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現代アートとは自分流に「時代を切り取る」仕事

プレジデントオンライン / 2019年10月20日 11時15分

美術家の松山智一氏(撮影=宇佐美 雅浩)

アジア人には土俵すらないとも言われる世界最先端のアートシーンで奮闘する日本人がいる。それが松山智一氏だ。ストリートカルチャーから着想を得た技法と独特の世界観の構築で、国際市場での評価を確立。ビル・ゲイツ氏やドバイの王室も作品をコレクションしている。日本でのビッグプロジェクトを控えた松山氏に、アーティストとしての立身とアートの意義について聞いた——。

■問題解決よりも問題提起を選んだ

どうやって現代美術作家になったのかとよく聞かれるんですが、僕はもともと美大に行ったわけでもなく、大学は経営学科で、学生をやりながらプロのスノーボーダーとして活動していました。そのスノーボードで足首に全治10カ月の大怪我をして「この職業を続けていくのは無理だな」と思ったんですね。それでどうしようとなったときに、雪上で自分を「表現」するのがスノーボードなら、別の世界で「表現」を生業にして生きたいと思ったんです。以前、スノーボードのデザインを手掛けたこともあって、本格的に商業デザインを学ぼうと、ニューヨークのプラット・インスティテュートという建築・デザイン系の大学に進みました。

でもそこで学ぶうちに、デザインというものに魅力を感じなくなっていったんです。僕はデザインは自分を表現する手段ととらえていましたが、デザイナーはクライアントの問題解決をする人であると教えられました。つまり、自分の個性を前面に出してはいけないということです。そこに葛藤が生まれました。

卒論は「個性を出し切ったデザイナーは生き残れるのか」をテーマにしたくらいです。ひたすら過去の事例を調べていった結果、グラフィックデザイナーが個性を出すと、ほとんどの場合食えなくなるという結論に至りました。食っていけるのはコーポレートアイデンティティという問題解決のプロだけなんです。だったら問題をただ解決するのではなくて問題そのものを提起するところまで作品を作り込んでやろうと思ったんです。それはデザイナーではなくアーティストの仕事だったんですね。それで25歳にしてアーティストを目指すことになりました。

■「ここで一番でかい絵を描けば有名になれるんじゃないかな」

アーティストに路線変更したものの、ニューヨークのアートシーンに参入していくビジョンも方法論もありませんでした。そもそも、アートをやりにニューヨークに行ったんじゃなくて、行ってからアーティストになろうと決めたわけですから。最初は自分の部屋でひたすら絵を描いていた。当然、描いても、描いても何も起こらない。だったら外で描くかと。元々スノーボーダーだったから、ストリートアートには馴染みがあったんです。

当時、ブルックリンのウィリアムズバーグというエリアがアーティスト・コミュニティになっていて、芸術家が集まって住んでいました。当時はまだ無名でしたがKAWSも住んでいたし、バンクシーも壁画を描いていた。単純な発想で、「ここで一番でかい絵を描けば有名になれるんじゃないかな」と。問題は、巨大なものは大体が違法なんです。そんな折に、たまたま知り合ったアジア系のキュレーターとコラボレーションする形で実現できて、大きな壁画を合法的に描くことができました。これがきっかけに仕事が広がったんです。

Bowery Mural
©Matsuyama Studio
キース・ヘリングやバンクシーなど、名だたるアーティストが描き続けてきたニューヨークSOHO地区の巨大な壁(Houston Bowery Wall)に今年の9月完成した松山智一の作品。 - ©Matsuyama Studio

■「コースターの裏」にVANSのロゴを入れた

あるとき、新しく開店するバーのオーナーに「店内に絵を描かせてほしい」とお願いしました。芸術家が集まるこの街で、酒場という文化が育まれるハブを通じて、面白いコンセプトでアートを届けられないかという話を持ちかけたんです。シューズメーカーのVANSが協賛についたのですが、当然のことながら、壁画にロゴを入れてほしいといわれて断りました。ロゴを入れると広告になってしまうからです。でも1万ドルの協賛金は制作に必要だった。当時僕は1日2ドルくらいで暮らしていましたから。

それで、まず外からも見えるように、店中にも僕の作品をあらゆる箇所に内装として入れ込みました。すると、壁画を見た人はなんだろうと興味を持ってお店に入ってくる。そこで一杯飲み、会話がアートから始まる。飲み物を受け取るコースターの表には僕の絵、裏にVANSのロゴを入れたんです。そうすることで、体験としての壁画、経験としてのアート、お酒を通じての対話、を含むひとつの場を提供できたんです。VANSにとっても、コースターという、そのお店での記憶と共に人々が持ち帰ることができるものにロゴを入れることができたので、ハッピーでした。

この取り組みが話題になって、インディー系のカルチャー誌が十数ページ使って僕の特集を組んでくれました。こういう雑誌がブランドのクリエイティブディレクターたちの情報源になっているんです。それを読んで連絡してきたのがナイキでした。当時、ナイキもそうしたカルチャーをフィーチャーし始めたころだったんです。作家性の高いコラボレーションが企業とできる立場になり、おかげでブルックリンのめちゃくちゃ治安の悪いところから少しずつ安全な場所に引っ越していくことができました。それで、絵を描いて食べられるようにはなったんですが、サブカルチャーの延長で、やっぱりまだ現代美術の世界には入れていなかった。

■現代のクリエイティビティは「編集」

Beautiful Stranger Beyond The Sunrise
Beautiful Stranger Beyond The Sunrise(2018年、170×266cm)素材:キャンバスにアクリル絵具及びミクストメディア(画像提供=Matsuyama Studio)

現代アートというとなんでもありのように思われるかもしれませんが、あくまでも西洋美術の歴史的文脈のなかで解釈されるものなんです。だから現代アートの世界で認められるためには、自分の作品をその歴史的文脈のなかでどう見せるかということを突き詰めていくことが求められます。僕はそのあたりの教育をまったく受けていなかったので、ニューヨークパブリックライブラリーに入り浸って現代アーティストのDVDを片っ端から見まくりました。

見ていくうちに、現代アーティストの仕事は、自分たちの時代を自分の言語で投影することなんだということに気づいた。その方法論として僕は「編集」に目をつけたんです。美術に限らず、現代のクリエイティビティってすべからく編集ですよね。例えば、パソコンを使ってさまざまな音楽を組み合わせるとか、ヒップホップやクラブミュージックの世界ではそうやって音楽をつくっていた。オリジナリティを寄せ集めて、幕の内弁当みたいにしてしまえば、それが新たなオリジナリティになるんです。

※松山の作品は江戸時代の浮世絵、狩野派や若冲などの大和絵、伝統衣装の柄、近代西洋絵画、コンテンポラリーアート、ポップアート、ファッション誌の切り抜きなど古今東西のビジュアル要素を再編集して細部までつくりこむのが特徴。本ページの作品は2018年にベルギーのブリュッセルで展示されたもの。女性作品を構成する要素は女性・屋内・西洋柄、一方で男性作品を構成する要素は男性・屋外・東洋柄。一対の作品で時代と世界観を表現している。  

■現代アートは「ルールブックの改正」

Nothing's Burning Underground
Nothing's Burning Underground(2018年、173×266cm)素材:キャンバスにアクリル絵具及びミクストメディア(画像提供=Matsuyama Studio)

実は僕は絵が下手なんです。絵を描くということに関して、アカデミックなトレーニングは一切受けてないので。でも、「編集」という観点で考えると、ヒップホップだって楽器が弾けない人たちがいろいろな音楽を合法的にミックスしてループをかけてオリジナルの音をつくっているなということに気がついて、これをアートでもやればいいんだと思ったんです。

それと似た感覚で、(葛飾)北斎や(伊藤)若冲の面白い要素を拝借したり、ポップアートやファッション誌を切り取ったりして、一つの見たことない絵になるまでいじり倒した。ただ人の絵を描き直すなんて、誰もがやろうとしなかったので、最初はこんなことやっていいんだろうかと恐る恐るやっていました。「アートにおける編集」って誰も突き詰めていなかったんです。

現代アートとは西洋技術史の文脈のなかで、そのアーティストの生きている時代を切り取って、そこにアーティスト独自のステートメントを組み込んだものです。それを「アート」と命名する。その作品に説得力があるか。見た人が「新しい」と思うか。つまり芸術家がやることは「ルールブックの改正」です。自分勝手な表現行為ではないし、職人技を極めたものづくりとも違います。アンディ・ウォーホルは大量生産、大量消費のアメリカ社会を切り取って、マリリン・モンローの肖像画をスクリーンプリントで大量に生産したり、「ピス・ペインティング」といって、銅の顔料を塗ったキャンバスに放尿して抽象絵画のように見せたりしました。ときに暴力的であっても、非常識であっても、時代を鮮やかに切り取って見せるのがアーティストの仕事なんです。

■「アートは鑑賞するもの」と思われていた

僕は昨年、10年ぶりに日本で個展を開きましたが、それまでアジアでの拠点は香港でした。香港は「アート・バーゼル」の開催地にも何年か前になったことから、アジアのアート市場のハブになっています。香港のハーバーシティでパブリックアートの展示をしたところ、中東圏にも作品が広がり、そこからヨーロッパにも進出しました。香港経由で中国でも仕事をしています。

日本はアートを見ることにつけては世界で一番といってもいい。美術館で若冲の展示があれば数時間でも並ぶでしょう。でも、現代の日本には生活の中に芸術がない。アートは鑑賞するものという概念がいまだにあって、だから僕自身も日本での活動の糸口をなかなか見つけられなかったということもあります。それがこの数年で少し変わってきたように思います。

たとえば若い起業家や経営者層が、アートに対する興味を非常に持ち出しました。最終的にものの価値ってどこに行き着くかと言えば、「有用性がないもの」なんですね。有用性があるものには価値の限界がある。世界有数の大規模な美術館や博物館がなぜあるのかといえば、世界の価値観の集合体は、権威となるわけで、文化にはそういう側面がある。だから経済的な豊かさと文化は切り離せないんです。

撮影=宇佐美 雅浩
現在はニューヨーク・ブルックリンにスタジオを構える - 撮影=宇佐美 雅浩

■「意義や価値」を伝えていかないと流行りで終わる

いまの日本で若い起業家や経営者層が何をもって自分の豊かさを定めるのか考えたときに、若くて影響力のある経営者が「芸術」という感覚に興味を持ち出した。いっぽうで経営哲学の中にアートを組み込むという風潮も出てきていますよね。つまりいろいろなアングルからアートがやっと見直されつつあるように思います。ただ、アートというジャンルが話題になったら、それに乗じてアーティスト自身も「アートの意義や価値」を啓蒙していかないと、「流行り」で終わってしまう。

アートにおける成功を指す要素は「コマーシャル」と「クリティカル」だと言われていて、前者は証券性やマネタイズという意味での物質的な価値、後者は批評性、つまり歴史に伸るか反るか、アートの厳しい批評軸を超えて、評価を獲得し系譜に乗るかということです。そうした意味で、ぼくら作家はその二重構造の中で戦い、両方の評価を獲得して初めてプロといえるようになります。

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松山 智一(まつやま・ともかず)
美術家
上智大学卒業後2002年渡米。NY Pratt Instituteを首席で卒業。ペインティングを中心に彫刻やインスタレーションも手がける。これまでにニューヨーク、ワシントンD.C.、サンフランシスコ、ロスアンゼルス等の全米主要都市、日本、ドバイ、香港、台北、ルクセンブルグなど、世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて個展・展覧会を開催。Microsoftコレクション、ドバイ首長国の王室コレクション、サンフランシスコのアジアンミュージアム、アメリカのホテルグループAndre Balazs やCosmopolitan Hotel Group等に作品が収蔵されている。ロスアンゼルス、新宿などでパブリックアートのプロジェクトが進行中。2012~2017年、ニューヨーク市立美術大学スクール・オブ・ビジュアルアーツ(SVA)の非常勤教授。2013年、ハーバード大学でアーティストプレゼンテーション及び個展を開催。現在はニューヨークブルックリンにスタジオを構え、活動を展開している。

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(美術家 松山 智一 構成=吉田 直人)

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