「あえて1枚しか焼けない形に」三菱電機の3万円のトースターが売れる理由
プレジデントオンライン / 2020年8月25日 9時15分
■好調な販売が続く3万円のオーブントースター
3000円前後が売れ筋というオーブントースターの市場にあって、3万円もする高価格のトースターが売れている。しかも一度に食パン1枚しか焼けないという異例の商品だ。
2019年4月に発売された三菱電機の「ブレッドオーブン」は、発売前の予約だけで初回生産予定台数の2倍の受註を受けたという。その後も、生産すればすぐに売れてしまい、発売後1年以上が経過した現在も、巣ごもり消費のなか品薄状態が続いている。ブレッドオーブンは現在のところ生産量にかぎりがあるため、ネット通販のみで販売しており、家電量販店などでは目にすることができない。
■きっかけは社内提案会、開発のリーダーは炊飯器出身
ブレッドオーブンの開発は2016年に始まった。きっかけは、埼玉県深谷市にある家事家電の開発・製造をになう三菱電機ホーム機器(株)で定期的に開催されていた社内提案会だった。その席で若手技術者が、外付けCD読み込みドライブのような形状のトースターで、パンをスピーディに焼くというアイデアを出した。この「スピードトースター」の形状は、早くトーストすることの他にも、省スペース、おいしく焼くといった便益の向上にも使えそうだった。
すぐに4名からなる開発チームがつくられた(写真)。リーダーとなったのは炊飯器の開発リーダーであった吉川秀樹氏である。吉川氏は炊飯器の開発者としてのキャリアを重ねていたが、トースターの開発にかかわったことはなかった。
新型トースターの開発リーダーを、炊飯器の開発者が務める。この人選は、既存のトースターとは違う考え方で開発を進めるべきという工場幹部の判断だった。この新しいトースターの形状では、これまでのトースターとは異なり、炊飯器に使われるような温度センサーによる食品温度検知、密封・断熱、火力制御といった技術が求められる。そこでこれらの技術に詳しい炊飯器の開発リーダーに白羽の矢が立ったのである。
■なぜ私たちは食パンをトーストするのか
トースターなどの軽家電では、小さな改善の積み重ねが高付加価値の獲得につながりにくい。利益を生むには、既存のトースターとは別カテゴリの商品をつくりださなければいけない。開発チームは、この一点突破には「パンをおいしく食べられる」を突き詰めるしかないと考えるようになった。
そもそもなぜキッチンにトースターが必要なのか。私たちはなぜ食パンを、トーストして食べるのか。機能を絞り込むには、原点に立ち返って、その認識や理解を掘り下げることが欠かせない。
開発チームは人気パン店などへの調査を繰り返した。そこでわかったことは、パンはベーカリーでの焼き上がり直後が一番おいしく、その後は時間とともに味が劣化していく。つくってから時間がたったパンを、おいしく食べるための機器がトースターだった。
おいしく食べるという観点から見た既存のトースターの問題点は、庫内が大きく、空気の抜ける穴があるため、パンの水分が必要以上に抜けてしまうことだった。サクッとした食感は得られるものの、パン店での焼き上がり直後のおいしさを再現できるわけではない。そこでブレッドオーブンでは、密封した小さな空間で1枚のパンを上下からムラ無く焼き上げ、最後に余分な水分だけを放出する方式を採用した。
■おいしく焼く機能1本に絞って訴求
開発過程では2枚焼きの機器も試作した。しかし庫内が大きくなり、加熱ムラが生じるためか、1枚焼きのような仕上がりは実現しなかった。そのため最高においしいトーストを実現する調理機器は、食パン1枚焼きとなった。価格は3万円。従前のトースターとは形状が異なるため、キッチンの同じ場所で同じようには使用できないという代物だった。
この時点のトースター市場で人気を集めていた高級機器は、バルミューダ社の「BALMUDA The Toaster」。価格は2万2900円で、複数枚を焼くことができる。これを上回る価格で、1枚しか焼けない。
この大胆な機器を発売するべきか。柔らかく「生食パン」のような仕上がりを実現する、まったく新しいトースターである。三菱電機の社内ではさまざまな意見が噴出した。流れが変わったのは試食会だった。市販の食パンをブレッドオーブンの試作機でトーストして、経営幹部に食べてもらった。食べれば、この機器の価値がわかる。これでゴーサインが下りた。
ブレッドオーブンの外観デザインは木目調だ。これまでのトースターは忙しい朝にキッチンでパンを焼くための器具だった。一方、ブレッドオーブンはダイニングテーブルに置いて使うことを想定している。違うカテゴリの商品であることを外観からも訴えているのだ。
さらにブレッドオーブンは、実はパン以外の食材の調理にも使うことができるのだが、コンセプトを明確に伝えるため、ホームページなどでは「パンをおいしく焼く」という用途を前面に打ち出している。「一点突破」のために余計なものはそぎ落とす訴求アプローチである。
■ブレッドオーブンが起こしたバリューイノベーションとは
三菱電機のブレッドオーブンは、「バリューイノベーション」の好例と言える。
バリューイノベーションとは、顧客に価値をもたらす新結合を通じて社会や産業の新局面を切り開いていくイノベーションである。そのねらいは、競合他社に対する優位性ではなく、顧客にとっての価値にあり、先端テクノロジーなどを駆使することは必須の条件ではない。枯れた技術で実現する製品やサービスであっても、顧客が喜んで対価を支払う便益を実現していれば、企業の業績をしっかりと支えることができる。
バリューノベーションを導く手法として、INSEAD(欧州経営大学院)教授のW・チャン・キムとレネ・モボルニュの両氏が主張したのが「ブルー・オーシャン戦略」である。そこでは新しい便益要素を増やしたり、創造したりするだけではなく、既存の便益要素を取り除いたり、減らしたりすること、そしてノンユーザーを取り込むことの重要性がうたわれている。コロナ禍にあって再確認しておくべきマーケティング理論と思われる。
ブレッドオーブンのように、おいしいパンを家庭で食べることにこだわる人が増えているという生活上のシフトにこたえ、かつ市場での競争から抜け出し、自社の付加価値を高めていくには、八方美人型のニーズ対応への誘惑を断ち切ることが欠かせない。早く焼き上げる、たくさん焼く、省スペースを実現する、パン焼き以外の多様な調理にこたえる……。そうした多面的な対応を追いかけることは、製品やサービスの仕上がりを中途半端なものとし、既存のトースターと同じカテゴリでのマーケティングを余儀なくされる。その先に待ちかまえているのは、既存トースターとの価格競争という「レッド・オーシャン」である。
ブレッドオーブンは八方美人型への誘惑を断ち切り、焼きたてパンのおいしさを実現するという目標に集中することによって、おいしいパンを焼けるトースター市場という競合他社がほとんどいない新市場を開拓した。従前はおいしいパンを食べることにこだわる人たちのなかには、トースターを利用するのではなく、ホームベーカリーを購入したり、パン店で焼きたてを購入してすぐに食べるようにしたりしていた人が少なからずいたと思われる。ブレッドオーブンは、こうしたトースターのノンユーザーを取り込みながら高付加価値を実現している。
現在ではコロナ対応の新製品、新サービス、そして新スタイルの営業などに向けて走り出している企業も多いと思われる。自宅での時間の充実、テレワークに対応した仕事の進め方など、マーケティングがこたえるべき変化が各所に生じている。しかしそこにおいて、新たな便益要素を増やすだけの対応に終わってしまってはいないだろうか。自社の付加価値を向上させる機会を見逃してしまってはいることはないだろうか。コロナ禍の今、ブルー・オーシャン戦略のエッセンスを振り返っておく意義は大きいはずだ。
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神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。
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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)
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