「尊皇攘夷で挫折」「幕臣として渡欧中に大政奉還」新1万円札・渋沢栄一の逆転人生
プレジデントオンライン / 2020年9月12日 9時15分
※本稿は、桑原晃弥『乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■混迷する時代の中で志を貫いた
(渋沢栄一著、守屋淳訳『現代語訳論語と算盤(そろばん)』ちくま新書)
渋沢栄一さんに関する話題が尽きません。2021年のNHK大河ドラマは渋沢さんを主人公にした「青天を衝(つ)け」が予定されていますし、2024年度からは新1万円札の顔としても登場します。これまでも渋沢さんは紙幣の顔として何度も候補にのぼっていますが、当時は偽札予防の観点から「髭(ひげ)がない」という理由で実現しませんでした。「日本の資本主義の父」として満を持しての登場と言えます。
それにしてもなぜ今、渋沢さんがこれほど脚光を浴びているのでしょうか? 理由は、混迷する時代の中で自らの志を貫いた渋沢さんの生き方にあります。
■ノーベル平和賞候補に2回もノミネート
渋沢さんが第一国立銀行を初め、のちの王子製紙や東京海上火災、東京電力や東京ガスといった約500もの企業の設立や運営に関わったことはよく知られていますが、それ以上に注目すべきは、約600とも言われる教育機関や社会公共事業の支援を行ったことや、悪化の一途をたどっていた日米関係を改善するために高齢の身を押して幾度も渡米するなど、民間外交に力を注いだことではないでしょうか。
こうした活動が認められ、ノーベル平和賞の候補に2度も選ばれました。渋沢さんほど、世界に目を向けた活動をする一方で、弱い立場の人たちに目を向け、かつそれを生涯実行し続けた企業家は世界でも稀有な存在と言えます。
■豪農の跡取りとして平穏に暮らすはずが……
偉大な企業家にして偉大な社会事業家でもあった渋沢さんは、自分の人生を、自らが設立に関わった富岡製糸場が扱っていた蚕の繭(まゆ)にたとえてこう表現しています。
「自分の身の上は、初めは卵だったが、あたかも脱皮と活動休止期を4度も繰り返し、それから繭になって蛾(が)になり、再び卵を産み落とすようなありさまで、24~25年間にちょうど4回ばかり変化しています」
渋沢さんは1840年、今の埼玉県深谷市の豪農の家に生まれました。幼い頃から四書五経をはじめとする日中の古典を学び、12歳の頃からは剣術の稽古にも励んでいます。学問が好きで、剣術にも優れた才能を発揮する少年でしたが、14~15歳の頃からは「そろそろ農業や商売にも身を入れてもらわなければ困る」という父親の教えもあり、若くして商売にも優れた才覚を発揮しています。
世の中が太平であれば、渋沢さんはこのまま豪農の跡取りとして平穏な人生を送ることになったはずですが、黒船来航(1853年)や桜田門外の変(1860年)といった、江戸幕府(1603年~1868年)を揺るがすような出来事が相次いだことで、渋沢さんも国元を離れることになります。この時の跡継ぎを送り出す父親の覚悟と優しさを、渋沢さんは晩年まで感謝しています。
■思いがけない五つのステージ
ところが、志を立てて故郷を出たつもりが思惑がはずれ、思いもかけない人生を送ることになりました。渋沢さんの人生は五つのステージに分けられます。
(1)尊王攘夷の志士として活躍した時期、(2)一橋家の家来となった時期、(3)幕臣としてフランスに渡った時期、(4)明治政府の官僚となった時期、(5)実業家として活躍した時期、の五つです。その間に「大政奉還」や「明治維新」といった「革命」があり、自らの思い描いた図とは違う生き方を迫られたのです。
渋沢さんが最初に目指したのは幕府打倒でしたがあえなく計画は中止、身を隠すために京都へ向かったものの、なぜか本来は敵である一橋家に士官することになります。そこで力量を認められた渋沢さんは1867年1月、徳川民部大輔随員としてフランスへ渡ったものの、同年11月9日に徳川慶喜が大政奉還を行ったため、今度は自らがよって立つはずの幕府そのものが崩壊しています。
ここまでは初志貫徹どころか、まさに挫折や計算違いの連続です。時代に翻弄されるばかりで、志を果たすどころではありません。
■「人にはどうしようもない逆境」もある
普通の人ならこれだけ目算が狂えば「やっていられない」と自暴自棄になってもおかしくないところですが、渋沢さんの逆境への対処法は、逆境が「人の作った逆境」か「人にはどうしようもない逆境」であるかを見極めたうえでどうするかを考えるというものです。
このようにアドバイスしています。
「人にはどうしようもない逆境に立たされたら、天命に身を委ね、腰を据えて来たるべき運命を待ちながら、コツコツと挫(くじ)けず勉強に励み、人の作った逆境に立たされたら、ほとんどは自分のやったことの結果であり、とにかく自分を反省して悪い点を改めよ」
対処しがたい逆境にあっても、「これが今の自分に与えられた役割だ」と覚悟を決めれば心穏やかに、しかし本気でがんばることができるというのが渋沢さんの考え方でした。
自分に責任のある逆境は反省するほかありませんが、歴史の転換点となる出来事のような、人にはどうしようもない逆境にあっては「天命に身を委ね、腰をすえて来たるべき運命を待ちながらコツコツと挫けず勉強する」ほかありません。
苦境において「自分にコントロールできる問題とできない問題を切り分けて、コントロールできる問題に注力する」というのは、多くの成功者の共通項です。
その言葉通り、大政奉還が行われた時フランスに滞在していた渋沢さんは、ヨーロッパに繁栄をもたらしている資本主義経済に触れ、銀行の果たす役割や株式会社のありようなどを懸命に学びます。そしてそれはまさに、明治維新の日本に最も必要な知識の一つだったのです。
■「私利よりも公利」の姿勢が強さとなる
資本主義経済に触れた欧州からの帰国後、静岡藩、明治政府を経て実業界に転じた渋沢さんは冒頭のような目覚ましい活躍をしますが、その際、最も大切にしたのが「道徳に基づいた経営」であり、「自分のことよりもまず社会を第一に考える姿勢」でした。
その姿勢は徹底しており、かつて三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎さんから「君と僕が堅く手を握り合って経営すれば、日本の実業界を思う通りに動かすことができる。これから2人で大いにやろうではないか」と誘われた際も、「独占事業は欲に目のくらんだ利己主義だ」と腹を立て、その席にいた馴染(なじ)みの芸者と一緒に姿を消したという艶福家の渋沢さんらしいエピソードが残されています。
■工場火災で化学肥料事業が窮地に
このように渋沢さんの頭には常に「社会のため」があったわけですが、それを貫くのも決して簡単なことではありませんでした。1887年、渋沢さんは高峰譲吉さん(タカジアスターゼ発明者)や益田孝(三井物産創始者)さんらと一緒に日本初の化学肥料製造会社・東京人造肥料会社(現・日産化学)を設立しました。食糧増産に欠かせない肥料を国内で生産するためのものでした。
ところが、当時の農家には化学肥料への偏見があり、赤字続きでした。それでも渋沢さんは何とか事業を軌道に乗せていきますが、その直後に工場から出火、施設すべてが焼け落ちてしまいました。事業をあきらめてもおかしくない逆境です。実際、株主の多くが「会社の解散」を求める中、渋沢さんは肥料製造が農村振興には不可欠であると、自分ひとりでも成し遂げてみせると力説しました。
■社会に必要な事業なら頑張れる
大変だからと諦めては農業振興という目的を果たせなくなってしまいます。「挫けても挫けてもたゆまず築きあげてゆく。その決心と誠実とこそは仕事の上で大事なことである」という渋沢さんの信念が通じ、会社は再び操業開始にこぎ着けることができたのです。
事業が不振の時にこそ経営者の力量が試されますが、「解散しかない」という局面での渋沢さんの決断が国産の化学肥料を救いました。
渋沢さんには、本当に社会に必要な事業のためならあらゆる逆境を乗り越える強さがあります。だからこそ明治維新後の日本に何百という事業をゼロから立ち上げ、同じ数ほどの公益事業(東京市養育院やのちの一橋大学、日本赤十字社など)を立ち上げることができたわけですが、それを可能にしたものこそ「逆境」の原因を冷静に見極める力であり、「私利」よりも常に「公利」を大切にする姿勢だったのです。
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経済・経営ジャーナリスト
1956年、広島県生まれ。慶應義塾大学卒。業界紙記者などを経てフリージャーナリストとして独立。著書に『世界最強の現場力を学ぶ トヨタのPDCA』(ビジネス教育出版社)『イーロン・マスクの言葉』(きずな出版)、『スティーブ・ジョブズ名語録』(PHP文庫)、『1分間バフェット』(SBクリエイティブ)、『伝説の7大投資家』(角川新書)など。
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(経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥)
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