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「治療方法がなく、死ぬまで痛みに耐えるしかない」三国志の曹操も苦しんだかもしれない"ある病気"

プレジデントオンライン / 2021年12月12日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/peterschreiber.media

古代中国で恐れられていた病気がある。早稲田大学文学学術院の柿沼陽平教授は「それは虫歯だ。当時は治療する技術がなく、痛みに耐え続けるしかなくなる。三国志に登場する曹操もむし歯に苦しんでいたかもしれない」という――。(第1回)

※本稿は、柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)の一部を再編集したものです。

■虫歯に苦しんでいた古代の中国人

官吏や貴族の家では、朝早くから使用人が動きだしている。かれらは井戸で水を汲(く)むなどの作業をしている。一軒一軒の屋敷に井戸が備わっているところもあれば(※1)、ムラごとに井戸を共有しているところもある。(※2)

身体に烙印(らくいん)を帯びた家々の奴隷は水を汲むたびに(※3)、井戸で顔をあわせている。分をわきまえた奴隷ならば、ご婦人らの井戸端会議に加わらず、そそくさと水を汲み、主人へ届けたことであろう。

主人とその家族は、井戸から汲まれてきた水で顔を洗い、手を洗う。歯みがきはしない。起床時と食後に口をすすぐだけである(※4)。最古の歯ブラシは唐代のもので、それ以前には確認できない。ほぼ同じころ、古代インドの人びとは朝から木ぎれをくりかえし噛(か)み、それを歯ブラシのかわりにしていた(※5)。これを「歯木(しぼく)」や「楊枝(ようじ)」というのであるが、こうしたものは古代中国にはなかった。

小さいキリのようなもので歯間のよごれをとることも皆無ではなかったようであるが、それはけっして一般的ではなかった。では、はたして水で口をすすぐだけで、人びとの口内衛生は保てていたのか。

漢代の人びとが日常生活においてもっとも恐れていたのは、ひょっとすると虫歯かもしれない。芸能人でなくとも、歯は命である。ひとたび虫歯となれば、治ることはなく、徐々に歯を侵食してゆく。ヘタをすると、周囲の歯にも魔の手がおよぶ。毎日その痛みに耐えねばならず、それはやがて臨界点を超える。

その苦しみをのぞくには、現代であれば、一時的に痛み止めを服用するか、歯を削るか、抜歯をするなどの手がある。だが当時は、歯を削る技術がなく、現代のように強い麻酔薬もない。例外として後漢末に神医華佗(かだ)が全身麻酔術をおこなったとの伝承があり(※6)、大麻(たいま)による麻酔技術があった可能性もある(※7)

■三国志の曹操もひどい虫歯だった可能性も

大麻吸引の起源は古く、紀元前1000年以前の吐魯蕃(トルファン)の洋海(ようかい)墓地や加依(かい)墓地では、大麻のタネと葉の粉末がみつかり、儀式や医療で用いられたとされている(※8)。その技術が漢代において、すでに中原(ちゅうげん)へ流入していても、なんら不思議はない。だが関連史料は少なく、大麻による麻酔技術が民間医療にじっさいにどの程度浸透していたのかはわからない。

ほかに漢代の医書『神農本草経(しんのうほんぞうけい)』には、歯痛をやわらげる手段として、洗口液・マッサージ・薬草・下剤・針治療が挙げられ、388か所のツボのうち、26か所が歯痛に効くとされている。効くかどうかはともかく、これは、当時の人びとが歯痛を気にしていたあかしである。こうして歯の日常的な手入れが必須となる。

当時の人びとは、しかし既述のとおり、歯ブラシをしない。起床時と毎食後に口をすすぐだけである。後漢時代には「楊枝(※9)」の語もあったが、まえにのべたように、これはおそらく古代インドの歯木のことで、現代日本人がイメージするものとは異なり、しかもそれは中国国内では日常的に用いられていたわけではなかった。すると、ある程度の虫歯は避けようがない。じっさいに、虫歯を意味する「齲(く)」字の起源は殷代にさかのぼり(※10)、虫歯は大昔から人びとを悩ませた。

たとえば、前漢時代の元帝(げんてい)は40歳未満ですでに歯も髪も抜けおちていたらしい(※11)。近年発見された漢末の曹操墓からは、60歳前後の男性の頭蓋骨が出土し、これまたひどい虫歯である。

中国河南省文物局が曹操の墓「高陵」と確認されたと発表した墓の内部=2009年12月27日、河南省安陽県
写真=AFP/アフロ
中国河南省文物局が曹操の墓「高陵」と確認されたと発表した墓の内部=2009年12月27日、河南省安陽県 - 写真=AFP/アフロ

■現代人と比べて桁違いに虫歯が多いわけでもない

文献によれば、曹操は長らく頭痛に悩まされていたようで、その原因は虫歯かもしれないといわれている。また近年出土した隋(ずい)の煬帝(ようだい)墓からも2本の歯がみつかり、いずれも虫歯であった。唐代の白居易(はくきょい)や韓愈(かんゆ)といった文人は、わざわざ歯痛の詩さえつくっている(※12)

ひとたび歯を失えば、食べられるものもかぎられてくる。歯をなくした老人のなかには、女性を乳母として雇い、母乳を飲んだ者もいた(※13)。さもなくば、歯のない老人は飴をなめるのも手である(※14)

このように古代中国の人びとは虫歯に悩まされていたが、白骨遺体やミイラの歯をさらに収集して数えると、虫歯の数は現代日本と比べて多いことは多いものの、桁(けた)違いに多いというわけでもなさそうである。

たとえば、馬王堆(まおうたい)漢墓出土のミイラは、長沙王国丞相の妻であり、身長154センチメートル(以下cm)、重量34.3kgである。彼女は50歳頃に、冠状動脈疾患・動脈硬化症・多発性胆石症を患い、住血吸虫病に感染し、蟯虫(ぎょうちゅう)や鞭虫(べんちゅう)に苛(さいな)まれながら死んだ。

彼女の口のなかをのぞくと、永久歯(親知らずをのぞく28本)は16本残っている(※15)。現代日本の60代の女性が平均21本程度なのと比べれば少ないものの、全部が虫歯というわけではない。

■当時の人々にとって切実だった「口臭問題」

その歯学的理由を考えてみると、そもそも虫歯の原因のひとつにデンプン質がある。現代日本人はコメの粒食(りゅうしょく)(粒(つぶ)のまま食べること)や、コムギの粉食(ふんしょく)(つまり麵(めん)・餅(へい)など)をつうじて粘着性のデンプンを摂取する傾向があり、ここに虫歯の一因がある。

だが唐代以前の食生活はそうでない。あとでのべるように、漢代人はおもにアワなどを粒食しており、それほど粘性はない。小麦の粉食もまだ多くはない。すると、ここにかれらの虫歯を抑制していた一因があったのかもしれない。

もちろん、ろくに歯もみがかずに日々を過ごしている以上、口臭もちの人もいる。口臭がひどければ、男・女ともによりつかず、恋愛・結婚・仕事にも支障が出るであろう。それゆえじっさいに戦国秦の「日書(にっしょ)」(※16)という占いの書物には、しばしば口臭問題が取沙汰されている。

「○○日に生まれた子どもはきっと口が臭いであろう」、「○○日に結婚した場合、妻はきっと口が臭いであろう」等々。これらはおそらく出産間近の父母、もしくは結婚間近の男性にたいする占いであり、口臭が切実な問題であったことをうかがわせる。

■ブレスケアを口にふくむ皇帝の側近

かりに皇帝の側近ともなれば、皇帝がそれを不快に思わぬように、いわゆるブレスケア (杜若(とじゃく)・鶏舌香(けいぜつこう))を服用しておくほうがよい(※17)。とくに鶏舌香は、かの曹操が天才軍師諸葛亮(しょかつりょう)孔明に贈ったこともある珍品で、「孔明よ、おれのそばでささやいておくれ(アヤシイ意味ではなく、助言を求めている)」という意味の贈り物であろう(※18)

柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)
柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)

ただし、カンタンに手に入るものではなかったらしい。たとえば、ある老臣は皇帝から鶏舌香を渡され、口にふくんだところ、たいへんな苦さであった。かれは皇帝から毒薬を賜ったものと誤解し、帰宅後に家族に説明したところ、皇帝の面前でいったいどんなミスを犯したのかとみな大騒ぎした。

その後、かれの口からよい匂いがしたので、みな大笑いとなり、その老臣もようやく事態が飲み込めたという(※19)。つまりその老臣は、口が臭かったので、皇帝から鶏舌香を賜わったわけである。どうやらその老臣にとって、その服用ははじめての体験であったようである。

ちなみに、当時の美女のなかには「気は蘭(らん)の若ごとし(吐息は蘭の香り)」と評される者もおり、美女もブレスケアを使用していたことがうかがわれる。古代中国の恋人同士はキスをするので、エチケットとして必要であったのであろう。

(註)
1 『漢書』巻2恵帝紀2年春正月条。
2 『呂氏春秋』巻第22慎行察伝。
3 『後漢書』巻1光武帝紀下建武11年8月癸亥条。
4 『礼記』内則、『史記』巻105倉公列伝、張家山漢簡「引書」(第1〜7簡)。
5 『南海寄帰内法伝』巻第18朝嚼歯木。
6 松木明知「華佗の麻酔薬について(会長講演)」(『日本医史学雑誌』 第31巻第2号、1985年、170〜173頁)。
7 Hui-Lin Li, “An Archaeological and Historical Account of Cannabis in China,” Economic Botany 28, no.4 (October-December 1974): 437–448. 
8 Hongen Jiang et al., Ancient Cannabis burial shroud in a Central Eurasian Cemetery. Economic Botany 70, (2016 October-December): 213-221。
9 『大正新脩大蔵経』巻16経集部所収後漢・安世高訳『仏説温室洗浴衆僧経』。
10聞一多「釈齲」(『聞一多全集』第2巻、大安、1967年、557〜558頁)。
11『漢書』巻80宣元六王淮陽王欽伝。
12『白氏長慶集』巻第10感傷二「自覚」、『白氏長慶集』巻第23律詩「病中贈南鄰覓酒」、『韓愈全集校注』(四川大学出版社、1996年、125頁)。
13『史記』巻96張丞相列伝。
14『後漢書』巻10皇后紀上明徳馬皇后条、李賢注引『方言』。
15『長沙馬王堆1号漢墓古尸研究』(文物出版社、1980年、29頁)。
16工藤元男『占いと中国古代の社会―発掘された古文献が語る』(東方書店、2011年、2〜67頁)。
17『韓非子』内儲説下。『太平御覧』巻185居処部13屏条引『漢官典職』。
18『曹操集』文集巻3与諸葛亮書。
19『太平御覧』巻219職官部17侍中条引応劭『漢官儀』。

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柿沼 陽平(かきぬま・ようへい)
早稲田大学文学学術院教授
1980年生まれ。東京都出身。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009年に博士(文学)学位取得。中国古代史・経済史・貨幣史に関する論文を多数発表。中国社会科学院歴史研究所訪問学者、早稲田大学文学学術院助教、日本秦漢史学会理事、帝京大学文学部専任講師、同准教授等を歴任し現職。2006年3月に小野梓記念学術賞、2016年3月に櫻井徳太郎賞大賞、2017年3月に冲永荘一学術文化奨励賞を受賞。著書に『中国古代貨幣経済史研究』、『中国古代の貨幣 お金をめぐる人びとと暮らし』などがある。

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(早稲田大学文学学術院教授 柿沼 陽平)

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