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「自粛ポリスに任せればいい」安倍首相が責任回避の言葉を繰り返すワケ

プレジデントオンライン / 2020年4月10日 13時15分

首相官邸ウェブページより

4月7日、安倍晋三首相は7都府県に「緊急事態宣言」を出し、記者会見を開いた。コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏は「外出自粛を強く要請する一方、欧米のロックダウンとは違うとも強調し、どっちつかずだった。結局、『政府や自分は責任を取らない』と言ったも同然だった」という——。

■「緊急事態宣言」の安倍首相会見の狙いは「国民よ、忖度せよ」

安倍晋三首相が4月7日、「緊急事態宣言」を7都府県に発出し、その理由を国民に語った。これまでの記者会見に比べ、安倍首相は「伝える努力」をしていた。だが、やっぱり腑に落ちない。なぜなら、鬼気迫る危機感はなく、国民を励ますわけでもなく、連帯感を喚起させるわけでもないからだ。

結局、日本のリーダーのコミュニケーションとは「通達」でしかなく、国民はその言葉の行間を読み、意図を忖度(そんたく)して、緊急事態宣言の安倍首相会見を採点しなければならない。改めて、そう気づき落胆した。

「忖度させる力」をフル活用する安倍劇場の「深謀遠慮」を読み解いてみよう。

■安倍首相は国民に、安心も希望も恐怖も与えなかった

日本で初めての「緊急事態宣言」を発令するにあたり、安倍首相はこれまでとは異なり、いくつも工夫している様子がうかがえた。

まずは視線だ。左右交互にプロンプターを見やり、原稿を読むスタイルは変わらないが、前回までのロボットのような不自然さはなく、正面を見る回数がぐっと増えた。また、医療従事者や「物流を守るトラック運転手の皆さん」に言及するなど、現場の頑張りに触れるという欧米のリーダーの演説スタイルを踏襲していた。

米国フランクリン・D・ルーズヴェルト(FDR)の郵便切手
写真=iStock.com/PictureLake
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PictureLake

違和感のあったマスクは外しており、ビジュアルの印象もよくなっていた。さらには、1930年代の世界恐慌当時のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの就任演説での言葉「私たちが最も恐れるべきは恐怖、それ自体」を引用し、リーダーシップを印象付けていた。

ただ、違和感も残った。

国や企業のトップによるスピーチやコミュニケーションの要諦は、聞き終わった後、聞き手にどんな「感情」を喚起し、その脳裏にどんな「メッセージ」を残すかである。今回、筆者にはそのどちらも残らなかった。

前者の「感情」では、海外のリーダーは、励ます、鼓舞する、勇気づける、危機感をあおる、といったことを意識して話す。

例えば、イギリスのエリザベス女王やドイツのアンゲラ・メルケル首相の演説は、聞く人の心を揺さぶる。コミュニケーションで人を動かそうとするのであれば、それだけの言葉と熱量を発さなければならない。

しかし、安倍首相の会見では、安心も希望も恐怖も感じない。感情の心電図はフラットのままだ。

■もっと劇的に演出できれば切迫感を伝えられたはずだが……

後者の「メッセージ」では、国民の受け止め方はいろいろあるだろう。だが、筆者としては、「結局、何?」ということしか残らなかった。あえて意図しているのかもしれないが、総じて表現があいまいで歯切れが悪い。だから事態の深刻さが伝わってこないし、「もう大丈夫」という安心感もない。

切迫感を伝えたいのであれば、「緊急事態宣言」をもっと劇的に演出できたはずだ。ところが、長々と前置きをした後に、「先ほど諮問委員会のご賛同も得ましたので、特別措置法第32条に基づき緊急事態宣言を発出することいたします。対象となる……」と事務的に言うだけだった。

スライドやフリップ(ボード)などを背に、言葉の間(ま)を十分にとり、威厳をもって宣言するシーンを作り出せば、メディアはきっとその部分を切り取り、繰り返すため、国民に印象付けることができただろう。

■まどろっこしい「外出しないよう要請すべきと考えます」

ことばは相変わらずまどろっこしかった。たとえばこんなフレーズがあった。

「生活の維持に必要な場合を除き、みだりに外出しないよう要請すべきと考えます」
「外出自粛をお願いします」
「3つの密を避ける行動を徹底していただくよう、あらためてお願いいたします」

有事の際は、こんな遠慮がちな表現は避け、こうストレートに言うべきだ。

「外出しないよう要請します」
「外出を自粛してください」
「3つの密を避ける行動をとってください」

■外出自粛を強く呼びかけ、再三「都市封鎖ではない」はズルい

なにより戸惑うのは、外出自粛を呼びかけながらも、そこまで厳密にやらなくてもいいんだ、とも聞こえたことだ。特に「都市封鎖ではない」ということが強調されていた。

「今回の緊急事態宣言は、海外で見られるような都市封鎖、ロックダウンを行うものではまったくありません。そのことは明確に申し上げます。今後も電車やバスなどの公共交通機関は運行されます。道路を封鎖することなど決してありませんし、そうした必要もまったくないというのが専門家の皆さんの意見です」

執拗なまでに、そこまで深刻なものではないのだと強調する。法的に強制力はないということを印象付け、パニックを防ぎたかったのかもしれない。だが、ここまで言われると、あまり厳しくなくても大丈夫なんだ……と奇妙な安心感を与えてしまう。

安倍首相はこうも言っていた。

「専門家の皆さんの見解では、東京や大阪での感染リスクは、現状でも不要不急の外出を自粛して普通の生活を送っている限り決して高くない。封鎖を行った海外の都市とはまったく状況が異なります」

われわれは日々、アメリカやヨーロッパの惨状を見聞きし、恐怖におびえている。それにもかかわらず安倍首相は「状況が全く異なる。だから、そこまで過敏になる必要はない」と断言しているようにも聞こえる。もし、この断言が真実であれば、われわれは安心できるが、筆者の周囲に安心している人はひとりもいない。

■政府は補償はせず企業や店舗に「自主的休業」させれば補償はいらない

そして、安倍首相は「不要不急の外出をやめれば、『普通』の生活を送っていい」とも言い切っている。そこで思う。はて、「不要不急」「普通」って何だろう。友達にも会えず、学校にも行けず、ジムにも行けず、会社に行けず、仕事を失い、入学式も卒業式もなくなった。それを普通と言われても、困るのだ。

緊急事態宣言の発表を受け、臨時休業した東京・上野のアメ横商店街の店舗=2020年4月8日午後
写真=時事通信フォト
緊急事態宣言の発表を受け、臨時休業した東京・上野のアメ横商店街の店舗=2020年4月8日午後 - 写真=時事通信フォト

つまり、「Stopサイン」と「Goサイン」が入り交じっている。だから、受け止める国民は混乱するしかない。

経済を止めるわけにはいかないから、表現があいまいにならざるを得ない。そんな「大人の事情」は理解できる。しかし、「中途半端」はどちらも殺すことにはならないだろうか。

今、緊急事態宣言を受け、国と都でどの施設を休業扱いにするのかでもめている。そうやってもたもたしている間に、休業対象ではない飲食店が「この状態では、商売はできない」と自主休業している。これは日本企業が「自主的な退職であれば、退職金は払わないですむ」と社員に圧力をかけてリストラする常套手段を想起させる。

あいまいに伝えることで、人にも企業にも店舗にも「自主的」に決めさせる。その結果、どうなろうと国の責任は問われない。責任はすべて国民にある。この会見の安倍首相の文言に、筆者はそんな意図が隠されているのではないかと疑いたくなる。

責任といえば、ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ州知事は「すべての責任は私にある」と言い切ったが、今回の会見の質疑で安倍首相は、「例えば最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と述べている。

■安倍首相は「自粛ポリス」の市民が自主的に街を見張ることを期待

会見では「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減」と強調したが、高齢の両親を抱え、ずっとこもり続けている筆者は「これ以上、どうやって減らせるのか」と途方に暮れるしかない。仕事でどうしても外出しなければいけない人たちも同じだろう。

要するに「すべて忖度して、解釈しなさい」ということなのだ。

「なんて国だ」と打ちひしがれたが、ふと思った。いや、これで、日本は何とかなるのかもしれない。われわれ日本人は、そういうコミュニケーションに慣れているのだ。

空気を読み、周りに迷惑をかけないように、と常に人目を気にする。江戸時代に、お互いを監視させるためにつくられた「五人組」のように、「最低7割、極力8割削減」という集団目標を守るために、市民の中に「自粛ポリス」が現れ、周囲の行動を自主的に見張りだすかもしれない。

そもそも日本人は我慢強い。自粛と我慢と自己責任と同調圧力、この4種の神器がそろえば、法的拘束力がなくても、また休業補償をしなくても、何とか、国民の自助努力により感染防止を実現できるのかもしれない。それこそが安倍首相の究極の狙いなのか。

そんなふうに妄想した後、急に恐ろしくなった。

現政権がそこまで深読みし、すべてをあいまいにして、責任をぶん投げてきたのではないかと思ったのだ。だとすれば、計算されつくした、狡猾すぎる戦略である。

■補償はしないで、ひたすら外出自粛を要請する安倍首相のハラ

未曽有の危機にあって、これまで筆者は「リーダーシップが大事だ、コミュニケーションが重要だ」と説き、「こうしたほうがいい」という提言もしてきた。そのことを読者から「ダメ出しは簡単」「揚げ足取りだ」と非難されることもあった。

しかし、こうした命令ではなく「自粛」要請によって人々の行動を変え、感染を止めようとするなら、頼みの綱となるのは「コミュニケーション」であるはずだ。最後は、言葉の力に頼るしかない。だから、トップは一言一句に細心の配慮をする必要がある――。筆者には、そんな信念があるから「安倍会見」をいつも批評し続けているのだ。

いくら筆者が気張ってみても、この国で、トップにリーダーシップを求めても仕方がないのかもしれない。きっちりと行間を読み、忖度し、自主的に動いてくれる国民がいるのだから。その驚異的な「忖度させる力」を持つリーダーのもとで、われわれは、ひたすら自粛し、奇跡が起きるのを待つしかないのである。

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岡本 純子(おかもと・じゅんこ)
コミュニケーション・ストラテジスト
早稲田大学政治経済学部卒、英ケンブリッジ大学大学院国際関係学修士、元・米マサチューセッツ工科大学比較メディア学客員研究員。大学卒業後、読売新聞経済部記者、電通パブリックリレーションコンサルタントを経て、現在、株式会社グローコム代表取締役社長(http://glocomm.co.jp/)。企業やビジネスプロフェッショナルの「コミュ力」強化を支援するスペシャリストとして、グローバルな最先端のノウハウやスキルをもとにしたリーダーシップ人材育成・研修、企業PRのコンサルティングを手がける。1000人近い社長、企業幹部のプレゼンテーション・スピーチなどのコミュニケーションコーチングを手がけ、「オジサン」観察に励む。その経験をもとに、「オジサン」の「コミュ力」改善や「孤独にならない生き方」探求をライフワークとしている。

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(コミュニケーション・ストラテジスト 岡本 純子)

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