「記者会見のたびに支持率が落ちた」それでも菅首相が"あの言葉遣い"を続けたワケ
プレジデントオンライン / 2021年9月16日 12時15分
■なぜ菅首相が退任に追い込まれたのか
菅義偉首相が自民党総裁選への立候補を断念し、9月末の総裁任期満了に伴って首相を退任することになった。7年8カ月に及んだ安倍政権を支え、昨秋の総裁選で圧倒的な得票で党総裁に選ばれながら、なぜ1年でトップの座を明け渡すことになったのだろうか。
新聞やテレビ報道では、派閥の動向に着目した政局から解説がなされることが多いが、筆者は、菅首相のある“言葉遣い”に決定的な原因があると考えている。
緊急事態宣言の発出や延長に際し、菅首相は繰り返し記者会見に臨んだ。そのたびに向けられたのが「聞かれたことに答えていない」「言葉が響かない」という批判の声だった。
月刊誌『文藝春秋』10月号によれば、菅首相は同誌の単独インタビューでこうした批判を受け止めつつ、「どうしたら国民に言葉が届くのか、もう一度一からやり直さないといけないと感じています」と述べている。菅首相は自身の欠点を認識していたものの、最後まで“言葉遣い”を修正できなかった。
筆者は外務省の官僚時代、首相や大臣の国会答弁、プレス対応用の応答要領などをこの手で書き、また同僚が書いたものをチェックし、決裁をしてきた。その経験から、菅首相がなぜ評判が芳しくない言葉遣い、記者会見のスタイルを続けたのかを読み解きたい。
実際に首相会見では、記者の質問に正面から回答することはほとんどなかった。具体的に会見内容を見ていくとその傾向がよく分かる。8月25日の首相会見を例にとりたい。
■菅首相の言葉への違和感の正体
記者会見は首相官邸の記者会見場で開かれた。会見時間は約1時間。まず冒頭の約15分間、菅首相が用意された原稿を読み上げる形で、施策の発表と現状の分析、そして今後の見通しについてスピーチ。次に記者からの質疑となる。(参考:新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見)
この質疑応答で、国民の気持ちを代弁するような、分かりやすい質問をビデオニュース・ドットコムの神保哲生氏が行った。質問の要旨は単純明快。「菅政権のコロナ対策は本当にうまくいっていると思っているのか。その根拠は何か。問題があるなら何か」である。
これに対する菅首相の回答の要旨は以下である。
・自分は毎日コロナ対策をやってきた。コロナのワクチン接種に全力で取り組んできた。
・ワクチンについては海外と制度が異なり、日本は制度上、どうしても遅れる仕組みになっている。しかし、これからワクチンは欧米並みに接種が進んでいく。
・自分自身、このワクチン接種には全力で取り組んできて、そこは良かった。引き続き、全力で取り組んでいきたい。
・コロナ対策をしっかり進めて、1日も早い、かつての日常を取り戻すことができるように全力でやっていきたい
冷静に読み解けば分かるが、菅首相は質問に見事に答えていない。神保氏の関心は、ワクチン施策の評価だけではない。政府のコロナ対策全般が機能していないのではないかという疑問と、感染者数に歯止めがかからず、死者も出ている点で対応に問題はないのかを問うている。その現状認識の上で政府のコロナ対策は本当に結果を出せているのかを聞いている。
神保氏は、別にワクチンの進捗がうまくいったかどうかを聞いているわけではない。
菅首相や政府が全力でやったのかを聞いているわけでもないのだ。
■かみ合わない質疑応答
以上を整理すると「あなたは本当に結果を出せていると思っているのか」という結果を問う質問に対して、「全力でやってきた」と頑張り度合いを答えている。「コロナ対策についての全体評価」を聞かれ「ワクチン政策の進捗の評価」に替えて答えているのだ。
もう一つ、時系列で分かりやすい例があるのでご紹介したい。8月25日の質疑で最初に質問をした北海道新聞の記者であるが、彼の質問の要旨と菅首相の答弁を対応すると図表1のとおりになる。
一見すると先ほどよりはマシのようだが、整理すると質問には答えていないことが分かる。「ワクチンに偏っているのではないか」というワクチン偏重の指摘に対して「ワクチンを含む3つの柱でやっていく」と答えているのはその典型だ。
また、「出口はいつなのか」という「when」を尋ねているのに対して「出口戦略については、対策を徹底し、ワクチン接種を推進する」と「how」を答えている。
■明確な説明のない「お願い」
実は、この北海道新聞記者は、同じ問題意識から7月30日にも質問をしている。その際の要旨は図表2のとおりだ。
ここもすれ違っているのがお分かりいただけるであろうか。
質問と答弁を対応させた場合、「政策が効果を発揮していないのではないか」の問いに、菅首相は「感染者が増えた原因はデルタ株である」と答えている。「いつ収束させるのか」の「when」の質問に、「総力を挙げてワクチン接種をやる」と答えている。特に、五輪については、はい/いいえ、で答えることのできる質問であるが、論点をずらして、聞かれてもいないテレビ観戦の話をしていることがわかる。
この2度にわたる北海道新聞記者の質問のポイントは「毎回政策を打ちだしているが、効果は出ているのか。PDCAを回しているのか」という点にあるように私は思う。その上で、先が見えない状況が「いつ終わるのか」(when)を聞いている。
しかし菅首相は2回とも質問に全く答えず、論点をずらしている。一般の視聴者であっても、こうした“すれ違い”が続くため、首相の言葉に違和感を覚えるのは当然だろう。事態に改善が見られていないようにも見えてしまうし、自粛や行動制限を「お願い」されても、国民から共感や納得は得られるはずがない。時間の経過とともに支持率が低下していったのは必然的であったと言える。
そもそも、なぜ菅首相はこの評判の悪い“言葉遣い”を続けたのだろうか。私は菅首相が記者会見で読み上げる官僚が作った文章(答弁書)に最大の問題があると考えている。その文章は、「霞が関文学」と言える官僚作文の特有の技法がある。
■「霞が関文学」という守りの美学
霞が関文学とは、一言で言えば「守りの美学」である。
ロジックはこうだ。ほころびのある論点で深掘りをされると、旗色が悪くなる。深掘りされると回答がない。だからその論点は回避したい。ただ、直接回避をするとよくないので、答えているように振る舞い、自分のアピールできる論点に滑らかにつなげる。
最後の、「自分のアピールできる論点に滑らかにつなげる」がミソである。
このテクニックはなにも官僚の専売特許ではない。私たちの日常会話でも見られる。例えば、恋愛感情を抱いた相手の気持ちを確かめようと「私のことどう思う?」と尋ねるシーンを想像してほしい。相手が、本当に自分を好きであれば、シンプルに「好きだよ」と答える。
しかし明確に答えられない事情があればどうだろう。
回答する側は「たいして好きじゃない」とは言いにくい。「わからない」では旗色が悪い。よって「君といるのは楽しいよ」と一見ポジティブで無難な回答を選ぶだろう。
「君といるのは楽しいよ」は程度の差こそあれ事実。嘘ではない。「好き」と言ったら、次に「じゃあ、付き合ってよ」となるかもしれないが、そのラインは越えてほしくない。そこで論点を滑らかにすり替えて相手に“それとなく”答えたような格好をする。尋ねた側も「楽しい」と言われたら悪い気はしない。「何が楽しいの」とさらに聞きたくなる。このように論点を変えてくれれば回答する側は窮地を一時的に回避できる――。
卑近な例となってしまったが、このような守りのロジックを極めているのが霞が関官僚たちである。官僚たちは、首相や大臣が記者会見や国会答弁で使用する原稿を準備する。そこには、このテクニックを徹底的に仕込むのである。
業界では「すれ違い答弁」という言葉があるほどで、巧妙にすれ違う美学を大事にしている官僚も多い。特に、突かれたくないポイントを突かれているときに多用される。
■都合の悪い質問はかわし、正面から答えない
「霞が関文学」が多用される答弁書では、都合の悪い質問にはその質問にかする論点で、プラスで答えられるものを探す。「はい/いいえ」で聞かれても、決してそうは答えないのが鉄則だ。
基本的な回答のセットは、総論的に状況認識を繰り返し、状況は分かっている感を出す。次に自分の答えられるポイントに持っていけるフックを入れておく。自分の答えられるフィールドに来たら、そこを最大限アピールする。その材料はたいてい、冒頭記者会見で述べた内容が繰り返される。
結びにもお決まりの定型がある。全体的に“頑張る姿勢”を示す。キーワードは「いずれにせよ」「全力で」「しっかり」「緊密に」「連携をしながら」「やっていきたい」であり、結果としておなじみのフレーズが多用されることになる。
さて、この技法をお伝えした上で今回の事案を見ていきたい。
初めに、総論として自分が全力でやってきたことに言及する。なぜなら、全力でやっているというのは、そのニュアンスだけ見ればポジティブであり、そして、全力でやったかどうかは否定しようがない。これによって「責任」や「評価」についての質問の論点をずらしながら、答えた感を出すのだ。
■説明よりも、政策のアピールに重点
その中で、ワクチン接種であればアピールしたい数字がある。まだ答えられる。なんとかワクチンのフィールドまでもっていきたいという思考が働く。その時に最初のくだりが効いてくる。全力でやった内容は何かという説明をする中で再びワクチンの話題にもっていくのだ。
ただ、ここですれ違いが起きる。記者の質問は「ワクチンの現状」ではないからだ。コロナ対策全般や状況が改善していない理由、なぜワクチン一本足打法なのか、ということを聞いてもそこには答えず「全力でやっている」という説明に必ずなる。
なぜか。質問に対していい回答ができない、あるいは答えたとしても言い訳と捉えられてしまう恐れがあると答弁を書く官僚側が分かっているからだ。したがって、この種の問いは何を聞いても、何回聞いても「ですから、ワクチンについて全力でやっている」となる。
極端な話、「なぜイベルメクチンを承認しないのか」の質問にも全く同じ答弁ができあがる。最初に「コロナ対策についてはさまざまな声が上がっていると認識している」と一節入れて、そこから「その中で全力を」と書いて以下同文。この手のことはよくある。
■なぜ「守りの技法」が進化してきたのか
一般常識で考えれば、聞かれたことに正面から答えて、未達成のもの、できないことは正直に認め理由を示すべきだろう。しかし、霞が関官僚にはその常識が通用しない。
日本政治は「減点主義」であり、野党やメディアが政府の弱点を執拗に突く文化が根強いと筆者は感じている。結果、政官が守りを重視せざるを得なくなったと思う。正直に答えてしまえば、鬼の首を取ったように「責任を取れ」などと大合唱が始まる。世論が沸騰し、国会が紛糾してしまえば、国会対応に膨大なエネルギーを費やすことになる。これは霞が関の官僚にはどうしても避けたい事柄である。
当然であるが政府は万能ではない。最大多数の幸福の原理にどうしても立ってしまうときがある。そのときに救われる最大の方に評価はいかずに、切り捨てられることになった側に焦点が当たることが非常に多い。褒められることはなく、攻められるばかりなのだ。国会やプレス対応を見ていただければ、それはすぐに傾向として分かる。
つまり、まともな理由を述べようが述べまいが、突き立てられるのであり、責任追及をされる。その理屈に立つと自然と「守る」ことに集中せざるを得ないのだ。
仮に「すれ違い答弁」を突破されたとしても、霞が関の官僚たちはあらかじめ別の防衛手段を準備している。何ページにも及ぶ想定問答だ。霞が関の官僚たちはいつ聞かれるか分からない質問に対して、膨大な時間と労力を割いている。その作業を、毎晩毎晩繰り返している。
このような環境下では、最適解はやはり「一時的にしのぐ」ことに収斂される。政府が守りを強いられる論点があっても一時的にしのいでいれば、そのうちに別の事案が起きて、論点は移る。時間の経過をじっと待つことが有効な策になる。
しかし、今回の新型コロナの感染拡大は一時的にしのげる論点にはならなかった。
■致命傷になった「官房長官スタイル」
安倍政権を引き継いだ菅首相は、約1年で退任せざるを得なくなった。国民の支持を失った原因のひとつは、記者会見で発せられる言葉遣いだったと思う。
菅首相の会見について、「いつも原稿を読んでいる」という批判がある。途中からプロンプターを使うようになったが、国民の違和感は取りのぞけなかった。視線や原稿の読み方をいくら変えても、読んでいる原稿は変わっていないのだから当然だ。
もう一点、致命的な理由がある。それは菅首相が約7年8カ月におよぶ官房長官在任中に、霞が関文学の守りの技法を極めてしまったことだ。
官房長官は、原則として1日に2回、政府のスポークスマンとして記者会見に臨む。冒頭発言は政策の公表だが、質疑でフロントに立ち、政府を代表して「守る」のが役割だ。菅首相は、官房長官のスタイルが板についてしまった。つまり、官房長官時代の「一時しのぎ」の答弁スタイルを極めてしまったことが逆説的に致命傷につながったと言える。
官房長官は「守り」の姿勢でいいかもしれない。しかし、首相というトップの立場にそのスタイルはふさわしくない。政府が何を考え、どのような方針で政策を進めていくのか。それらを発信し、政策の失敗や欠点を認めるのもトップにしかできない。トップにしか語ることができないことだ。
筆者が答弁作成に携わった経験から言えば、この守りの技法には、根底から欠けている思想がある。それは守りに集中するあまりに、「いかに効果的にメッセージを伝えるか」という視点がないのだ。
特にこの危機の時にあってはなおさらだ。トップ自ら「守りの技法」に依存しては、「国民に首相の言葉が響かない」と批判されるのも無理はないのである。なぜなら、トップが読んでいる原稿は、「守りの技法」を極めた霞が関官僚たちの言葉なのだから。
■トップこそ「自分の言葉」で語るべきだ
守りの技法である「霞が関文学」は、官僚たちが長い年月をかけて完成させた答弁スタイルだ。減点主義的な政治環境、メディア、野党対応を考慮して収斂した技法だ。よって「霞が関文学」はメッセージを国民に伝えるという「攻め」が必要な場面で役に立たない。
どんな事情があれ、国民の疑問に答えない記者会見ほど無意味なものはない。基本に立ち返れば、疑問には正面から答えるべきだ。答えは一つではない。批判もされるだろう。しかしなぜ政府がさまざまな選択肢から一つの決断を下したのか、選んだ理由や思考過程を洗いざらい打ち明けるほうが、国民の納得感は高いだろう。
特に政府の新型コロナ対策は国民の一大関心事だ。「お願いベース」と言われるように、国民に協力を求めるならばなおさらのことだ。これは決して霞が関の官僚にはできない。トップの言葉が必要になる。
政府のミスは許されない。そもそもミスはあり得ない――。いわゆる「無謬性の原則」が政官のみならず、国民の無意識の前提になっているように感じる。だが政府は完璧ではなく、失敗することもある。「すれ違い」を是とするのをやめ、トップはできることはできる、できないことはできないと、正直に自分の言葉で語るべきなのだ。
政治家が繰り返し使う「国民と真摯に向き合う」とは本来そういう意味で、決して答弁の結びを飾るだけの無機質な文言ではない。次にどのリーダーが選ばれようと、リスクをとってでも国民と向き合い、自分の判断を雄弁に語ることが求められる。
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元外務省職員、EnergyShift発行人兼統括編集長(afterFITメディア事業部長)
1984年生まれ。2007年、東京大学経済学部経営学科を卒業後、外務省入省。開発協力、原子力、大臣官房業務などを経て、2017年から気候変動を担当。G20大阪サミットの成功に貢献。パリ協定に基づく成長戦略をはじめとする各種国家戦略の調整も担当。2020年より現職。日本経済研究センターと日本経済新聞社が共同で立ち上げた中堅・若手世代による政策提言機関「富士山会合ヤング・フォーラム」のフェローとしても現在活動中。自身が編集長を務める脱炭素メディア「EnergyShift」、YouTubeチャンネル「エナシフTV」で情報を発信している。
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(元外務省職員、EnergyShift発行人兼統括編集長(afterFITメディア事業部長) 前田 雄大)
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