語った。小麦に、ルヴァン種の天然酵母、薪の石窯も「素材の一つ」と教えられた。

「こねて焼いただけでおいしいんですよ。職人たちが働く時間は短くて、客にはいい材料のものを安い価格で提供できる。だから店も流行る。グラッガーのパンでは、みんなが得をしているんです。僕も仕事が楽しいと初めて思った」

1日4、5時間の仕事が終わると、妻と街に繰り出し、食事へ行った。日本でパン屋をしていたころは1日15時間以上必死に働いて、インプットをする余裕もなかった。それなのに、パンはグラッガーの方がずっとおいしい。

「日本のパン職人たちは100点満点のパンを目指すのに7、8時間を費やすんです。僕自身もそうやって血眼になって働いていた。でもグラッガーでは、パンが70、80点でも4、5時間でできるならいいや、というマインドなんですよ。それでも、いい素材を使って、そんな風に力を抜いて投げた球は、案外伸びる。それで日本のパンよりおいしくなる」

熱心な広島カープファンでもある田村さんは、野球にたとえながらそう振り返った。

一体僕はなにをしてきたんだろう。田村さんは少し考え込んだ後、帰国したらこのやり方を自分も実践してみるほかない、と決心した。

■「無駄にできない」小麦で作ったパン

2013年10月、店を再開した田村さんは、「実験」を始めた。

グラッガーで学んだことの実践として、まず材料にこだわることにした。選んだのは、国産の有機栽培の小麦だ。それが、日本の気候や風土に合うパンを作る最高の材料だと思ったからだ。ただ、パンに使われる小麦のうち国産は3パーセントだけと言われ、有機栽培となるとさらに希少だ。当時、国産の有機小麦の価格は外国産小麦に比べて約4倍。普通の国産小麦に比べても約2倍だった。材料がこの値段だと、イチジクやクルミを入れたカンパーニュを日常的に店で作って売ることは不可能だ。

しかし具材を入れないシンプルなカンパーニュなら、有機国産小麦を使って、さらに同じ価格のままでも大丈夫だと分かった。田村さんは、具材を入れないカンパーニュなど2種類のみに絞って売ることを決めた。こうすればなんとか採算を合わせることができる。

理想とする有機小麦を求めて、北海道・十勝の生産農家、中川泰一さんへ会いに行った。中川さんは人工肥料を使わず、草を育てて小麦の肥料としている。有機栽培に転換した当時の苦労話や、「目が覚めると麦がすべて枯れていた」夢にうなされた話を聞いた。

「海外産の小麦を使っていると、誰が栽培したのかも分からないし、どんな苦労があるのか想像力が働かない。でも中川さんに会って話を聞き、小麦の作り手の思いを知ることができました。この小麦で作ったパンは絶対に無駄にできない、どうにかして売り切らないとだめだ、と思いましたね」

そうして実現した具材をなくしたカンパーニュには、2週間ほど日持ちするという予期せぬメリットもあった。

■働く時間を7時間程度に短縮した

次に着手した実験は「働き方」だった。パンの種類を絞って具材を入れないことにしたことで、手間をすでにだいぶカットできていた。さらに働く時間を短縮するため、グラッガーのように冷蔵庫を活用することにした。

仲村和代、藤田さつき『大量廃棄社会 アパレルとコンビニの不都合な真実』(光文社)

なぜ冷蔵庫を使うと、働く時間を短くできるのか。冷蔵庫を使わなければ、パン生地を仕込んだ後に発酵が進むため、遅くとも4、5時間後には焼かなくてはならない。日本の多くの「こだわり」パン屋でやっているようにその日のうちに焼こうとすれば、仕込み始めから窯入れ、焼き上がりまでに7時間ほどかかる。

つまり午前8時にパンを焼き上げるためには、午前1時に作業を始めなくてはならないのだ。1回の窯入れで焼けるパンの量には限界があるため、2、3回窯入れしようとすると……寝られなくなる。

しかし冷蔵庫を使えば、途中で発酵をある程度止めておける。さらに冷蔵庫から出してすぐに焼けるため、何時に起きても、窯の着火から2時間ぐらいでパンを焼くことができるのだ。

「グラッガーでは、大して味が変わらない作業にはこうやって手抜きをしていたんです。パンは単純なもの。だから素材さえしっかりしていればおいしくなる」

こうして、働く時間を朝4時から11時までの7時間程度に短縮した。以前の半分だ。スタッフ10人程度で回していた店の規模も、ぐっと小さくした。店は1店舗に減らし、店を開くのは木、金、土の週3日の午後だけ。スタッフも基本的には自分と芙美さんの2人だけにした。

■「ネット販売」と「リレー販売」で売れ残りをなくす

最後に田村さんが取り組んだのが、「パンを捨てないようにする売り方」だった。パンの種類を少なくして具材も入れないようにしたことで、パンは日持ちするようになった。問題は、どうやって商売として成り立たせるか、だ。

「パンを捨てたくないから焼かないようにする、というのは違うと思ったんです。そうすると商売にならないし、心をこめて作ったパンだから可能な範囲で多くの人に食べてもらいたい。作ったパンは捨てないし、仕事は楽で、わりと儲かる。そこを目指さないと、そもそもこんなパン屋稼業、やる人がいなくなっちゃうと思ったんです」

そこで考えたのが、予約を取って定期購入してもらうネット販売だ。店を閉める平日の2日間に定期購入分のパンを焼き、予約してくれた客へパンを発送する。

「パンって、暑い夏は売れなかったりして季節で売れ行きが変わるし、天気の影響も大きい。でも定期購入ならぶれが出ないので、収入の土台になります。僕が焼くカンパーニュみたいなパン、みんなが好きなわけじゃないです。100人のうち1人ぐらいでしょうか。だから販売する先を全国に広げた方がいいんです。形崩れしなくて日持ちするこんな堅いパンだから、発送もしやすいんですよ」

定期購入を始めると、ドリアンのパンは少しずつ評判を呼び、その送り先は北海道から沖縄まで約160に広がった。

店で販売するパンも売れ残らないように、「リレー販売方式」を編み出した。焼きたてはまず、厨房の横のテーブルに置く。パンの隣には、代金を入れる箱。無人のセルフ販売だ。そして広島市中心部にある店でパンが売れ残った時には、地元野菜の移動販売業者やハム店に託す。

「いろんなところで、ちょっとずつちょっとずつ売っていって、なんとか売り切れる感じですね」と田村さんは笑う。

----------

仲村和代(なかむら・かずよ)
朝日新聞 社会部記者
1979年、広島市生まれ。沖縄ルーツの転勤族で、これまで暮らした都市は10以上。2002年、朝日新聞社入社。長崎総局、西部報道センターなどを経て2010年から東京本社社会部。著書に『ルポ コールセンター』、取材班の出版物に『孤族の国』(ともに朝日新聞出版)がある。
藤田さつき(ふじた・さつき)
朝日新聞 オピニオン編集部記者
1976年、東京都生まれ。2000年、朝日新聞社入社。奈良総局、大阪社会部、東京本社文化くらし報道部などを経て、2018年からオピニオン編集部。近年は、消費社会や家族のあり方などを取材。取材班の出版物に『平成家族』(朝日新聞出版)など。

----------

(朝日新聞 社会部記者 仲村 和代、朝日新聞 オピニオン編集部記者 藤田 さつき 写真=iStock.com)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください