なぜ「在庫は十分」なのにトイレットペーパーが買えなくなるのか
プレジデントオンライン / 2020年3月13日 11時15分
■日本史の教科書で見た「あの光景」が現実に
(朝日新聞『デマ拡散、トイレットペーパー消えた 「在庫は十分」』2020年2月28日)より引用)
かつて日本史の教科書で見た「トイレットペーパー買い占めに殺到する人びと」の光景を、まさか2020年にリアルタイムでお目にかかることになるとは思いもよらなかった。
状況は瞬く間に拡大し、ドラッグストアや雑貨店の棚からはトイレットペーパーどころか、ティッシュペーパーや生理用品もその姿を消してしまった。「国内生産されている紙類が(マスクのように)なくなることはない」との呼びかけが続くなか、今度はスーパーマーケットから米が消えてしまった。「米の供給に影響はない」と落ち着くよう求めていると、さらに納豆が消えた。納豆がコロナウイルスに効果あり、という噂が流れたせいだという。ついには、「花崗岩がコロナウイルスに効く!」などと称して、その辺に落ちている石ころが高値で売りに出され、人びとはそれに群がっていった。
■かつてよりも「デマ」の影響力が大きくなった
(テレ朝news『「コロナに効果」と石がフリマで…便乗商法に警鐘』(2020年3月3日)より引用)
店頭のみならずニュースやSNSでも「紙製品がなくなるのはデマだ」と再三の呼びかけがなされているにもかかわらず、もはやこの流れはだれにも止められない状況になっている。
デマによって一度火がついてしまった集団的パニックは、情報コミュニケーション技術が発展した現代社会において、ますます克服困難になっている。デマはかつてよりもその影響力を強めており、今後の大きな社会的課題となりえるだろう。
■「些細なことば」が巨大なうねりを作り出す
デマによるパニックの特徴として、もはや発信源がどこだったのかを特定することができない(また、拡大してしまったあとは特定に大した意味がない)という点が挙げられる。
今回の騒動も「この人物がデマの発端だった」とする情報をいくつか目にすることができたが、もはやそれが本当に震源だったのかを確定することはできない。「こいつがデマの発端だ!」という犯人捜しの指摘それ自体も、事態が進展した状況となってしまっては、真偽不明な「デマ」となってしまう可能性を有していることは留意しておきたい。
デマのきっかけとなったのは、だれかが何気なく発した、じつに些末な一言であることがほとんどだ。だれかの何気ない小さなことばは、蝶の羽ばたきが対岸の嵐をもたらすバタフライ・エフェクトのように、やがては巨大なうねりを作り出していくこともある。1973年12月、ほんの数日間で、20億円もの預金が一気に引き出される取り付け騒ぎにまで発展した「豊川信用金庫事件」は、通学中の女子学生たちの何気ない会話がその発端となっていた。
今回でいえば「紙製品は中国が生産している。マスクも紙製品であり、中国が生産していた。ということは、きっとほかの製品も、マスクのようにまもなく品薄になってしまうに違いない」という、出所のわからない筋書きが、その波紋を大きなうねりへと変貌させたのだ。
■「これはデマだ」と即座に判断するのは難しい
冒頭で述べたとおり、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどの紙製品は多くが国内生産されており、「中国からの輸入が途絶えれば枯渇する」といった言説は事実ではない。
しかしながら、こうした言説を即座に「デマである」と判断することは難しい。私たちはデマに踊らされている人を目の当たりにして「自分はこんなものが最初からデマだとわかっていたのに、愚かな人たちだ」と感じてしまうかもしれないが、それは「後知恵バイアス」という心理的傾向によるものだ。
あとから事実関係を知っている状態であれば、起きてしまった出来事をいかようにも評価できてしまうが、私もこうした言説を即座に否定できる自信はない。「怪しいがしかし説得力が皆無とはいえない言説だ」とひとまずは評価してしまうだろう。社会が混乱しているときにはなおさらだ。
また、デマに踊らされてトイレットペーパーを買い占めた人は、実際に買い占めが発生したことによって街からトイレットペーパーが消えた光景を目の当たりにする。そうなると「ああ、やっぱり品切れになった。自分が先に買っておいたのは正解だったのだ」という成功体験を得てしまうので、「デマに奔走した人びとのせいで枯渇したのだ」という反省を得ることは難しくなる。社会心理学でいう「予言の自己成就」である。
■「デマを見抜いた人」も行列に加わる
「2月上旬にうかうかしていたせいで、マスクを買うことができなかった」という失敗経験が市民社会には広く共有されているせいで、「この情報についてあれやこれやと真偽を検討する前に(それで後悔するよりも)念のために買っておいた方がいいだろう」と、多くの人が直感的な判断を下す可能性が高くなってしまう。
実際のところ、ドラッグストアや雑貨店に殺到した人はみな、デマを完全に信じ込んだ人ではなかっただろう。むしろデマであることを見抜いていた人もいたはずだ。賢明なはずの彼らが結局行列に加わったのは、たとえデマを見抜いていたとしても、現実にトイレットペーパーが買い占められてしまっては、自分の生活が困ることにはまったく変わりがないからだ。
適切なリテラシーを持っている人がデマであることを見抜いていたとしても、しかしそのリテラシーによって買い占めの巨大なうねりを防ぐことはできないなら、やはり街からトイレットペーパーがなくなってしまって自分の生活に支障が出るのを避けるため、デマに踊らされた人が押し寄せる前に先んじて買っておかざるをえない。
皮肉なことに、「リテラシーを持っている人」は「デマに踊らされた人」と、結果的には同じ行動をとるように仕向けられていく。個人が適切な情報を判断できるだけのリテラシーを持っているかどうかは、大きなうねりが発生してしまったあとでは意味を持たないのだ。
■不安な心に、デマはスッと入り込んでくる
非常時において、私たちはたやすく不安になってしまう。
私たち人間は不安を抱えたまま生活することを嫌う。不安を抱えたまま生活することは、人間にとって多大なストレスになる。生存が脅かされている状況下から速やかに脱するために、不安という信号に敏感になるように認知機能を進化させたからだ。
不安の渦中に放り込まれると、すこしでも早く安心を得て、自分の生活に落ち着きを取り戻したいと行動を開始する。そのときに人は「(自分の不安を鎮めることのできる)納得できる物語」を求める。重要なのは「正確な情報を得て冷静な判断力を取り戻したい」のではなく「まず安心したい」ということだ。自分の頭の中を支配する「言い知れぬ不安」を鎮めてくれるような物語でさえあればなんでもよいのだ。その物語がたとえ不正確な情報、あるいは根も葉もないデマであったとしても。
今回のような非常事態によって、社会が大きな不安に呑み込まれるとき、デマは人の心の隙にスッと入り込んでくる。社会的動揺によって生じる「安心したい」という人びとの強い欲求は、平常時なら正常に機能していたはずの「リテラシー」という名のファイアウォールを緩めてしまうからだ。
■SNS時代には「デマ撲滅のコスト」が肥大化する
デマが拡大し、それが実社会に害をもたらすことを食い止めることは、デマを打ち消すための「正確な情報」を広め、多くの人がデマではなく「正確な情報」を選択的に取得することによって達成される。
だが、それはSNS時代には、ほとんど達成不可能になってしまうだろう。インターネットによって多くの人が正確な情報にアクセスしやすくなったことは、デマ情報にもアクセスしやすくなったことを同時に意味するからだ。
「正確な情報」を発信するためには、専門的な知見と客観的証拠を集め、莫大な費用と手間をかける必要がある。一方で、デマはそのような「正確性を高めるためのブラッシュアップ」の工程をまったく必要としない。スマートフォンやPC画面上のリツイートボタンを押すだけでいい。拡散速度には圧倒的な差がある。ひとつのデマを打ち消すための「正確な情報」を世に送り出すための時間と労力が費やされている間に、デマは瞬く間に拡大して不可逆なうねりを作り出してしまうし、新しいデマも作り出されていく。
■「良かれと思って」拡散する人たち
また「正確な情報」は概して難解であるし、しばしば直感に反している。「紙製品が豊富にあるのだから買い占めに意味はない」という「正確な情報」がもたらされたとしても、いま自分の街のドラッグストアの棚からはトイレットペーパーがなくなっているのだから、その「正確な情報」は受け入れにくい。
デマを流す人が悪意の塊であるとはかぎらない。「自分が安心できたこの説明を、周囲の人にも届けてあげなくては」といった善意でも拡散される。SNSにおいては「道徳的感情」に訴えかけるようなメッセージがより大きな拡散力を持つことを示す研究もある。デマを撃退するための「正確な情報」は、人の善意を否定することがしばしば求められる。それがときに、相手に情報を受け入れてもらうどころか、かえって態度を頑なにしてしまうことさえある。
「それはデマですよ」と指摘された人が、反省するどころか「たとえ情報が不正確だったとしても、注意喚起としての意義はあったのだ! 人の善意を踏みにじってなんの意味があるのだ! 馬鹿にするな!」などと逆上してしまう様子をSNSで目にしたことがある人は多いだろう。
「正確な情報」は、デマだけでなく「人の感情」ともしばしば対峙しなければならない。
■「デマを流す人」を馬鹿にしてはいけない
新型コロナウイルスに関しては、現時点ですでにたくさんのデマ情報が流れている。そして今後もまた、「新型デマ」は大量に現れることだろう。
たとえ「大きなうねり」にはいま抗えなくとも、そのうねりは永続するわけではない。そのうねりの勢いはいつか弱まる。大きなうねりの潮目の変化が訪れたとき、速やかに「正確な情報」が勝利できる体制を整えられるか、あるいは次なるデマの台頭を促すのかは、デマが広がるさなかにおける現在の私たちの行動にかかっている。
ただし、デマを信じる人びとに正確な情報を伝えることは重要だが、その際にはあくまで「倒すべきはデマであって人ではない」ことを肝に銘じなければならない。間違ってもその人を嘲笑してはならないし、個人の感情を軽視したり侮蔑したりしてはならない。人は自分の気分を害する人の情報など受け入れようとはしないからだ。
「正確な情報」は「SNSで無知蒙昧な人を馬鹿にして優越感を得るための手段」ではなく「虚偽による社会的混乱を鎮めるための楔(くさび)」である。ある人を殴りつけるために「正確な情報」を用いた場合、問題解決につながるどころか、最悪の場合は大きな政治的対立にさえ発展しうる。「正確な情報」を持つ人びとが説得するのではなく「デマに騙されているこの馬鹿どもめ」と相手を殴りつけることで、しばしば大きな対立構造が生じてしまう。全世界の各所で「反ワクチン」のムーブメントが巨大化したことは記憶に新しい。
たかがトイレットペーパー、たかが石ころと言ってしまえばそれまでだが、この現象は今後のウイルス・パニックによる社会不安の小さな予告編にすぎないかもしれない。「愚かな大衆の哀れな光景だ」と嘲笑し過小評価するのではなく、それぞれがリテラシーを持ちながら冷静になり、協調的に社会の安定性を回復していく営みが求められる局面としてとらえるべきだろう。
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文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。
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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)
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