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コロナで収入8割減の落語家が「それでもコロナは芸を磨く」と考える理由

プレジデントオンライン / 2020年7月22日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FatCamera

■「寿限無」の一節を痛感した

新型コロナウイルス感染予防の外出自粛ムードは、われわれ落語家のみならず、外食産業、つまりは「オール接客業」に暗い影を落とし続けたままであります。持続化給付金などは確かに支給されはしましたが、ほとんどが税金として再吸収されるありさまでした。いやはや落語と講演で生活している私は、収入8割減という憂き目を食らっています。

しかし、「仕事が飛んだのは私だけではない」という奇妙な連帯感が下支えとなる形で、この災禍を「彩果の宝石」(埼玉の銘菓)とばかりに前向きにとらえます。さらには災禍を他の落語家との「差異化」の機会と捉え、初小説が『PHP 2020年11月増刊号』(9月18日発売号)より連載されることになりました。ある意味コロナのおかげではあります。

さて、そのように軸足を作家方面に移しつつもやはり落語家目線で、冷静になって今後のアフターコロナの推移を予想してみます。

まず、今回の騒動で、落語家や芸人、役者、歌手になろうとする人はおおむね減少するのではないでしょうか? そしてこれとは対照的に「やはり公務員が一番よ」と田舎の結婚の世話焼きおばさんのような考え方が一層強まってゆくことが想像されます。地味でも手堅い仕事がやはりいざというときは強いものです。

自然の影響をもろに食らってしまう大変さはありますが、第一次産業の底力も痛感しました。古典落語の「寿限無」の一節ではありませんが、「食う寝るところに住むところ」という、「食品および建築・不動産関係」の不況下での堅牢さは株価の変動を見ても明らかです。

■難局を乗り越えた芸人は共感力が増幅する

しかし、逆に言えば「芸能に携わる人間」には、それだけの「覚悟」がないと全うできない仕事だという点が、コロナ禍で浮き彫りになったのではないでしょうか? 「残存者利益」というか、やはりガマンして残った人間にもたらされる果実は確かに存在します。

立川流においては、おおむねこれが該当しています。直弟子は現在20名以上にもなりますが、「一瞬でも弟子としてカウントされた人数」は100名以上にもなるはずです。私が前座の頃、新弟子として認められた弟子が師匠の新幹線の見送りに遅れたことでキツく注意されてすぐに辞めてしまいました。大雪の日に弟子入りし、「こんな日も来なくてはいけないのですか?」と驚いてしまい、次の日から来なくなってしまった者もいましたっけ。

とまれ、この難局を乗り越えた芸人は「人の痛み」に対する共感力も増幅しているとも言えますので、長い目で見ればいい修行であり芸を磨くことになるはずです。「コロナの影響なんて痛くも痒くもない」と言っている人に、人を心の底から笑わせたり、感動させたりするなんてできないはずですもの。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の中の一節「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」に隠された深い意味がなんとなくわかってくるようになったのも、コロナの影響かもしれません。

■落語配信はまだ苦しいが、オンライン落語会では手ごたえ

さて、以上を踏まえて、コロナ後に残ることのできる人やコミュニティを想像してみますと、「急激な変化に対応できること」が大きな条件として挙げられそうです。

本来ならば時間をかけて10年単位で変えて行くべきものが、一気に変わっていってしまった感があります。その代表例が「オンライン化」です。未知なるウイルスが社会構造を変換させた事例です。

私も「Facebookライブ」などの自宅からの落語配信を先々月から始めました。無観客というのは逆に今までお客様に救われていたという実感と反省をもたらします。また直接の笑い声などは聞こえなくても、即座に「いいね!」を押してくださるとそれによって自分もますます乗れるなど双方の信頼関係の可視化を確認できることもだんだんわかってきました。

まだライブでの展開は「満席の座席数の半分」しか入れられない苦しい状況は続いてます。

一方で、「オンライン落語会」には可能性を見いだしています。先日行った「Zoom」でのオンライン落語会では双方向通信の強みを生かし、「お客さん側での笑い声は届けられなくても笑顔は見られる」という部分にフォーカスして語りを進めてゆくのもありだなあと、手ごたえを十二分に感じることができました。

悪戦苦闘は落語家ばかりではありません。日本中が、いや、世界中がその渦中なのでしょう。

■スーパー銭湯の張り紙にあった言葉

あらためてここで、「急激な変化に対応するにはどうしたらいいか」について考えてみましょう。

ここからは私の直感なのですが、「勝ち負けではなく、折り合いをつけることなのでは」と思っています。正論や主義主張のロジカルさだけで優劣を競うのではなく、「折り合い」を付ける感覚こそがますますこれから問われてゆくのではないでしょうか。

正論や正解はボクシングで言うならば圧倒的な勝ち方みたいなものです。確かにスカッとするような爽快感をもたらしますがそういう展開になる試合はよほどの実力差がある場合だけであります。

これからの世の中は、お互いに「向こうには向こうの都合がある」というケースがほとんどのはずです。相手側をねじ伏せるという流れではなくうまい具合に落としどころを見つけるようになることが、お互いに禍根を残さずに丸く収まるのではないかと思います。

先日、秩父の方にあるスーパー銭湯を訪れた際に、「小さな子供たちがお風呂場で騒ぐ」というクレームに対するお店側の張り紙を見て感心しました。

「小さな子供を騒がせないでください」とたしなめる一方で、クレームを言うお客さん側にも「思い出してください。大きなお風呂に入って嬉しくなって、はしゃいで大騒ぎしてしまったあの日のことを」とさりげなくしかも優しくツッコミを入れていたのです。

「喧嘩両成敗」と言い切ってしまうと本当に悪いほうを許してしまうような釈然としない感があります。そうではなく、お互いの言い分を上手に聞いて妥協点を見いだし、お互いが裁き合うのではなく許し合うような関係になれたらみんなが幸せになれるのかもなあと、この素敵な張り紙から教えてもらったような気がしました。

■就寝前1分ストレッチで心の柔軟性を高めよう

「自粛警察」「マスク警察」などという言葉が昨今流布していますが、これもある意味「正論が一番だ」というような、勝ち負けをはっきりつけさせようとし過ぎる正義感からの言動だと思います。

立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)
立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)

「向こうには、向こうの都合があるのだろう」という相手側の都合を考慮できるような「柔軟性」を持つ人こそがやはり急激な変化に対応できるのだと確信します。

さて、かような「心の柔軟性」を確保するには、やはり「身体の柔軟性」、すなわち「ストレッチ」です。私は就寝前に実行しています。

まず30秒間手足を上下に思い切り伸ばします。その後手足を上に挙げ、またまた30秒間ぶらぶらさせます。ひっくり返ったゴキブリのイメージです。この合計1分間のストレッチ、効果てきめんでぐっすり眠れます。

身も心も柔らかくすることで、アフターコロナを笑いながら迎えましょう!

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立川 談慶(たてかわ・だんけい)
立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。

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(立川流真打・落語家 立川 談慶)

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