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ハンコを押すだけの「昭和的な管理職」ができあがった3つの理由

プレジデントオンライン / 2020年5月27日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

昭和から令和にかけて、日本の管理職の役割はどのように変わっていったのか。経営共創基盤の木村尚敬氏は、「昭和では部下の意見を取りまとめるのが管理職の仕事だった。だが、2010年代に入った頃から、自分で決めて、仕事の方向性や手法をリードしていくことが求められるようになった」という——。

※本稿は、木村尚敬、柳川範之『管理職失格』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです。

■日本の会社の多くは現場の力が強い

【木村尚敬〔経営共創基盤(IGPI)共同経営者マネージングディレクター〕】日本企業における管理職の役割は、この20年ほどで大きく変わったと感じています。かつての部長や課長は、みずから意思決定することがほとんどありませんでした。日本の会社の多くはボトムアップ型で、現場の力が強い。だから下の人たちが正解を持ってきてくれて、上司である管理職は上がってきた内容を見て良し悪しを判断、良ければ承認のハンコを押すだけ、という役割に甘んじていました。

【柳川範之(東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)】確かに「自分で決める」という作業よりは、下の意見を取りまとめたり、調整したりといった仕事が中心だったかもしれません。

【木村】それが2010年代に入った頃から、強い会社ほど管理職が自分で決めて、仕事の方向性や手法をリードしていくことが求められるようになりました。管理職が意思決定することの重要性が、どんどん増してきたという感じでしょうか。

■昔と今では仕事の「問い」が変わった

【柳川】何が変化のきっかけになったとお考えですか。

【木村】背景にあるのは、仕事で与えられる「問い」が変わったことです。昭和の時代までの問いは、決められた目標に向かって“どうやって”それを実現するのか、というもの。つまり理詰めで考えれば答えが決まるものでした。「この製品の品質を上げるにはどうすればいいか」とか「原価を下げるためにはどうすればいいか」といったものですね。だから意思決定というよりむしろ“解く”という見方の方が正しかった、それらの問題に対して、与えられた権限の中で目の前にある答えを着実に実行していくのが管理職の役割だった。

ところが今、ビジネスの世界で突きつけられるのは、そもそも何をすべきか、という“問いを立てる”ことです。新しいアイデアを生み出すとか、そもそもどちらの方向へ進むべきなのかを判断する、つまり“意思決定する”ことが求められます。たとえるなら、昭和の問いは塗り絵に正しく色を塗るようなもので、今の問いは白地に絵を描くようなもの。経済が右肩上がりで連続性の高い時代には、どこにどんな色を塗るべきか決まっている絵がすでにあって、管理職はその枠からはみ出さないように正確に作業するだけでよかった。

ところが現在のように非連続な時代背景においては、どんな絵を描くかを自分でいちから考えなくてはいけない。その違いは非常に大きいと思います。

■管理職も自ら考えることを求められる時代に

【柳川】そうですね。日本が経済成長を続けていた頃は将来の確実性が高く、技術革新も連続的な変化の延長線上にあったので、新しいアイデアを求められることの重要性は相対的に低かった。つまり変化が乏しく将来の見通しがきく時代だったので、管理職も与えられた権限の中で何をすればいいかが判断しやすかったのでしょう。

ところが今はかなりのスピードで次々と技術革新が起こっていて、どちらの方向へ進めばいいのか、何をやれば儲かるのかといったことが明確ではない。だから管理職の人たちも、会社から「新しいアイデアを出せ」「イノベーションを起こしてくれ」と言われるわけですが、そのために具体的に何をすればいいかは誰も指示してくれません。その結果、管理職も自分で考え、自分で決めて動くことが要求されるようになったというわけですね。

【木村】その通りです。新しい価値を生み出したり、今までのやり方を変えたりすることが管理職の役目になりました。経済成長期は前例踏襲でよかったが、これからは前例否定から入らなくてはいけない。それが大きな変化です。

■なかなか決められない管理職たち

【木村】ただ先ほども言ったように、与えられた問いを“解く”だけの役割に慣れてしまっているので、「自分で決める」という意識・能力が必ずしも備わっていません。決められない管理職がよく使う言い訳があるんですよ。それは「情報がないから判断できない」。それで部下に対して「これでは足りないから、もっと情報を揃えろ」と言うのです。

もちろん確かに判断材料が少なすぎるケースもありますが、多くの場合は単に決めたくないだけ。この言い訳をして、判断を先送りするのが一番ラクですから。そもそも情報がすべてそろっている段階では“決める”とは言わない。もはや完全情報下では、人間よりAIの方が精度が高いわけですから。つまり情報が十分に揃っていない・不確実な状態で果敢に“決める”ことこそが、リーダーとしての意思決定力です。その場合、すべての判断が正しいとは限らない、場合によっては失敗もあり得ますが、そのリスクをとることこそ、意思決定の本質だと思います。

■「覚悟を持って決める」ことが大事

【柳川】もともと日本の会社は、「誰が決めているのかわからない」と言われることが多いですね。フォーマルな意思決定の主体はあっても、実はそこで決めることは少なくて、その前に根回しという名のもとに全体の意見が取りまとめられ、結局は誰が決めているのかわからないまま会社としての意思が決まっていくことが大半ではないでしょうか。

木村さんが指摘したように、白地に絵を描くために何かを決めることはもちろん重要ですが、まずはそれ以前に「自分に与えられた権限の範囲で決めるべきことは覚悟を持って決めましょう」ということだと思います。本来なら管理職である自分の意思決定範囲内の案件であっても、上にお伺いを立てて判断を仰いだり、部下に決めさせてしまったりする人も多いのですが、決めるべき人が決めるべきタイミングで決めてこそ、組織全体で適切な意思決定がなされるはず。それができればもう少し状況が良くなる日本の会社は多いように思います。

■ハンコを押すだけの管理職には合理性があった

【木村】そもそもなぜハンコを押すだけの「昭和的な管理職」が出来上がってしまったのか。柳川先生はどうお考えですか。

【柳川】今までの話も踏まえて、3つの軸に整理できます。

1つ目は、木村さんがおっしゃったように、日本企業がボトムアップ型の組織であること。だから下が良しとしていることをあからさまに上が否定したりはしないし、ましてや組織の真ん中にいる部長や課長が大きな方向性を指示することはないという構造があります。つまり日本企業はヒエラルキー組織になっていない。トップダウンで上が決めるのではなく、現場が中心となってある種のチームプレーで意思決定してきたんじゃないでしょうか。

多くの日本の会社は、最初は小さな町工場でした。働く人たちも少人数なので、オペレーショナルなテーマは何でも全員で話し合って意思決定する。代表者はもちろん工場長(兼社長)ですが、実質的にはやることはみんなで決めたことにハンコを押すだけ、となるわけです。問題は、組織が大きくなってもこの構造が変わらなかったことです。会社が大きくなれば、経営者だけでなく管理職も含めて偉そうな肩書きがつく人は増えるのに、やはり上が決めることはほとんどないままここまで来てしまいました。

2つめは、管理職に与えられてきたのが塗り絵を塗るという極めてルーティンな仕事で、自主的な意思決定をそれほど必要とされなかったことです。

■肩書きは「長年働いてきたことに対する勲章」

【木村】業務上の意思決定どころか、飲み会の挨拶で何を話すかさえ任せる人もいましたからね。部下がト書きを用意して、部長はそれを読み上げるだけ。すべての段取りは下がやってくれるので、上司は何もしなくていい。私は昭和の終わり頃に大企業と仕事をする機会が多かったのですが、当時の管理職はそんなイメージでした。

【柳川】さらに3つ目として挙げたいのが、日本の会社ならではの年功序列です。この3点がセットになると、「実は何も決めていない管理職」が出来上がる。

【木村】昭和の時代は「部下なし管理職」がたくさんいました。年功序列だから、勤続年数とともにポジションは上がっていく。そうは言っても優秀な人とそうでない人は線引きされるので、優秀な人は部下が何十人もいる営業一部の部長で、そうでない人は実質的に自分しかいない営業二部の部長になる、といったケースは大企業でよくありました。

【柳川】与えられるのは形式的な肩書きだけで、部長と言っても仕事や業務とひもづいているわけではない。長年働いてきたことに対する勲章みたいなものでしょうか。

【木村】そうです。「あいつももう50歳を過ぎたし、そろそろ部長にしてやらないと可哀想だろう」と。当時は大企業の場合、部長になるのが40代後半から50代前半くらいが一般的でしたから。それでも日本が成長モードで企業経営も安定していた頃は、肩書きだけの管理職が社内にいても、別に会社は潰れなかったわけです。

■出世=「上の覚えがめでたい」は本当か

【柳川】同じ昭和時代でも、高度成長期の初期くらいまでは日本の会社もベンチャースピリットがあって、管理職の人たちも意欲的で面白いことをやっていたイメージがあります。それがある時点で変わってしまったということですか。

木村尚敬、柳川範之『管理職失格』(日本経済新聞出版)
木村尚敬、柳川範之『管理職失格』(日本経済新聞出版)

【木村】おっしゃる通り、私も先輩経営者から、昭和20年代や30年代の日本企業が本当に元気だった時代の話をよく聞いています。トヨタ自動車の大野耐一さんやホンダの藤沢武夫さんがいた時代なんて、彼らが参謀として新しい生産方式や販売方式をどんどん生み出して行った。戦後の何もないところから始まって、まさに白地に自分たちの絵を描いて行ったわけです。

ただオイルショックがあって高度成長期が終焉を迎えた昭和40年代後半から、日本企業は安定モードに入って行きました。とはいえ大企業はまだまだ安泰だから、先ほど話したように黙っていても全員が部長になれた。しかも部長になると、その上の役員のポストも見えてきます。すると何が起こるかというと、部長たちは上司にとって「覚えめでたき部下」になろうとする。それこそ上司の靴の裏を舐めるようなつもりで、上司の無茶や横暴にも耐え続けて、何とか重役に上げてもらおうとしたわけです。

当時は実力主義なんて概念はほとんどなくて、上司が部下をどこで評価するかといえば、自分にとって可愛いやつかどうかというのが大きかったですから。

■昭和から現在までの「管理職像」の変化

【柳川】ところがバブルが崩壊して低成長に突入すると、社内のポストはどんどん減って行きました。もう全員が部長になれる時代ではなくなった。すると今度は実力が伴わないと出世できなくなりますね。

【木村】ええ、平成になると結果を問われるようになりました。

【柳川】ただし評価される仕事そのものが定型的だったので、管理職も決められたことを真面目にやれば結果を出すことができた。その評価軸が変わって、ここ10年ほどは新しいアイデアを提案したり、方向性を決めたりといったクリエイティブな結果を求められるようになっている。昭和から今までを振り返ると、そんな管理職像の変化が見えてきます。

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木村 尚敬(きむら・なおのり)
経営共創基盤(IGPI) 共同経営者マネージングディレクター
慶應義塾大学経済学部卒業。IGPI上海董事。IGPI では、製造業を中心に全社経営改革(事業再編・中長期戦略・ 管理体制整備・財務戦略等)や事業強化(成長戦略・新規事業開発・ M&A 等)など、さまざまなステージにおける戦略策定と実行支援を推進。著書に『ダークサイド・スキル』(日本経済新聞出版社)など。

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柳川 範之(やながわ・のりゆき)
東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。東京大学助教授等を経て2011年より現職。専門は金融契約、法と経済学。著書に『法と企業行動の経済分析』(日本経済新聞社)、『東大教授が教える独学勉強法』(草思社)など。

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(経営共創基盤(IGPI) 共同経営者マネージングディレクター 木村 尚敬、東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授 柳川 範之)

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