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なぜタピオカは秒速で国民食になったのか

プレジデントオンライン / 2020年5月6日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Makidotvn

■なぜ秒速で国民食になったのか

大旋風を巻き起こしたタピオカ。実はブームとしては3度目だという。その仕掛け人が台湾発祥のお茶専門店「春水堂」の代表・木川瑞季氏だ。

「実は、最初からタピオカを流行らせようとしていたわけではないんです。高品質でおいしいお茶を提供する春水堂に惚れ込み、日本にもそのお茶を広めたいというのがスタートでした」

春水堂は2013年7月に日本1号店を代官山にオープン。台湾本店の看板商品であるタピオカミルクティー等を販売していた。開店当初こそ台湾人気店の春水堂が日本初進出という話題性で行列ができたが、冬には客足が遠のいた。

「お客様を増やさなきゃとひねり出したのが、ブランディングの変更です。当時春水堂は本格的なお茶の専門店としてPRしていたのですが、日本茶の専門店と勘違いする人も多かった。そこで“台湾カフェ”という新しい言葉でブランディングし直したんです」

ちょうどそのころ、LCCの台湾便の増加などにより、海外旅行の人気ランキングで台湾が1位になっていた。台湾ブームの到来を敏感に感じ取ったうえでの戦略だった。

「台湾のパイナップルケーキやマンゴーかき氷の店も表参道にできたので、“台湾スイーツ”という言葉もつくりました。その看板商品としてタピオカミルクティーを前面に押し出すことにしたんです」

■いくつかの台湾ブランドが日本に進出

メディアへのプロモーション活動を開始したところ、女性向けの雑誌やテレビの情報番組で取り上げられるようになった。この状況を見て、日本のマーケットにチャンスありと15年に台湾の有名ティーカフェ「ゴンチャ」などいくつかの台湾ブランドが日本に進出。さらに後押しとなったのは、17年の台湾のティースタンド「The Alley」の進出だ。有力な台湾のティーブランドが出揃うことで、タピオカミルクティーの人気と認知度が上昇。それを見た他の企業も続々と市場に参入しタピオカミルクティーの店が急増。一日に複数店をはしごする客も増え、SNSと口コミによって爆発的に広がっていった。

「やはりブームって1店舗じゃつくれないんですよね。もう1つ追い風になったのは、この年はほかに大流行したスイーツがなかったこと。タイミングがよかったというのはあると思います」

しかし19年半ば以降はプラスチックごみや健康面などが問題視されはじめた。木川氏が考える次の手とは?

「大ブームになると必ず反動がくるのはわかっていました。一過性のブームにしないために、18年にタピオカミルクティー協会というファンコミュニティをつくったり、オフィスワーカーに向けていち早くモバイルオーダーを導入しました」

このような活動が奏功し、今も客層が広がっているという。

タピオカブームの歴史

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木川瑞季(きかわ・みずき)
オアシスティーラウンジ代表取締役
マッキンゼー入社後、台湾「春水堂」を日本で展開するオアシスティーラウンジに転職。

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(山下 久猛 撮影=早坂卓也)

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