どう考えてもおかしい「香典半返し」という習慣
プレジデントオンライン / 2019年11月14日 9時15分
※本稿は、島田裕巳『神社で拍手を打つな!』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■1970年代の「怪しいアルバイト」
それはかなり昔のことである。
1970年代の半ばだった。
私の知り合いがアルバイトをやっていた。
東京都内でのことで、区役所の出張所に行って、最近亡くなった人を調べ、その住所を書き写してくるという仕事である。個人情報のことがうるさく言われるようになった今日からすれば、あり得ない仕事である。その目的は、香典返しを専門に扱っている業者が、最近葬式を出した家にダイレクトメールを送り、香典返しの品を買ってもらうことにあった。その当時でも、これは、かなり怪しげなアルバイトに思えた。人の不幸につけこんでいる。そんな印象を受けたからだ。
しかし、葬式にまつわるしきたりについて考える際に、この時代に、そうした仕事があったということは興味深い。なぜ興味深いかと言えば、業者がこうしたダイレクトメールを出していたということは、この時代にはまだ香典返しというしきたりが十分には確立していなかったことを意味しているからだ。
現在では、葬式で香典を貰(もら)ったら、お返しをする。そうしたしきたりが確立されている。たとえ、業者が、その家が葬式を出したという情報をつかんでダイレクトメールを送ったとしても、すでに葬祭業者がその手はずを整えているので、仕事にありつけることはほとんどない。今は、そんなダイレクトメールを送る業者自体が存在しないはずだ。
■農村では「米」をもちよることもあった
葬式の際に、香典をいただいたら、お返しをする。そうしたしきたりが、今では定着している。お返しは、基本的に「半返し」とされ、香典の額の半分を、遺族は品物を選んで届けることになる。最近は、カタログが送られてきて、そのなかから選ぶというやり方も多くなった。
香典は、「香奠」とも書かれ、仏教用語とされる。仏教関係の辞典にも、「香奠」の項目があり、「香資(こう し)」「香銭(こう せん)」とも言い、奠には、すすめる、そなえるの意味があるとして、次のような説明がなされている。
「原義は仏前または死者の霊前に香をそなえること、またその香物。現在では、香を買う資金または香の代品という意味で、親戚や知人がもちよる金品を意味することが多い。農村では米などをもちよることもあった」
その上で、香典返しについては、次のような説明が加えられている。
「葬儀や法事で施主はまとまった出費がかかるため、まわりの者はその一部にと香奠を提供するので、仏事が終わり余りが出れば、香奠返しをする。また仏具などを買って菩提寺に寄進する」(『岩波仏教辞典』)
この説明で注目されるのは、香典返しは必ず行われるものではなく、葬式を出して、香典が余った場合に行われるとされていることである。ということは、余らなければ、しないものであり、する必要がないということにもなる。
■本来は経済的な負担を軽くするためのもの
香典が、葬式を出す遺族の経済的な負担を軽減するために行われるものであるなら、本来、香典で全体の費用がまかなえない場合には、お返しをする必要はない。ところが、今のしきたりでは、余りが出ようと出まいと、お返しは必ずするものとなってしまった。
塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』は、最初にふれたアルバイトが行われていたよりも前の1970年の刊行なので、香典返しについては、「香典は、他家の不幸に同情し、相互扶助的な意味もあって贈られたのですから、感謝の挨拶状だけでもよいのです」と述べられている。
香典返しは、業者の手を通して行われる。半返しなら、香典の半分は遺族にわたっても、残りの半分は業者の手に入る仕掛けである。カタログなど、さほど欲しいものが選べるわけではなく、いつの間にか忘れ、期限が過ぎてしまう。そうなったとき、果たして残金は遺族に返還されるのだろうか。
これは、どう考えてもおかしなしきたりである。
では、そこに疑問を感じて、遺族が香典返しをしないということはあるのだろうか。また、できるのだろうか。
そこはなかなか難しい。
もちろん、香典返しがこなかったからといって、香典を出した側が抗議をすることはないだろう。だが、人は意外にそのことを覚えているものだ。
「あの家は香典返しもしない」
そんな評判を立てられても困る。そう考える人も少なくないだろう。
■香典返しを広めた人類普遍の法則
香典返しというしきたりが広がった背景には、人類全体に普遍な法則が関係している。その法則とは、文化人類学の世界で用いられる「互酬性(ご しゅう せい)」である。互酬性についての古典的な研究に、フランスのマルセル・モースによる『贈与論』がある。これにはもともと「アルカイックな社会における交換の形態と理由」という副題がついていた。それというのも、互酬性は、古代の社会、あるいは未開の社会に見られる現象としてとらえられていたからである。
古代や未開の社会においては、モノには魂が宿ると考えられていた。モノは、たんに物質的なものではなく、魂を持った人格と見なされている。そうした社会では、権力を持つ人間は、自分の気前のよさを示すために無制限にモノを贈与する。これは、北米の原住民のあいだで「ポトラッチ」と呼ばれ、このことばが一般にも用いられるが、受けとる側はそれを拒否してはならないとされる。さらには、お返しの義務が伴うのである。
■「恩や義理」を返そうとする日本人の心性
その互酬性が、近代の日本社会において生き続けていることを示したのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトだった。彼女は、『菊と刀』という本を書き、当時は敵国だった日本人の心性を研究の対象とした(本の刊行は戦後の1946年)。
『菊と刀』と聞けば、多くの人は、欧米の「罪の文化」と日本の「恥の文化」の対比を思い起こすだろう。たしかにベネディクトは、『菊と刀』のなかで、罪の文化と恥の文化の対比に言及している。だが、その部分はわずか2ページである。しかも、13章あるうちの10章になってようやく出てくるに過ぎない。
『菊と刀』の日本語訳が出たのは、原著刊行の2年後の1948年のことだった。ところが、日本での評判はかなり悪かった。日本を占領している国の人間が、日本に来たこともないのに、勝手なことを言っていると考えられたのかもしれない。たしかに、読んでみると、見方が皮相であったり、誤解している箇所が目につく。
だが、ベネディクトが、日本文化の特徴として、恥よりもむしろ「恩」や「義理」の重要性を指摘したところは、今見ても評価に値する。日本語訳が出た直後に、珍しくこの本を評価した人間に法学者の川島武宜がいるが、彼は、恩の概念について分析した5章と6章をとくに優れているとした。
ベネディクトは、恩や義理を受けたと感じている日本人は、なんとかそのお返しをしようと試みることを指摘した。恥もまた、その文脈のなかでとらえられており、恥を知る人間は、恩や義理を受けたことを生涯にわたって忘れず、どこかでそのお返しをしようとするというのである。
日本人にはこうした心性が現代においても生き続けているため、香典を貰ったら、それにお返しをしなければならないと考える。業者は、そこに目を付け、半返しの習慣が生まれるように誘導していった。日本人は、なかなかそれに逆らえないのである。
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宗教学者
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。自身の評論活動から一時「オウムシンパ」との批判を受け、以後、オウム事件の解明に取り組んできた。2001年に『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を刊行し話題に。『戒名』『個室』『創価学会』『神社崩壊』『0葬』など著書多数。
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(宗教学者 島田 裕巳)
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