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「お金があり、有名で、いくらでも遊んでいられる人」が全然幸せになれないワケ

プレジデントオンライン / 2022年1月29日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jovanmandic

お金があれば幸せになれるのか。出版翻訳家の宮崎伸治さんは「お金はそれ自体が幸せを保証してくれるものではない。それどころか、快楽、名誉、富は求めすぎると大切なものを見失ってしまうものだ」という――。

※本稿は、宮崎伸治『自分を変える! 大人の学び方大全』(世界文化社)の一部を再編集したものです。

■「快楽、名誉、富」を手に入れれば幸福になれるのか

「大人の勉強」をはじめる前に、快楽や名誉、富などについてふれておきたい。

人は快楽、名誉、富などこそが幸福の源泉だと思い込み、価値を疑うことなくひたすらそれを追い求めているかのように思える。しかし、これらを手に入れても本当に心が満たされ、幸福になれるのかは疑わしいところだ。

快楽や名誉や富は、実はこの世でしか価値のないもの(アリストテレスのいう「仮象の善」)にすぎず、「善そのもの」(節制・正義・自由・真理などソクラテスがいう「魂自身の飾り」)を犠牲にしてまで求める価値のあるものではない。

快楽は持続性がないため、ひとたび手に入れると際限なく求め続けることになる。しかも同レベルの快楽ではすぐに飽きてしまうので、どんどん刺激を強くしていかなければ興奮しなくなってしまうのだ。

地位も名誉も手に入れた有名人が、禁止薬物に手を染めて転落したり、政治家が違法献金の授受で逮捕されたりするニュースが後を絶たないが、享楽主義に陥ってしまうと快楽の奴隷になり次から次へと快楽を求めなければ満足できなくなってしまう。ほかの大切なものを犠牲にしてまで求めるものではないといえる。

■「富そのもの」が幸せを保証してくれることはない

また、名誉は他人によって決められるものさしで、自分がすぐれていることを確信したいがために求めているにすぎない。つまり他人に依存していることになり、それは本当の幸せとはいえないだろう。私たちが目指すべき究極目的ではない。

富は確かに何かの役に立つ。しかし、「何かそれ以外のこと」に役に立つというだけのことであり、富そのものが十分にあってもそれはそれだけのことで、それ自体が幸せを保証してくれることはない。したがって、これもわれわれが目指すべき究極の目的ではない。

これらは一見、私たちに幸せをもたらしてくれそうなものだが、実はほとんど幸せの保証をしてくれないことは、多くの不祥事や犯罪が報道されていることからも明らかだ。

快楽や富を求めることに重きを置きすぎると大切なものを見失う。なぜなら「善そのもの」を犠牲にすれば、その代償のほうがはるかに大きくなるからだ。

■「最高善」の3つの条件

あり余る快楽や富でも心が満たされないとしたら、私たちは何を求めるべきだろうか。それこそが私たちを心から満たしてくれるものであり、最終目的なのだ。アリストテレスはこの最終目的を「最高善(ト・アリストン)」と呼び、その条件として次の3つを挙げた。

①大所高所に立つ最高能力が追求する望ましさでなければならない
②手段としてではなく、それ自身が望ましいものでなければならない
③可能性のままの状態の卓越性ではなく卓越性を現実に活動させていなければならない

①は、私流にいえば自分の個性が発揮できる活動(doingness)でなければならないということだ。打ち込めるもの、熱中できるものともいい換えることができるだろう。

たとえば、「あなたの夢は何ですか」とたずねると「社長になりたい」とか「結婚したい」などという人がいる。しかしそれは到達したい状態(beingness)をいっているにすぎない。「社長になったら○○をして会社を変革し社会に△△を提供して貢献したい」とか「結婚したら配偶者とともに○○をして△△の活動をし、役立ちたい」といった自分の個性が発揮できる活動(doingness)を思い描いているなら別だが、そうでなければその状態に達した瞬間に目標が消滅するだろう。

結婚指輪
写真=iStock.com/Rawf8
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rawf8

あるいは、「難関国家試験に合格したい」とか「投資用の不動産を所有したい」といった夢を語る人がいる。しかしそれは所有したいモノ(havingness)を語っているにすぎない。それらを手に入れた後、「○○をして社会に貢献したい」といった自分の個性が発揮できる活動(doingness)を思い描いているのなら別だが、そうでなければそれらのモノが手に入ってしまえば、そこで目標が消滅するだろう。

■「最高善」を手にしたときに心から満たされる

一方、自分の個性が発揮できる活動(doingness)を見つけた人は、次から次へと新しい挑戦に挑んでいけるから人生が色褪せることがない。挑戦に次ぐ挑戦で常に新しい自分を発見するだろう。「大人の勉強」はそれを可能にしてくれるものである。

②の意味は、たとえば本当は勉強したくないのに昇進や進学、就職のために仕方なくしているとしたら、それは「手段」として勉強しているにすぎず、よって「最高善」とはいえないということだ。その何かが得られた瞬間その勉強に興味がなくなることだろう。

③は、心理学者アブラハム・マズローのいう「自己実現(才能・能力・可能性の使用と開発)」とほぼ合致している。自己実現している人々は、自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のことをしているが、それこそ最高善といえよう。逆に、たとえば歌手や作家、画家、スポーツ選手、棋士、発明家として大成できる潜在能力があるのに、それを眠らせたままにしている人は「最高善」に到達しているとはいえない。

人それぞれにはそれぞれの持ち味がある。その潜在能力を開花させ、「最高善」を手にしたときにはじめて心から満たされる。それを可能にするのが「大人の勉強」なのだ。

■「収入に直結しない」努力を要するものを探そう

さて、「大人の勉強」をはじめると決めたはいいが、どんなものが取り組む対象になるだろうか。好きなものをどうやって見つければいいのかがわからないときは、外的報酬が得られるかどうか(お金が儲かりそうだとか、周りの人に褒めてもらえそうだとか、将来何かの役に立ちそうだなど)という色眼鏡を外し、心からやってみたいと思える「努力を要するもの」を探してみることだ。

外的報酬を得ることを第一に考えてしまうと、その時点で「好きだからというただそれだけの理由でやる」ことが難しくなる。

私は自分自身の体験から「収入に直結しないもの」という観点で探すことをおすすめしたいくらいである。なぜなら、もしそれを続けられるとしたら、「好きだからというただそれだけの理由でやる」という証になるからである。

好きなものがなかなか見つからないという人は、意識して興味のありそうなものに当たってみよう。学生時代に少しかじったが途中で挫折したこと、ずっと前にやりたいと思っていたが忘れかけていたこと、興味の周辺にあるものから探ってみてもいいだろう。たとえば、次のようなものを取っかかりにすると見つけられるかもしれない。

・通信教育で学べることを探してみる。
・趣味の団体を探してみる。
・チャレンジしてみたい資格試験を探してみる。
・雑誌や新聞などで成功している人の体験談を読んでみる。
・各種学校やカルチャースクールで学べることを探してみる。
・情報誌で作品を公募している情報を探してみる。
・大学の通信教育課程や社会人講座で学べることを探してみる。

ラップトップ上のテキストを入力するビジネスマン
写真=iStock.com/Pratchaya
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pratchaya

■「他人の体験談」はヒントになる

見つけようと意識してアンテナを張り巡らせていると、必ず引っかかるものに出合えるはずだ。「もしかするとこれかもしれない」と思えるものが見つかるかもしれない。

テレビのドキュメンタリーやインターネットでは、さまざまな分野で活躍している人が紹介されている。また、ある雑誌では次のような例が紹介されていた。

40代の例として、大学院で博士号取得、マインドフルネス瞑想、和裁の勉強、ヨガ資格取得、保育士試験合格、がん化学療法看護認定の看護師など。

50代の例として、CFP(サーティファイド・ファイナンシャル・プランナー)やキャリアコンサルタント資格取得、俳句と短歌、電気工事士、芝居とダンス、ボイストレーニング、太極拳など。

こうした人たちの体験談を読むと、心からやってみたいと思える「努力を要するもの」が見つかるかもしれない。見つかったらしめたものだ。早速着手してみるといいだろう。

■ロンドン大学進学のきっかけは「ブログ」

私はイギリスのロンドン大学哲学部を遠隔教育(distance learning)で卒業している。ロンドン大学とは、150年以上の歴史のあるカレッジ制の連合大学だ。

宮崎伸治『自分を変える! 大人の学び方大全』(世界文化社)
宮崎伸治『自分を変える! 大人の学び方大全』(世界文化社)

私がこの大学で学ぶきっかけとなったのは、受講生のブログを読んだことだった。そのブログを通して、入学申し込みから卒業まで一歩も日本から出ることなく(東京在住の私は東京から一歩も出ることなく)、正規の学位が取得できる教育制度、しかも手の届かない学費ではないことを知り、俄然やる気になったのだ。

後述するが、私は慶應義塾大学文学部の通信教育課程(哲学専攻)を卒業しており、哲学のすばらしさはその過程で知り、卒業後はロンドン大学で英語を通して哲学を学んでみたいと思ったのだ。そのときの胸中はというと――

卒業するのは難しいかもしれないがチャレンジしてみる価値はある。ダメ元だ。中退したとしても失うものは何もない。よし、やってみよう!――

ただひたすら「チャレンジしたい!」という強い思いに突き動かされて行動したにすぎない。

■お金儲け以上に価値のあるものを得た

こうして私は好きなものを探し、好きなものを見つけ、好きなものをやり通すことができた。好きだからという理由だけで「努力を要するもの」をやり遂げたのだ。お金儲けにはつながらなかったが、それ以上に価値のあるものを得たと感じている。

それは、自分が価値あると認めたものに対して、自分で自発的に目標を設定し、途中で投げ出さずに最後までやり通したという自信である。

私はこの経験を通して、私は自分が価値あると認めてはじめたことは、ちょっとやそっとのことでは投げ出さない自信がついたのだ。

好きなものが見つからない人は、心からやってみたいと思える「努力を要するもの」を探そう。

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宮崎 伸治(みやざき・しんじ)
出版翻訳家
1963年生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、英シェフィールド大学大学院言語学研究科修了。大学職員、英会話講師などを経て出版翻訳家となり、著訳書は60冊以上。金沢工業大学大学院工学研究科修了、慶応義塾大学文学部卒業、英ロンドン大学哲学部卒業および神学部サーティフィケート課程修了、日本大学法学部および商学部卒業。おもな訳書に『7つの習慣 最優先事項』(キングベアー出版)、近著に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)などがある。英語・翻訳関係の資格23種をはじめとする133種の資格を保持。英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、中国語の原書を読むことが趣味でありライフワーク。日々ボキャブラリー力アップに心血を注ぐ。

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(出版翻訳家 宮崎 伸治)

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