「ブルーインパルス飛行」は、なぜ多くの人の心を奪えなかったのか
プレジデントオンライン / 2020年7月30日 15時15分
■サプライズ・イベントだった約20分の飛行
2020年5月29日金曜日の12時40分ごろから約20分間、航空自衛隊のブルーインパルス6機が東京の上空を飛行した。目的は「新型コロナウイルス感染症へ対応中の医療従事者等に対する敬意、感謝を示すため」だった。この告知は前日、飛行ルートは当日発表であり、いわばサプライズ・イベントだった。
さて、2020年7月下旬時点で「ブルーインパルス」を覚えている方はどれほどいるだろうか。しかし逆に、時間がたち忘却に向かっているからこそ、落ち着いて「あの出来事はなんだったか」を考えることができる。これは、事後に出来事を考え、出来事を通じた思考を獲得できる歴史研究の利点でもある。ここでは、ブルーインパルスが再び飛ぶかもしれない空の見方を提供したい。
私はこの日の午前11時ちょうど、ツイッターに以下の投稿をした。
こう記した通り、私はこのとき、ブルーインパルスの飛行は、航空機の音響と視線の集中を用いた「感覚の動員」だと考えていた。しかし当然といえば当然だったのだが、東京のごくかぎられた範囲で、しかも飛行ルートの多くは高層ビル地帯であり、実際のところはスペクタクルのもつ壮観さの乏しい「奇妙な展示飛行」となった。過去のブルーインパルスの展示飛行を検索していただければ、この違いは一目瞭然だろう。この自身の読みの甘さについては反省した。しかし、「感覚の動員」の観点から、この飛行を読み解く重要性が揺らぎはしない。
■知/地に足をつけた思考を積み上げるために
先のツイートと、その後の一連のツイートは数多くリツイートされ拡散し、さまざまなコメントがついた。おおむね中立的あるいは好意的なもので、「違和感の理由が分かった」というものもあった。一部では非難の矛先も向けられた。「素直じゃない」「感動するかしないかは人の勝手」そして「政府批判者ならブルーインパルスさえも憎いのか」などの感情的な意見に集約される。他方、「安倍政権は怖い」という書き込みも同様に感情的であり、両者ともに本稿の趣旨とはズレる。
まずは、理解のための礎石を一段ずつ積み上げていこう。確認すべきは、今回の航空ショーの実行者が航空自衛隊という「軍事」を用いる組織で、それは「国家」機関だという点だ。ブルーインパルスが練習機だとしても、だ。「感動するしないは個人の自由」なのでそれを否定するつもりはない。本記事は「感じたい」人にではなく、少しでも「考えたい人」に向けている。
ここでは研究上の視点から、いくつかの重要書籍を紹介しつつ考えてみたい。前半のキーワードは「感情の動員」、後半は「自衛隊と広報」である。最後には、この2つが「ブルーインパルス飛行」において、どうつながるのかを示せればと思う。
■スペクタクル性と「感情の動員」について
「心を奪われる絶景」。テレビをはじめ各種メディアで頻繁に使われる定型句だ。ここで、スペクタクル的な景色に「心を奪われる」とは何かを冷静に考えてみたい。そして、「心を奪おうとした者が何か」を突き止めたいのだ。そのためには、視覚で人を圧倒するスペクタクルを解体する「言葉」を持たねばならない。
「空のスペクタクル」について、基礎的な研究成果をいくつか紹介してみよう。『飛行士たちのネイション A Nation of Fliers』(ピーター・フリッチェ、1994年)という、帝政期からナチ期ドイツにかけて、飛行への憧れと戦争への動員とが結合していることを明らかにした優れた書籍がある。
同書の表紙は、飛行船の離陸に感動する人々の画像が飾っている。まさに、今回のブルーインパルス飛行が目指した「スペクタクルが生み出す壮観さと感動」を象徴している。
同書はとくに、飛行の夢、空への夢と子どもたちのパイロット教育へのつながりを指摘する。ナチ・ドイツの航空大臣ゲーリングは「(ドイツは)飛行士たちの国家となるべき」と述べるほどに、「飛行教育」が進んでいた。
日本史においても、歴史学者・一ノ瀬俊也が『飛行機の戦争1914-1945 総力戦体制への道』(講談社現代新書、2017年)のなかで、飛行機は総力戦の分かりやすい象徴であり、陸海軍飛行機による空中のパフォーマンスによって航空戦力に対する「軍事リテラシー」を向上させる意図があったと書く。これは同時に、兵器を寄付する献納活動へともつながっていたのである。
■驚異と脅威との混合物
もちろん、航空機が惹起する感情は「空への憧れ」だけではない。飛行機は恐怖も運ぶ。1944年から45年、日本の空を覆ったのはアメリカの爆撃機であり、同時に艦載機による民間人への銃撃も苛烈を極めた。しかしスペクタクル性を考えるうえで興味深いのは、空襲下の日本で作家・知識人が「B29は美しい」と日記を書き残していることだ。作家・高見順は、1945年4月7日の日記に、こう記した。
敵機大編隊来襲、翼をキラキラと光らせて頭上を行く。「堂々たる」編隊で、まるで自国の空を行くような跳梁ぶりだ。(中略)「敵ながら、きれいね」と妻が言った。
出典:高見順『敗戦日記』(中公文庫、2005年再版)。参考:菅原克也「脅威と驚異としてのアメリカ 日本の知識人・文学者の戦中日記から」東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター『アメリカ太平洋研究』8号(2008年)13-14頁。
「飛行機のもたらすスペクタクル性」は驚異と脅威との混合物として現れた。これは比較文化学者・菅原克也が「脅威と驚異としてのアメリカ 日本の知識人・文学者の戦中日記から」で指摘している。また、知識人のみならず、戦後の空襲体験証言集においても「B29の美しさ・壮観さ」という文言がしばしば登場する。
アメリカ研究で知られる生井英考の著書『空の帝国 アメリカの20世紀』(講談社)によれば、これはむしろアメリカ側も意図していた「爆撃のスペクタクル」だったのである。ちなみに、日本の「空の帝国」の欲望については、和田博文『飛行の夢 1783-1945 熱気球から原爆投下まで』(藤原書店、2005年)、航空イベントについては橋爪紳也『飛行機と想像力』(青土社、2004年)に詳しい。
■映画と結びつきやすい空のスペクタクル性
フランスの思想家ポール・ヴィリリオの『戦争と映画』(平凡社ライブラリー)は、飛行機の発明以降の知覚変容について述べている。空のスペクタクル性は映画と結びつきやすく、二者は歩を一にしてきたとヴィリリオは語る。たとえば、1929年、第1回アカデミー賞の最優秀作品賞は空戦をテーマにした『つばさ』である点も見逃せないだろう。
もちろん、日本においても数々の空をテーマにした映画が作られており、とくにアニメーションで「広く美しい空」が描けることから、映画『天気の子』の例を出すまでもなく、空が扱われている。とにかく空は気持ちがよく、遠くまで見通せる。映像はそれを表現することで、私たちの心を奪うのだ。
ブルーインパルスの「航空ショー」とは広く美しい空との一体が不可欠であり、先に指摘したように東京上空ではそれは限定的だった。
■ブルーインパルスを紹介するフワッとした言葉
なぜ今、航空自衛隊はブルーインパルスを飛ばしたのか。医療従事者への「感謝と敬意」を超え、そして「壮観」「かっこいい」の先を考えてみたい。以下、航空自衛隊公式ホームページのブルーインパルスについての記述である。
次から次へ繰り広げられる驚異のパフォーマンスは、初めて観る人にとっては驚きの連続に違いありません。地上は大きな感動と歓喜の声に包まれます。その美しく雄大、華麗にして精密なフライトは、内外から高い評価を得てきました。これからもブルーインパルスは、「創造への挑戦」を合言葉に、より多くの人に「夢・感動」を感じていただける展示飛行を求め続けていきます。
「驚異のパフォーマンス」「感動と歓喜の声」「美しく雄大」「華麗にして精密」……スペクタクル性を象徴する語のオンパレードだ。しかし、「創造への挑戦」や「夢・感動」については、何かを語っているようでいて何も語っていない。だが、それこそが重要な点だ。
「スペクタクル性の感動」を人々に与えようとする側は、多くの場合、このようにフワッとした「言葉」を用いる。「とにかく見て! 感動するから」というのだ。
■自衛隊と広報との離れがたさ
他方で、これは自衛隊の広報の困難さとも結びついている。
自衛隊は戦後、その存在は「宙づり」状態のまま、それゆえに存在意義を問われ続けることで、自己アイデンティティを災害救助・社会奉仕活動によって培ってきた。これは、歴史学者アーロン・スキャブランド「『愛される自衛隊』になるために 戦後日本社会への受容に向けて」(田中雅一編『軍隊の文化人類学』所収)に詳しい。なかでも本稿に深く関わるのは、「音」や「視覚」を通じた広報活動、つまり自衛隊コンサートや航空ショーなどの一般市民向けのイベントだろう。スキャブランドは、こう書く。
北部方面隊の士官たちは、できるかぎり多くの人々の興味を引こうと努めた。彼らは、スペクタクルの力を理解していた。(中略)幸運にも、自衛隊は年齢を問わず人々の興味を引き、目を楽しませるような、設備をたくさん所有していた。
■一瞬の感動が過ぎ去り、過去が参照されない
スペクタクルのもたらす感動は、まさに情報が流れゆくSNS文化に近い。一瞬の感動が過ぎ去り、すぐさま忘却され、過去が参照されないという状況を生み出す。
航空自衛隊の広報について描いた有川浩の『空飛ぶ広報室』(幻冬舎、2012年)という小説がある。この作品のドラマ版(2013年、TBS)で、航空自衛隊広報官の主人公が、歴史的なイギリス軍機スピットファイアーについて嬉々として語るシーンがある。他方で彼は、東日本大震災の被害については「忘れちゃいけないんです。ぼくたちは決して」と力強く語る。
自衛隊が「忘れてはいけない」のは震災・戦災の両方だろう。むしろ、艦載機に追い回され、身内や友人を殺された世代が減少するなかで、「あえて」でも想起してほしいのは航空機の攻撃性だ。なぜなら、今もなお地球上では航空兵器が人を殺しているのだから。
■ナチの宣伝もまた「神話化」されている
ここで、ナチ・ドイツのプロパガンダから、今回のブルーインパルスの飛行を考えてみよう。先に紹介した私のツイートでは、ナチ・ドイツのシュペーアの「光のドーム」に言及した。これはヴィリリオ『戦争と映画』で、スペクタクル性から視点を一点に集めることによる感情動員の事例として登場する。
しかし、「ナチ・プロパガンダ」はその実際の動員に果たした効果は疑わしい。メディア史の専門家・佐藤卓己が『増補版 大衆宣伝の神話』(ちくま学芸文庫、2014年)で述べるように、ナチの宣伝もまた「神話化」され、誇張されている。
今や、ナチ宣伝が大衆に与えた影響は、研究者によって慎重に扱われる研究対象だ。ナチ宣伝を踏襲し「成功」したと考える向きが強いことへの批判もある。ナチ科学が先進的で優れていたというのも「ナチ・プロパガンダ」自体を疑わずに再利用した語りにすぎない。
■成功と失敗を分けるものとしてのメディアと宣伝
佐藤がもたらしてくれた知見から、ブルーインパルス飛行の「成功・失敗」はメディアによって後に創られる可能性を考えてみたい。今回の東京での航空ショーで感動した人の数など数えられないし、人口比にしたらどのような規模なのかも不可知だ。そもそも肉眼でブルーインパルスを捉えた人はかぎられる。SNSを含めたメディアが撮影した映像や写真で知ったのではないだろうか。
これに意味づけをし、これから価値を高めようとしていくのは、政府やメディアだろう。つまり、これから「感動」が創造されていくのだ。ゆえに今後もブルーインパルスは、物理的にも情報としても飛び続けるだろう。
ここまで、単純化していえば「歴史から学ぼう」としてきたわけだが、このような勉強なぞ横に置いても、自分の感覚の責任くらい自分で取りたいと思うのは私だけだろうか。これは「感動するのは人それぞれ」の一歩先にある感性だ。有名な詩の一部を引用したい。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子「自分の感受性くらい」より(最終三行)
空の美しさに魅了され、苦労や苦難を忘れ去る。これ自体、そして日々奮闘する医療従事者への感謝も否定しない。本稿のポイントはそこにはない。伝えたかったことは、次のことだ。自由のイメージで語られ続ける空さえも誰かの持ち物であり、加工されうる点を忘れないように。そして自分の感情については、「わずかに光る尊厳」を放棄せずに、保ち続けるように。
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東京女子大学歴史文化専攻准教授・アウクスブルク大学研究員
専門はドイツ現代史(空襲史)。共編著に『教養のドイツ現代史』(ミネルヴァ書房)や共著『日本人の知りたいドイツ人の当たり前』(三修社)がある。
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(東京女子大学歴史文化専攻准教授・アウクスブルク大学研究員 柳原 伸洋)
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