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「バキバキに割れたスマホを平気で使う」"天才肌"3人の納得の言い分

プレジデントオンライン / 2021年10月25日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/praetorianphoto

スマホの画面が割れていても平気な人は、なぜ平気なのか。作家の岸田奈美さんは、食事会の場で、となりの席に座っていた男性から「どうしてスマホの画面が割れてるのに平気なの?」と問われた。そのとき、岸田さんが出した答えとは――。

※本稿は、岸田奈美『傘のさし方がわからない』(小学館)の一部を再編集したものです。

■カウンターでとなりの席の男に言われた一言

「どうしてスマホの画面が割れてるのに平気なの?」

カウンターで、となりの席にすわっていた男がいった。

カウンターといえば寿司屋だ。そうここは寿司屋。

わたしのような貧乏性の貧乏人には、たとえウニをからごと飲みこむ芸を見せようが、足をふみ入れられない超高級寿司屋なのだ。

知り合いの社長さんが主催する食事会に急きょ欠員が出たらしく、浅ましく「エッヘッヘッ、寿司食わせてくださいよォ、まわらない寿司ィ」ともみ手で頼んだところ、なんの気まぐれかで連れてきてもらえた寿司屋なのだ。

いつもわたしが回転寿司で食べるハンバーグ寿司やマヨコーン寿司などの陸上寿司とは一線を画す、超一級品の海中寿司たちが目白押し。手間ひまかけてあぶられたキンメダイを食べたり、ハモの茶碗蒸しをできるだけへらないようチビチビすすったり、キラッキラの中トロを口の中でとかしたりするのに、わたしは忙しい。こんなやぶから棒の男にかまっているヒマはない。

■「割れてるスマホを人に見られても平気なの?」

「平気っていうか、いまは寿司を食うのに忙しいので」
「いまじゃなくて、普段の話だよ! 割れてるスマホを人に見られても君は平気なの?」

スマホはカウンターのすみに、無造作に出したままだった。めったに食べられない寿司たちを撮影し、インスタグラムにでものせ、ろくに連絡もとってない地元の有象無象どもに見せびらかしてやろうと思ったものの、あまりのうまさに前頭葉をやられて撮影をあきらめていた。放置されたスマホの画面はバキバキに割れている。彼はそれを見ていた。

問われている意味がよくわからなかった。

「平気じゃないことってあるんですか?」
「俺は画面が割れたら、すぐに修理しにいくよ」
「なんで?」
「なんでって、画面も見づらいし、使いづらいじゃん」
「まあそうですけど、いうほど不便じゃないし」
「割れてる画面を他人に見られるのもいやだな」
「どうして?」
「恥ずかしいから」

衝撃を受けた。スマホが割れていることで、恥ずかしいと思えるほど奥ゆかしい人がこの世にいるのか。

「ど、どういう理由で恥ずかしいんですか?」
「こすっちゃったり、へこんだりして傷のある車をそのまま運転してる感じかな」

彼もまた、言葉を慎重に選んでいた。お互いに疑いもしない常識がある前提での会話なので、まず言葉にならない言葉を深層心理から見つけ出す作業が必要なのだ。

名店の寿司屋で、未知の文化圏同士の奇跡的な邂逅が起きている。

「だらしない人って思われるのが恥ずかしいのかも」
「ええ?? っ?」

■直前に大トロを食ったのがよくなかった

わたしは、スマホが割れて恥じる人々の思考を想像してみた。

割れたスマホを修理せずに放置しているのは、めんどくさがりか金がないのか、まあなんにせよズボラな人間だ。そんなヤツはきっと、酒を飲んで家に帰りゃ玄関でくつをだいて眠り、友人の結婚式にはうっかり両替を忘れてヨレヨレの万札を祝儀袋につめこんで、一度飲み終わった番茶のティーバッグを最低でも三度は使うのだろう。スマホが割れているヤツは、きっとそうに違いない。

そんなわけあるか。

ひととおり想像し終わって、わたしはため息をついた。

「なんていうか、そんなちっちゃいことを気にしてて生きづらくないですか?」

直前に大トロを食ったのがよくなかった。気が大きくなっていた。コハダくらいだったらよかった。気づけばわたしはひとまわりもふたまわりも歳上の彼に、ド失礼なことをいい放っていた。

トロの握り
写真=iStock.com/vapadiii
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vapadiii

彼はキョトンとしたあと、ゲラゲラと笑った。

「岸田さんいいねえ! ちょっと相談があるんだけど」

彼はMBSのテレビプロデューサーで、水野さんといった。帰って調べたら、ヒット番組の名前ばかりズラッとならべて記載されているWikipediaまであった。ちょっと、ちょっと。なんなのよ。

■「スマホが割れても平気な人」として人生初の密着取材

かくしてわたしは、『平気なの⁉って聞くTV』というテレビの特番で、人生初の密着取材を受けることになったのである。密着取材ともなれば、身のまわりの人たちにすぐさま報告がいる。わたしは母に電話をかけた。

「あのな、今度、MBSの特番で取材してもらうねん」
「うわあっ、すごいやん。近所の人らにもいうてまわらな。作家として出るん?」
「いや、それが、“スマホが割れても平気な人”として出るんやけど……」

電話口で母が言葉を失っていた。当然だ。まさか母も、手塩にかけて育てあげた娘が、そんな不名誉なくくりで全国につるし上げられるとは思っていなかったはずで。そして母は、絶対にスマホを割らない、几帳面で慎重な人だった。

「親の顔が見てみたいとかいわれへんかな」
「どうやろう、いわれるかも……」
「そっかあ。親の顔、出す準備しといた方がいいかな?」

親の顔が見てみたいといわれて、見せる準備をする親もめずらしい。

そのあと、事務所に報告しても笑われ、友人に報告しても笑われた。みんな、全面的に協力してくれるということで一致した。

つるし上げられる前に、こちらから舞台の上へおどり出てやる。わたしはこの取材を通じて「スマホが割れても気にしない方が、人生は楽しい」という持論を展開するつもりだった。

■取材直前に、外側カメラを壊してしまった

真夏の昼間から取材がはじまった。

仕事、プライベート、食事、買い物、すべてカメラマンさんがついてまわる。その日は朝から渋谷へ行き、打ち合わせをしたあと、友人が開店した店に顔を出す予定だった。

渋谷の街
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

わたしは、前週すでに悲劇を起こしていた。歩いている途中にスマホをコンクリートに落とし、外側カメラがまったく使えなくなった。

カメラを起動させても、画面にはなにも映らない。虚無だけが広がる。

内側カメラはかろうじて使えるので、写真を撮らなければいけないときは、内側カメラを使った。

ものだけ撮ろうとしても、背面からは画面が見えないのでうまく写らない。

仕方なく、ものと一緒にわたしも写るようにした。自撮りだ。友人に自分の現在地を伝えるにも、近くの建物と自撮り。目にも美しいケーキセットと自撮り。なんでもかんでも自撮り。撮らなければならなかった写真にはすべて、必要のないわたしが写りこんでいた。カメラロールは三浦大輔の自撮りのような構図で埋めつくされた。

取材の中で堂々と「スマホが割れてても、なんの不便もないんですよ!」と宣言する予定が、早くも出鼻をくじかれた。くじくどころか、骨折している。もはや消化試合のよそおいである。

■会う人、会う人のスマホがことごとく割れていた

「おっちょこちょいで、忘れものをよくする」「時間にルーズでだいたいあわてている」「視野がかなりせまく、水の入ったコップを頻繁にたおす」

取材を受ける中で、わたしが無意識にやらかしてしまったことだ。うっかり画面を見せたら、LINEの未読が546件もたまってた。

白昼堂々と失態をカメラに収められてしまったせいで、スマホが割れて恥ずかしいというより、スマホを割ってしまうようなだらしない自分が恥ずかしくなってきた。

ただひとつ、救われたのは。

密着取材中にわたしと会う人、会う人のスマホがことごとく割れていたのだ。

カラスの牧野圭太さん、ANOBAKAの森真梨乃さん、コルクの佐渡島庸平さん。もれなく全員、活躍するフィールドは違えど天才的な人たちだ。

その天才たちが、密着取材中の岸田と会ってしまったばかりに「スマホが割れてる知人としてひと言ください」とカメラを向けられていた。完全な巻きこまれ事故である。

牧野さんは「こんなのなんでもないですよ。気にしたこともないです。っていうか、修理してもまた割れるかもしれないし」といった。

森さんは「これJOJOコラボのスマホなんですよ。割れてるほうが“歴戦をくぐり抜けてきたスマホ”って感じがしてかっこいいでしょ」といった。

佐渡島さんは「修理できるならした方がいいけど、時間は限られてるんだから、これを修理にもっていくより、優先度が高いことをやった方がいいですよね」といった。

自信を失いかけていたわたしに、力がみなぎってきた。わたしは、だらしないわたしのことをあまり信じてないけど、わたしのまわりにいる天才たちのことは信じている。

天才たちがそういっているのだから、信じていいのだ。スマホが割れていても臆することはない。

■傷があるモノには、自分の生きた証を見いだせる

古来、傷は勲章、という言葉が残されている。

パタリロのプラズマXは「傷は男の勲章さ」と、αランダムを受け入れた。ワンピースのゾロは「背中の傷は剣士の恥」と、腹にデカい傷を受けた。BUMP OF CHICKENは「そうして知った痛みを未だに僕は覚えている」と歌った。

傷はときに、大切ななにかを守った記録に、自分が存在していた証明になる。倒木のあとに新緑が息吹くように、傷跡には愛着が芽生える。ゆらぎそうになったとき、傷をなでれば、勇気すらわく。

さらぴんのモノより、傷があるモノのほうが、そこに自分の生きた証を見いだせる。

岸田奈美『傘のさし方がわからない』(小学館)
岸田奈美『傘のさし方がわからない』(小学館)

わたしは買って読んだ本に線を引き、ふせんを貼るくせがある。「本を汚すなんて」「いらなくなったとき、売れないじゃん」と、反対もされる。それでもわたしは、とにかく書きこみたいのだ。

本をふたたび開くとき、過去の自分と対話しているような気持ちになる。

あのとき、なぜこの一行が心にささったんだろうかと考える。自分の成長に気づく。

走る線を、うすくなった紙のはしを、本に残した傷を目で見て、どこかで救われている自分がいる。最近はなんでもデジタルコンテンツになっている。すごく便利だ。でも、失われてさびしいものもある。

何度も開いてヘロヘロになったCDの歌詞カード、借りものの恥ずかしい言葉と絵を刻んだノート、Aボタンの塗装が連打ではげていったゲームボーイ。そこにある傷は間違いなく、捨てられない愛着だった。

■愛はどこにでも芽生える

愛は、どこにでも芽生える。

割れているスマホにも。だって、割れているから「岸田さんそれどうしたの!」と初対面の人にも話しかけてもらえるし。自撮りばっかりの写真で笑ってもらえるし。スマホを落としたらたまたまフォロワーさんに拾われる奇跡が起きたこともあるし。ボロボロだから、思い切って使いたおせるし。バキバキのスマホも、意外と愛しいじゃん。まあ、そりゃ、見た目は悪いけどさ。

愛はどこにでも芽生えるのだから、芽生えさせなきゃ損なのだ。

わたしはスマホが割れていても平気だ。そこへ愛を見いだしたから。勲章はわたしがわたしに与えるのだ。

その方が、生きていて楽しい。

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岸田 奈美(きしだ・なみ)
作家
1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。2014年関西学院大学人間福祉学部卒業。在学中に創業メンバーとして株式会社ミライロへ加入、10年にわたり広報部長を務めたのち、作家として独立。2020年1月「文藝春秋」巻頭随筆を担当。2020年2月から講談社「小説現代」でエッセイ連載。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。2020年9月初の自著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)を発売。

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(作家 岸田 奈美)

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