「マスク外交」と「企業買収」でEUの切り崩しを狙う中国の野望
プレジデントオンライン / 2020年6月2日 15時15分
■前代未聞、EUで創設される90兆円の復興基金
アフターコロナの経済復興を後押しすべく、欧州連合(EU)では「復興基金(Recovery Fund)」を創設しようという構想がある。4月23日に開催されたEU首脳会議では復興基金の規模が1兆~2兆ユーロ(約120兆~240兆円)程度になるとされたが、一部報道によると総額7500億ユーロ(約90兆円)で調整が進んでいる模様だ。
これまでの情報を総合すると、独仏が5000億ユーロを拠出、この額が各国に贈与の形で配布される。また残りの2500億ユーロに関しては、EUが金融市場から借り入れ、その分は貸付という形式が採られるようだ。各国の経済規模や景気後退の度合いを考慮し、適切な額の財政支援が贈与と貸付を組み合わせる形で行われることにポイントがある。
当初の構想から萎んだとはいえ、EUとしてこれだけの規模の経済対策を実施することは前代未聞である。それだけコロナ禍は欧州経済、特に感染の拡大が深刻なイタリアやスペインなどの南欧経済に甚大な悪影響を与えている。返済の必要がない贈与の道が開かれたという点からも、EU、特に独仏という二大国の危機感の強さがうかがえる。
またEUが金融市場で借り入れを行うことは、長年の課題である財政の一元化という論点から考えても、非常に意義深いことである。近年、この課題に関しては、議論こそされてはいたものの、具体的な進展はほとんど見られなかった。コロナ禍が後押しとなる形で、将来的な財政の一元化に向けた動きが図らずも一歩前進したことになる。
■復興基金を巡るEUの南北対立
復興基金が創設される運びとなったこと自体は、EUにとって重要な意味を持つ。また独仏の二大国が危機の克服のために手を取り合ったことも大いに評価できる。とはいえこの構想においてもまた、贈与による支援を渇望するイタリアやスペインといった南欧諸国と、それに反目するオランダやスウェーデンなどの北部諸国との間で軋轢(あつれき)が生じている。
深刻なコロナ禍に襲われ、経済に甚大な悪影響を被った南欧諸国の場合、政府が重債務問題を抱えているため、大型の経済対策を打ち出すどころか、通常の財政運営を行うことさえ危うい。貸付ではなく贈与による支援を求めざるを得ない状況に置かれていた南欧諸国だが、その窮地を察したのは本来なら財政の一元化に慎重なドイツだった。
これまでの立場を転向させたドイツであるが、それはEUの大国としての責務からの振る舞いだったと言えよう。将来的な財政の一元化はさておき、非常時である現在は原則よりも裁量が優先される局面だと判断したのかもしれない。過去に、財政支援に際して貸付にこだわり続け、事態を複雑にさせた対ギリシャ支援の教訓が働いた側面もありそうだ。
しかしオランダやスウェーデンなどドイツを除く北部諸国は、そもそも財政の一元化に対してネガティブであるうえに、ドイツのような良い意味での大国意識を欠いている。そのため南欧諸国に対する財政支援は貸付で行われるべきであるという立場を堅持、そのことが、当初の構想から復興基金がサイズダウンする原因にもなったようだ。
■カネに引き寄せられて、南欧諸国は再び中国に接近か
復興基金が無事に稼働するかどうかは、6月18日のEU首脳会議で決まる。ここで決裂すれば、現在、欧州中銀(ECB)の金融緩和もあって小康状態を保っている金融市場が大きく動揺することになる。具体的にはイタリアやスペインの金利が急騰すると懸念されるが、EUとしてこうした展開は受け入れることなどできない。
そのため6月18日のEU首脳会議での決裂はテールリスクであると考えられるが、無事に復興基金が稼働したとしても、その後も北部諸国が南欧諸国への財政支援を渋るような態度に終始すれば、南欧諸国はEU以外の国々に支援を要請せざるを得ない。その場合にキープレーヤーとなるのは、EUが現在、距離を置こうとしている中国である。
コロナ禍での株安を受けて、中国は欧州企業の買収攻勢を強めている。技術流出を懸念するEUは対中姿勢を硬化させ、投資に対する審査を厳格化している。中国に対して好意的であった南欧諸国もまたEUの意向に従い、表向きは対中姿勢を硬化させているが、背に腹は代えられない状況になれば、南欧諸国は再び中国に接近することになるだろう。
実際に中国は、イタリアやフランスなどに医療機器を贈る「マスク外交」を展開、硬化した対中姿勢の切り崩しにかかっている。EU内での財政支援がうまく機能しなければ、南欧諸国に中国が一段と進出する事態を招きかねない。アフターコロナの経済復興支援策のあり方は、経済のみならず対中関係の観点からも重要な意味を持っているわけだ。
■西バルカンを中国に取り込まれたEU
すでにEUは、コロナ禍で裏庭とも言える西バルカン諸国(アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、北マケドニア、コソボ、モンテネグロ、セルビア)で中国の台頭を許し、EUの求心力を低下させる外交・安全保障的な失態を犯している。EUはコロナ禍の当初、マスクのEU域外への輸出を禁止したが、その際に潜在的なEU加盟候補国である西バルカン諸国へのマスクの輸出まで禁止した。これにつけこんだのが中国である。
中国は西バルカン諸国の中心であるセルビアやボスニアなどにも「マスク外交」を展開し、サポートに努めた。西バルカン諸国は中国が描く「一帯一路」構想の欧州における拠点とも言える地域であり、ロシアやトルコとも近接している。そのため同地域のEU加盟は、本来ならEUにとって外交・安全保障上、非常に重要な意味を持っている。
にもかかわらず、EUは西バルカン諸国に対して冷淡な姿勢を見せてしまった。その後EUは、5月6日になって西バルカン諸国に対して33億ユーロ(約4000億ユーロ)の財政支援を行う姿勢をようやく示したが、一連の経緯からは、西バルカン諸国の重要性は認めながらも本音ではEUへの加盟を歓迎していないEUのご都合主義が透けて見える。
他方で、中国は戦略的に西バルカン諸国を取り込むことに成功した。EUと対極的に、中国の行動は極めて実利的な観点から行われている。域内の財政支援では相応の対応を見せたEUだが、近隣諸国への財政支援に関しては悪癖とも言えるご都合主義を露呈させたことになる。そうしたご都合主義は、EUに内在する対立と協調の力学の産物でもある。
■EUの「南北対立」は日本経済も不安定化させる
今年1月末の英国の離脱で初の縮小を経験したEUであるが、それでも共同体を構成する独立国の数は27にもおよぶ。そのため、合意に至る過程で各国の利害が衝突することが恒例となってしまっている。今回のコロナ禍でもまた、各国の利害が衝突しており、危機対応に脆弱であるEUのさまが改めて浮き彫りとなっている。
裏を返せば、時間は要するものの、EUは何事もどこかで必ず妥協する。実際に、今回のコロナ禍を受けた復興基金の構想も、紆余曲折を経ているが前進の方向で一応は話が進んでいる。とはいえこの対立と妥協の力学はEU特有のご都合主義の根源をなしており、結果的にコロナ禍での中国の台頭を許すことにもつながっている。
欧州は世界で最もコロナ禍が深刻な地域の一つである。繰り返しとなるが、現在の欧州の金融市場の小康状態は、ECBによる大規模な金融緩和の効果に加えて、復興基金が稼働することへの投資家の期待に支えられている。復興基金が無事に稼働するかどうかは、日本も含めた世界の金融市場の安定を考えるうえで大きな意味を持っている。
復興基金が稼働しても、北部諸国が南欧諸国に対する財政移転を渋るような振る舞いに終始すれば、南欧諸国が中国に再接近することになると予想される。日本経済に影響を及ぼす重要なトピックとしても、またアフターコロナの中国と世界との関係を展望するうえでも、EUでの経済復興支援の動きには引き続き注視したいところである。
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三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員 土田 陽介)
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