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ここぞという所で「勝負強い人・弱い人」を二分する"ある能力"

プレジデントオンライン / 2021年7月3日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/stock_colors

麻雀の“代打ち”として名を馳せ、20年間無敗。いつしか人々はその男を「雀鬼」の異名で呼ぶようになった。運が左右するゲームで決して「負けない」。そんなことは可能なのか。あまたの死闘から体得した勝負の真髄を語った、セブン‐イレブン限定書籍『運に選ばれる生き方』より特別公開する──。(第3回/全3回)

※本稿は、桜井章一『運に選ばれる生き方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■勝負運を持続させる人は「全体観」を持っている

勝負運を持続させるために必要なことのひとつに、「勝負の流れの中における準備」というものがある。勝負に弱い人と強い人の差が端的に表れる部分だ。

勝負に弱い人は、「ここぞ」という勝負所で、焦りなどから目の前のことしか見えなくなってしまう。

一方、勝負強い人は、そんなときでも広い視野を失わずにいられる。目の前のことだけでなく、まわりの状況を冷静に感じる「全体観」を保っていられるのだ。

全体観を持っていれば、勝負の流れの中で、自然に次の準備をすることができる。

■二の矢、三の矢の「そなえ」が重要

一の矢を放ったあとに、いかに二の矢、三の矢を準備できるか。一の矢を放ってお終(しま)いでは、運の流れはそこで途切れてしまう。二の矢、三の矢、それに続く矢を次々と準備し、放っていくことが勝負運の流れを続かせることになる。

麻雀でも勝負強い人は、次々と矢を準備して絶妙なタイミングでそれを放ってくるものだ。

勝っていても、上がることだけにとらわれず、全体の流れを見ているため、不意打ちをくらっても乱れることがない。即興かつ矢継(やつ)ぎ早(ばや)になされる準備によって、運の流れが途絶えることがないのだ。

矢の準備が必要なのは、優勢の流れのときだけではない。劣勢で負けそうなときも矢の準備はとても大切だ。

勝負の流れを急に変えることは難しいが、徐々に変えていくことは工夫すれば可能だ。その流れを変えていくために欠かせないのが、やはり二の矢、三の矢だ。

矢は必ずしも有効とは限らない。一の矢がダメなら二の矢、そして三の矢と、どんな情勢のときでも次の対処法なり対策を考えられるのが、勝負強い人の準備なのだ。

■麻雀の牌は1秒で打て

私が主催している雀鬼会では、麻雀を打つ際の決め事がいくつかある。牌を「1秒で打つ」というのもそのうちのひとつである。

麻雀を打つ人を見ていると、牌を持ったまま考え込み、なかなか打たないということがよくある。

私は、「考えるな、感じろ」という感性を重視した麻雀を教えている。そこから「1秒ルール」ができた。

1秒で打つためには、考え込んだり、悩んだりしている暇はない。余分な思考が入らなければ、シンプルで直感に近い感性だけが存在する。

考え込んだ末の答えは、考えた分量だけ、より正解に近くなるかといえば、けっしてそうではない。むしろ、その逆になることのほうが多い。

パッと浮かんだ閃(ひらめ)きのようなもののほうが正解に近いところへと導いてくれることを私は経験として知っている。だからこそ、道場生たちにもそうした姿勢を求めている。

■考えれば迷うだけ

考えれば迷う。考えれば複雑になってより正解から遠のく。それゆえ、私の麻雀はシンプルさをひたすら追求する。

1秒で素早く牌を切るには、牌を打つ動作にも無駄があったらダメだ。牌をぎゅっと力を込めて持ち、肩を上げて気合を込めて打つなどというモーションは最悪だ。無駄な力があちこちに入った動作から美しい麻雀は生まれない。

本当に強い麻雀は、速くて美しいものなのである。

あれこれ考え、へたにテクニックに走れば、無駄な動きが増え、スピードが落ち、相手に付け込まれる隙が生じる。

テクニックはもちろんいろいろとあっていいが、テクニックに頼りすぎると小手先の攻撃になりがちだ。強い攻めとは、小手先のテクニックではなく、全身を使ってシンプルに向かっていくものにほかならない。

考えるより感じる。そして勝負はシンプルに。これは、仕事であれ人生であれ、人が生きるうえで接するすべてのことに当てはまる、ひとつの真理だと思う。

■ツキは「円」を描いている

麻雀、トランプ、パチンコ……ゲームと呼ばれるものには、必ずツキや運の流れがある。流れがこちらに来ているなというときもあれば、どうもツキに見放されているなというときもある。こうした“波”が繰り返し訪れる。

ゲームにおいて「ツキがなくなった」と感じたとき、心理的にツキを取り戻そうと余計な考えを巡らせたり、必要のない動きを取ったりしがちだ。しかし、そのような思考や行動はさらにツキを遠ざける結果を招くだけでしかない。

私はツキがなくなったときこそ、大きな手を狙ったりせず、基本動作、基本の心構えを見失わないように気をつけている。牌は持つのではなく柔らかく触れる。1秒で打つ。自分のことだけでなく、「いい場」をつくることを第一に意識してプレーをする……。

基本動作や心構えはいろいろあるが、それと同時に「円感覚」も持つようにしている。

火花で描かれた円
写真=iStock.com/Viorika
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Viorika

ツキや調子の流れは来たり遠ざかったり、上がったり下がったりしながら円を描いているものだ。調子の波が少し下がってきたときは、その円の感覚を瞬間的に意識するといい。

■ちょっとした調子の崩れは30分で戻せる

基本を忠実に守り、慌てず焦らず自分を見失わなければ、ツキや調子のいい流れはやがて戻ってくる。

ちょっとした調子のかげりがあれば、だいたい30分で元に戻すことができる。「ツキがなくなってきたな」と感じても、けっして慌てることはない。

基本動作や心構えの大切さは、ゲームに限った話ではなく、仕事や人間関係など、世の中のさまざまなことに通じる。

基本動作というと易(やさ)しくできるものと思われるかもしれないが、雀鬼会でも基本動作をきちんとできる者は実は少ない。

たとえば牌を打つ動作ひとつにしても、完全な打ち方というのは難しい。無駄のない、柔らかくかつ鋭(するど)い動きで打つという動作にも、果てなき深さがある。

ツキがなくなったときも基本を忘れることなく自らを修正し、ベストなバランスを回復できる。そういう者にこそ、ツキは微笑むのである。

■「もうダメだ…」は「思考停止」でしかない

人生においては「もうダメだ」というお手上げの状態になることがある。しかし、冷静かつ客観的に見れば、本当の意味で「お手上げ」という状況は、そう多くはないと思う。

私の道場にはオリンピック選手やプロレス選手なども遊びに来る。サラリーマンや会社を経営している人もいる。そんなことから、実にいろいろな相談をされるのだが、「にっちもさっちもいかない」と本人が語る悩みを聞いてみれば、まだ「お手上げ」というところにまでは行っていないなと感じることも少なくない。

本当の「お手上げ」状態とは、命が関わっている状況以外はそうそうあるものではない。

「お手上げ」といっている人は、もうダメだと思い込み、思考停止になっていることが多いのだ。何もしないから「お手上げ」になってしまっていることに本人は気づいていない。

■「小さな気づき」から突破口が開ける

どんな問題にせよ、必死になれば突破口は見つかる。あきらめてはいけない。粘り強く探せば、小さなきっかけのようなものがどこかに必ず見えてくる。それが突破口になる。

桜井章一『運に選ばれる生き方』(プレジデント社)
桜井章一『運に選ばれる生き方』(プレジデント社)

厳しい状況の中でも突破口を見つけるには、普段から小さなことにも気づく感性を磨いておく必要がある。

「小さな気づき」は、運を呼び込むきっかけになりうる。しかし、視界に大きく入ってくるものにしか気が向かないような生き方をしていれば、感性はどんどん鈍(にぶ)っていってしまう。

気づきのない人に運がやって来ることはない。

小さなことに気づくといっても、それは、神経質に小さなところばかり見るという意味ではない。ゆったりと構え、ものごとを全体でとらえながら、同時に小さなことにも気づく。

そのようなスタンスを理想にしてほしい。

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桜井 章一(さくらい・しょういち)
雀鬼会会長
1943年東京・下北沢生まれ。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。以後、圧倒的な強さで勝ち続け、20年間無敗の「雀鬼」の異名をとる。現役引退後は、「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」を開き、麻雀を通して人としての道を後進に指導する「雀鬼会」を始める。モデルになった映画や漫画も多く、講演会などでその雀鬼流哲学を語る機会も多い。著書に『負けない技術』『流れをつかむ技術』『運を支配する』『感情を整える』『群れない生き方』など多数。

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(雀鬼会会長 桜井 章一)

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