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「麒麟がくる」の"美濃の蝮"斎藤道三はなぜ、油売りから国主になれたのか

プレジデントオンライン / 2020年3月22日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/taa22

斎藤道三(1494~1556)
戦国時代初期に活躍。油売りから美濃の国主になり下剋上の代表格に挙げられる。娘は織田信長の妻・帰蝶。最期は息子・義龍に殺された。

■中学一年のときに母親が買ってくれた『国盗り物語』

2019年4月に東京海上日動火災保険の社長に就いた広瀬伸一氏は、岐阜県生まれの名古屋育ち。そのため同郷の英雄である斎藤道三は、子どもの頃から身近な存在だった。

「興味を持ったきっかけは、私が小学6年のときに斎藤道三が主役のNHK大河ドラマ『国盗り物語』の放映が始まったこと。家族揃って見ていたら、中学に入るときに母親が司馬遼太郎の原作の小説を買ってくれましてね。私が生まれたのは岐阜の郡上八幡という奥美濃の田舎で、名古屋へ引っ越してからも父の仕事の関係でよくこの地を訪れていましたから、作中に出てくる地名も馴染みのあるものばかり。道三が拠点とした稲葉山城がある金華山をはじめ、土岐や清洲なども土地勘があるので、すぐ物語に引き込まれました」

斎藤道三は一介の浪人から京都の油売りを経て、やがて美濃の国主にまで上り詰めた人物。まだ名もなき若者の頃から「いつか一国の主になる」と思い定めた道三は、その優れた武芸と才覚で頭角を現し、謀略を重ねて邪魔者を排除しながら自分の目的に向かって突き進んでいく。そしてついには、自分を信頼し腹心として引き立ててきた守護大名・土岐頼芸を美濃から追放してその座を奪い取り、念願の“国盗り”を成し遂げる。

目的のためなら手段を選ばぬ下克上ぶりは、「美濃の蝮」と呼ばれて恐れられた。2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも本木雅弘演じる悪役風の道三のキャラクターが視聴者の人気を集めている。

■経済を活性化しようとした道三

「確かに道三はまったくの善人ではないかもしれませんが、生きるか死ぬかの戦国の世で勝ち残っていくには、こうした厳しさが必要なのでしょう。その一方で、道三は自分の領民たちには慕われていました。優秀な人材であれば出自や血筋にかかわらず取り立て、重要な仕事を任せている。これはまさに今でいう実力主義人事です。さらには、寺社による物品の専売制を廃止し、領民たちが自由に商売できる『楽市楽座』を実現させようとした。これは現代なら規制緩和でしょう。こうして古くからの因習を打ち破り、自由化によって経済を活性化しようとした道三は、素晴らしい改革者でもあったわけです」

広瀬氏は「歴史が面白いのは、1人の人物や1つの出来事について様々な見方ができること」と解釈する。

「例えば明智光秀も、裏切り者というイメージがある一方で、実は多芸多才で医学や芸術にも通じたマルチタレントでもあった。同じように道三という人物も、いろいろな捉え方ができるのが興味深いところです」

子どもの頃から道三の生き方に触れてきた広瀬氏だが、社会人になってからは、その生き方をビジネスや企業活動に重ね合わせることが増えた。

「自分がやりたいことを明確な目標として定め、自分を信じてやり抜く。これが道三の魅力であり、すごさです。自分が社会人になってみてよくわかりましたが、物事をやり抜くのはそう簡単ではない。特に会社組織にいると、どうしても上の人間の意向を忖度することを考えたり、1度はやろうと思ったことでも、周囲から反対されると諦めてしまうこともありますから」

確かに道三のやり抜く力は際立っている。「国主になる」と決めてから、それを実現するまで20年以上。『国盗り物語』では、よそ者である道三が出世していくのを面白く思わない政敵や、「楽市楽座」を阻止しようとする旧勢力から送り込まれた刺客に、たびたび命を狙われる場面が描かれる。これは司馬遼太郎の脚色だとしても、現実も周囲からの反発は相当なものであったことが容易に想像できる。

それでも道三が目標の達成を諦めることはなかった。そんな道三に倣い、広瀬氏もリーダーとして「やり抜く力」を大事にしてきたと振り返る。

斎藤道三の蝮がごとき波乱万丈の生涯

「私は部長時代に、全社的な業務改革プロジェクトを率いたことがあります。もう10年以上前ですが、当時は代理店がお客様のもとを一軒ずつ回って保険料を手集金していました。しかも集金したお金が帳簿と合っているか、そのチェックに膨大な労力がかかっていた。これではあまりに非効率です。そこで保険料の受領をすべて口座振替やクレジットカード払いにするキャッシュレス化を進めることにしました」

ところが、社内や代理店から上がったのは猛反対の声だった。

■自分が悪者になってでもプロジェクトをやり抜く

「当時は他社も手集金が大半でしたから、『うちだけがキャッシュレスにしたら、お客様が他社に流れるじゃないか』『毎月お客様のところへ集金に行くから、接点が増えて次の契約獲得につながるのだ』といった声ばかりで、とにかく抵抗がすごかった。でも、足で回って集金したり、帳簿をチェックする作業自体は、お客様に何の価値も生み出しません。だからそんな作業は減らして、コンサルティングなどのお客様に価値を提供する仕事をやったほうがいいはずだ。私はそう考えて、自分が悪者になってでもプロジェクトをやり抜くと決めました」

そこで広瀬氏は、海外の先進事例を紹介しながらキャッシュレス化のイメージを具体的に伝えるなど、このプロジェクトが自社や顧客にどんなメリットがあるのかを丁寧に説明して回った。さらにはキャッシュレスでしか運用できない商品を開発し、手集金から脱却せざるをえない状況をつくり上げていったという。

「その結果、業務は非常にシンプルになり、最終的には社内や代理店からも『キャッシュレス化してよかった』との声を多く頂きました。自分を信じてぶれずにやり抜いたのは、やはり正しかった。サラリーマン人生のいくつかの局面で、同様に周囲の反対を受けながら従来のやり方を変えてきた経験がありますが、そのたびに道三と自分を照らし合わせてきた気がします」

損保会社の社長として、戦国武将たちに自分たちのミッションを重ねることも多い。

「戦国武将は自分の領地を守るために、治水工事に力を入れました。明智光秀は福知山城の建設に伴って大規模な堤防を築いていますし、武田信玄も『信玄堤』と呼ばれる河川堤を造りました。現在の日本でも、災害に強い国づくりが求められている。そして保険会社にとって、災害からの復旧・復興支援は大きな使命です」

そのために、新たな施策も次々と打ち出している。最近では、大規模水害の発生時に被災地を人工衛星で撮影し、それをAIで分析して被害の範囲や浸水の高さを数日で把握できるシステムを導入。迅速な保険金の支払いが可能になった。

「戦国武将たちは新しい刀や鉄砲などの技術を積極的に取り入れ、徹底的に使い倒して成果を出しました。我々もデジタルやAIなどの新しいテクノロジーを活用し、お客様に価値を提供し続けていきたいと思います」

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広瀬 伸一(ひろせ・しんいち)
東京海上日動火災保険社長
1959年、岐阜県生まれ。名古屋大学経済学部卒。82年、東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)入社。東京海上日動あんしん生命保険取締役社長などを経て、2019年4月より現職。

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(東京海上日動火災保険社長 広瀬 伸一 構成=塚田有香)

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