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なぜオウム一斉死刑は令和直前だったのか

プレジデントオンライン / 2019年5月12日 11時15分

オウム真理教の元代表松本智津夫死刑囚らの刑執行を報じる号外=2018年7月6日、東京都港区(写真=時事通信フォト)

昨年7月、オウム真理教事件の13人の死刑確定者に対し、死刑が執行された。なぜこの時期に一斉に行われたのか。政治学者の片山杜秀氏は「死刑執行が改元直前となったのは偶然ではない。オウム真理教事件は平成年間と同じ『31』という数字に彩られている」と指摘する――。(第8回)

※本稿は、佐藤優、片山杜秀『平成史』(小学館)の「文庫版まえがき」の一部を再編集したものです。

■「31」の数字から読み解くオウムと平成

どの時代にも、時代を象徴する数字というものが幾つも見いだせるでしょう。平成期を表すのにふさわしい数字も、いろいろあると思います。しかし、それらの数字の真打は、やはり「31」ではないでしょうか。平成が31年までということもあります。けれど、そこに少しだけ前にずれて折り重なる別の「31」があるのです。

2018(平成30)年7月6日と26日の2日に分けて、合わせて13人のオウム真理教事件の死刑確定者の刑が執行されました。「13」は「31」の裏返しではありますが、これは偶然でしょう。教祖の麻原彰晃こと松本智津夫が絞首刑になったのは初日の6日です。

オウム真理教事件と総称される事件には、数々の出来事が含まれます。その最初のものとして一般に知られているのは、修行中のひとりの信者の死亡事故というか一種のしごきの果ての死を徹底的に隠蔽した事件で、それが起きたのは1988年9月22日。つまりまだ昭和。昭和63年でした。

この日付が興味深いのです。事件のきっかけは修行中の信者が暴れだしたことだといいます。麻原の命令で、信者たちは、問題の暴れる信者を浴槽で冷水に漬けた。おとなしくさせようとしたわけでしょう。が、おとなしくなる次元では済まなかった。問題の信者は意識不明に陥り、ついに死に至ったといいます。

■元号の終わりに己の余命を重ね合わせた

その日に信者が暴れ出したのは、偶発的な出来事であったのかもしれません。けれど、9月22日とは、日本が異様な緊張に包まれていた時期であったことが、ここで思い出されてもよいでしょう。その3日前の9月19日、昭和天皇が一時重体に陥ったとのニュースが報道され、ちょうどソウル・オリンピック開催中であったけれど、テレビはオリンピック中継を中断して、特別番組を流したりしました。容体が回復しなければ、代替わりと改元の可能性がただちにあったからです。

昭和がいよいよ終わろうとしている。秒読みが始まった。いつ改元となるかは神のみぞ知る。日々是緊張。昭和が終わるとは、昭和天皇の肉体の死以外にありえない。皇室典範の定めです。滅びと新生。そのドラマを国民的に体験する日々が9月19日に始まった。そう言えます。

昭和天皇の体調が連日報道され続ける。日本がそんなモードに入った3日後、一連のオウム真理教事件が、まだひそかにではありましたが確実に始まったのです。

そこにはやはり「王の死」のイメージが関連しているでしょう。麻原が自らの健康不安を周囲に述べ、余命が幾何(いくばく)もないから、早く教団の今後、人類の未来のことを考えなければならないと積極的に言い始めたのは、1988年10月頃とされています。

最初の事件の直後です。そして、昭和天皇のいのちが消えようとする、その重圧が、日本をすっかり包んだ時期と、完全に一致しております。麻原彰晃という、健康に自信を失っていた一新興宗教の教祖は、日本国の大神主とも呼ばれる天皇が衰えゆくことに、自らを重ね合わせるところがあったのでしょう。

■「国家変造」計画は死体遺棄から端を発した

信者の死を隠蔽し死体の秘密裏の処分を指令した9月22日、麻原は日々に薄氷を踏んで生きていかなければならない犯罪者になり、その意味で彼は非常時を生きる人間になった。極端な言い方をすると、国家に捕まるか、国家を倒すかの二者択一になった。滅びるか、滅ぼすかです。

しかも麻原の肉体も彼のセルフ・イメージでは滅びつつある。おりしも昭和も終わり、次の元号の時代が始まろうとしている。日本が天皇の死と新生(代替わり)によって形式的に生まれ変わるとすれば、オウム真理教はそれに合わせて日本を実質的に生まれ変わらせなくてはならない。

既成の国家と法の体系が持続している中で、信者の死体を一宗教団体が秘密裏に処分していることが露見すれば、麻原以下が罪に問われて、オウム真理教の権威は地に堕ちる。滅びてしまう。そうせぬためには、オウム真理教の犯罪が問われない日本に国家を変造するしかない。

繰り返せば、麻原本人の肉体も滅びつつある。麻原が入滅してもオウム真理教が継続し、日本を、世界を支配してゆけばよい。暴れる信者が教団の論理で処分されても、国家がそれを不問に付すとすれば、その国家とはつまりオウム真理教の支配する国でしょう。滅びるか、滅ぼすかとはそういうことです。

■“米軍が教団を攻撃している”という妄想

では、麻原の健康状態は、昭和天皇の衰えに合わせるかのように、なぜ悪化しているのか。その理由を麻原は外部に求めてゆきました。攻撃されているというのです。

毒ガスなどで、麻原のみならず、教団全体が攻撃されているから、麻原の余命はなくなりつつあり、そこで自衛のために立ち上がらなければならないという。では、いったい誰がオウム真理教を攻撃するというのか。米軍だというのです!

そうなると、昭和天皇が老齢でいのちが尽きつつあることに麻原がおのれを重ねたという話では済まなくなってきます。むしろ昭和史全体とオウム真理教の歴史の妄想的重ね合わせが起きていたと言うべきでしょう。アメリカの重圧に対抗する自存自衛の戦争。これはまさに「大東亜戦争」の論理にほかなりません。

教祖の寿命と世界の寿命が重ね合わされ、教祖の死のイメージが世界の終わりと結びつき、戦争や災害やテロがそこに相乗してくる。宗教を巡る想像力のひとつの定石です。オウム真理教もそうでした。しかし、その連想作用に昭和が重なってくるところに、オウム真理教の時代性があったと思います。

■昭和史をなぞるように形成された終末観

昭和の新帝即位→対外的危機意識の高まり→軍事的冒険主義→敗戦→長い戦後(アメリカの占領と平和国家への試行錯誤)→昭和天皇崩御。昭和史をこのような段階分けで描けるとすれば、オウム真理教史は次のようになるでしょう。

オウム真理教誕生→対外的危機意識の高まり(米軍やその手先としての日本国家の教団に対する攻撃という妄想)→軍事的冒険主義(教団の武装化とテロ実行)→敗戦(摘発)→長い戦後(国家の監視のもとでの後継教団の平和的生き残りへの試行錯誤)→麻原らの死刑執行。

そう思ってみれば、オウム真理教の歴史は、昭和の終わりから平成にかけて、昭和史をかなりよくなぞるかたちで平成史に参与したのではないでしょうか。そういう理解の仕方もあると思います。

とにかく平成が始まると、オウム真理教は破滅的な進軍をエスカレートさせてゆきます。坂本堤弁護士一家を殺害するのが1989(平成元)年11月。武器製造のための工作機械を獲得すべくオカムラ鉄工を乗っ取るのが1992(平成4)年9月。サリン製造のためのプラントを建設しだすのが1993(平成5)年11月。

その製造物の効果を実験した松本サリン事件が1994(平成6)年6月。公証人役場事務長拉致監禁致死事件が1995(平成7)年2月。そして地下鉄サリン事件が同年3月20日。麻原逮捕は同年5月。この最終局面には同年1月の阪神淡路大震災が影を落としてもいるでしょう。

天皇とアメリカと災害。オウム真理教の終末幻想は、平成史のみならず日本近現代史の主成分にたっぷり培われているのです。

■平成とオウム史は同じ「31」年だった

はて、「31」はどうしたのでしょうか。実は、オウム真理教が前身のオウム神仙の会から真理教へと改称したのが1987(昭和62)年でした。そこから地下鉄サリン事件まで8年。さらに麻原ら13人の死刑までは23年。31年経っているのでした。もちろん平成の31年は序数ですから、死刑の年は「オウム真理教暦」というものがあれば32年ですけれども、信者死亡事件の年から数えると序数でも31年になります。

平成とオウム真理教が同じ「31」。ある意味、当然です。昭和の終わりと「王の死」をいよいよ意識するところからオウム真理教の破滅的性質が顕在化したとも考えられますから、改元時期がオウム真理教の過激化と重なるのは当たり前。平成の終わる前に、新天皇即位に伴う恩赦があるとしても、そこにオウム真理教の死刑囚の問題を絡めたくないので、改元前、少し早めに死刑執行してしまうのは、国家の論理として当たり前。

昭和の終わりに生まれ、平成の終わりに死す。平成史はこのように「オウム史」としても語れてしまうのです。

■ポスト平成史に訪れた“仮想敵”とは違うモノ

でも、それだけではありません。特に第二次安倍内閣以降の平成史・ポスト平成史には、今度は「オウム史」のなぞりとして語れる部分があるのではないか。そのようにも思うのです。

オウム真理教は危機を妄想して教団内の結束を高めてゆきました。ヒトラーにとってのユダヤ人が、麻原にとってはたとえば米軍になり創価学会になり日本政府になった。しかし、危機は非日常ですから、なかなか長く持続できるものではありません。ヒトラーの政権は12年。オウム真理教がその教団名になってからテロで自壊するまで8年。危機を煽って内部を結束させても寿命はだいたいそのくらいということです。

しかし、平成20年代、あるいは2010年代の日本には、違ったタイプの危機が訪れているような気がします。

まず地震。日本列島周辺の地殻は活動期に入って大地震が頻発しておかしくないと、学者たちは口をそろえます。その言説に真実味があると、この列島に暮らしているわたくしどもは思わざるを得ないでしょう。原子力発電所の事故が絡むと、場合によっては亡国。驚くべき危機的時代です。

しかも人事でなく天変地異のことですから、何十年とか百年とかで危機の幅を考えねばならないでしょう。言わば慢性的危機なのです。そこに、北朝鮮や中国の脅威論、日米同盟の持続性の議論、さらに経済破綻の恐怖まで絡んでくる。何れも危機としてはかなりダラダラ続くタイプになっているでしょう。

■「死」が見えず、終わりのない危機が進行している

つまり、危機意識を梃(てこ)にした国民のファシズム的連帯が、今日の日本には志向されているきらいがなくはなく、それは新興宗教的に言えば国民のカルト化と結びつく可能性もあるでしょうが、昭和の戦争の時代やオウム真理教の末路のようにエスカレーションしてゆくのとは性質が違う。

危機が昂進(こうしん)して一挙にカタストロフに至る可能性はさまざまな次元で存在しますけれど、どの危機もダラダラと際限なく続いていく公算も高い。

終わりなき非日常であり、終わりなき危機です。アメリカが2001(平成13)年に言い始めた「テロとの戦い」というものが、そもそもそういう性質です。

際限なく果てしない危機。それが時代を特徴づけているのです。

死や終末がはっきり見えてこないのだが、危機だ、国難だ、と言われ続け、もう当たり前になってしまっている。なかなか不思議な時代と言えるかもしれません。そう、平成の終わりにも「死」がない。「生前退位」ですから。麻原彰晃が煽られていたに違いない、あのエスカレーションしてゆき、瀬戸際まで追い詰められてゆく、昭和の終わりの死の重圧が、平成の終わりにはありません。

本当の死があれば、そのまま滅亡か、それとも新生・再生か。二者択一に追い詰められます。そこまで、恐ろしい話ですが行ってしまうときは、ナチス・ドイツや大日本帝国やオウム真理教のようにひたはしる。レミングのような死の跳躍があります。死の跳躍が激しく起こるのは、平時や健康時とのコントラストがきいているからでもありましょう。

■慢性的な非常時に生まれた「令」の意味

ところが、世界的には2001年9月11日からかもしれませんし、日本的には2011(平成23)年3月11日からかもしれませんが、この世は慢性的に非常時になったのです。ずっと平時がない。したがって平時とのコントラストが付かない。死の跳躍のときがとりあえずずっと繰り延べられているかのような、長い長い危機の時代なのです。

佐藤優、片山杜秀『平成史』(小学館)

昭和史とも「オウム史」とも似ているようで似ていない、平成後期史・ポスト平成史の特性です。オウムの「31」は死刑という死で切断されて結ばれたが、平成の「31」は崩御という死を伴わずに、グラデーションたっぷりに次代へと移行します。同質の危機の時代がしばらくは、いや、もしかして永遠に、続くのでしょう。

そういえば、総理大臣がテレビ演説において、自らが元号制定に与えた影響力を誇示するような調子で、元号の言葉としての意味をたっぷり説明するという、前代未聞のかたちで発表された新しい元号の、その画数は、「31」を裏返した「13」です。

だからどうしたということではないのです。ともかく、跪き平伏すという意味をいちばんにはあらわすがゆえに、字の内在する高圧性を避けたいということで、元号には使われることがなかったのではないかとも思われる「令」という漢字を、初めて入れた元号の世を迎えることになりました。よくよく注意して生きたいものです。

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片山杜秀(かたやま・もりひで)
慶應義塾大学法学部教授
1963年、宮城県生まれ。思想史研究者。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。専攻は近代政治思想史、政治文化論。音楽評論家としても定評がある。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(この2冊で吉田秀和賞、サントリー学芸賞)、『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』、共著に『現代に生きるファシズム』などがある。

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(慶應義塾大学法学部教授 片山 杜秀 写真=時事通信フォト)

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