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「若者は10分間のYouTubeすら耐えられない」加速する"可処分時間レース"の行き着く先

プレジデントオンライン / 2022年3月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

YouTubeで人気のコンテンツ群に30秒から1分間の「ショート動画」と呼ばれる動画がある。なぜこんなに短い動画が好まれているのか。文筆家の御田寺圭さんは「今の若い世代は、効率性、生産性、合理性を求める時代精神とともに生きてきた。短時間で消費できるコンテンツの台頭はその時代精神の象徴である」という――。

■演劇を鑑賞する客層が高齢化している

あるとき、演劇業界に在籍するという読者から、かれが身を置く業界の行く末を憂慮する手紙を受けとったことがあった。コロナによる興行中止や規模縮小のあおりを受け、数字でも目に見えて業界はいま苦しい状況にあるが、それとは別に憂慮すべき「懸念材料」が、このパンデミックが始まる前からあったのだという。

すなわち、客層の高齢化である。

手紙の送り主は、いまの主たる顧客がいなくなってしまえば、それと一緒に舞台芸術も商業的に成り立たなくなってしまうのではないかと不安を綴っていた。そして「なぜ若者は舞台芸術に親しまなくなったのでしょうか?」と締めくくられていた。

舞台の観劇にやってくるのは、実際のところ中高年世代が中心であり、20~30代の若い世代は(マンガやアニメ作品とのメディアミックス的な位置付けであるいわゆる「2.5次元」と呼ばれるジャンルを例外として)たしかに舞台鑑賞を趣味にしている層は少ないだろう。

■今の若者は「効率的」に生きることを求められている

舞台や演劇がつまらなくなったからではない。演者や脚本の質が低下して、業界が地盤沈下を起こしたとか、そういうことではまったくない。むしろ業界の質はむかしよりいまの方が向上している部分も大きいだろう。それでも、現状のままでは生き延びていくのは難しい。長期的展望で見たとき、衰退は避けられない。いまのままでは、いまの顧客である中高年層の退場にともない、いずれ本当に市場どころか文化そのものが消え去ってしまっても不思議ではない。

これは、演劇業界のせいではなくて、社会構造や時代精神の変化の影響が大きい。

若い世代の多くは娯楽として演劇や舞台をあえて選ばない。それは演劇がつまらないからとか、舞台芸術がわからないからとか、そういうことではない。いまの若い世代は「効率的」に生きることを否応なしに求められているからだ。

かれらはつねにタスクが詰まった忙しい日々のなかで生きている。けっして潤沢に与えられているわけではない有限の可処分時間のなかで、インターネットやソーシャルメディアを介して、毎日大量に供給される娯楽コンテンツの消費に追われている。

■限られた時間で「ノルマ」のようにコンテンツを消費する

若者たちは学業や仕事に打ち込むかたわら、YouTubeやTikTokやInstagramに毎日大量にアップされるお気に入りのインフルエンサーによる新着コンテンツの消費を急かされている。それらのコンテンツを楽しんで終わりではなくて、そのコンテンツをもとに友人たちとコミュニケーションを取っている。かれらはもちろんそうしたライフスタイルを楽しんではいるのだが、はたから見ればコンテンツの効率的な消費を「ノルマ化」されているようにも見える。

スマートフォンを使う女子学生
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

世の中にすでに存在している娯楽コンテンツの総量はすさまじく、またソーシャルメディアやコンテンツプラットフォームが普及したことによって、だれもが気軽にクリエイターになれる時代となり、毎日の娯楽コンテンツの供給量も加速度的に増大している。すでにひとりの人間の寿命すべてをコンテンツ消費に回してもまったく足りないほどになっていると言っても過言ではない。

与えられた時間のなかで、できるだけたくさんの「楽しい」をコスパよく回収してまわる――効率的に最適化されたこうしたコンテンツ消費スタイルが、いまの若者たちにはごく自然な生活様式として共有されている。

■じっくり鑑賞するコンテンツは「効率性」と相性が悪い

現代社会の若者たちのコンテンツ消費に対する見方は、多くの既存の娯楽コンテンツときわめて相性が悪い。演劇や舞台はその最たる例のひとつだろう。

少なく見積もっても、演劇や舞台はおおよそ2時間~3時間は座席に拘束されていなければならない。長編だとそれ以上になる。「効率的」に生きることを求められる若者たちにとって、それはあまりにも長すぎる。かりに3時間もあれば、その間にスマートフォン越しに膨大なコンテンツを消化することができてしまう。

演劇は娯楽コンテンツとしての質が劣っているのではなく、いまの若者たちのコンテンツ消費のスタイルとの相性が「効率性」の観点からあまりにも悪すぎるのである。だからかれらは(若者文化の代表であるアニメやマンガの延長である場合を例外として)劇場にやってこない。ひとつの娯楽について「ゆっくり楽しむ」ことを厭(いと)わないライフスタイルを確立した中高年層がもっぱらになる。

■「コンテンツ消費」の様式が世代ごとに違う

中高年世代はいまほど娯楽が豊富にあるわけでもなければ、迅速な通信が可能なデジタルツールもない、いうなれば選択肢の乏しい時代に多感な時期を生きた。それが幸運にも、ひとつのコンテンツをじっくりと鑑賞し対話するという消費スタイルを養った。若い世代と比較してどちらが良い悪いという話ではなく、コンテンツ消費の様式の世代ごとの違いの問題なのだ。

映画館の座席
写真=iStock.com/maksicfoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maksicfoto

ひとつ楽しむために時間的にも身体的にも長大な拘束が発生してしまうコンテンツはいま、ごく少数の例外をのぞいて軒並み苦境に陥っている。一方で、YouTubeやTikTokなど短い時間で楽しむことができ、なおかつ身体的拘束も受けずどこでもリラックスして楽しめるコンテンツおよびプラットフォームは需要がうなぎ上りになっていて、「コスパのよい生き方」を好む若者たちの可処分時間の奪い合いを演じている。

■YouTubeで人気なのは「30秒~1分間」の動画

若者たちに人気を集める動画投稿プラットフォームであるYouTubeでは、ますます「効率性」への先鋭化が進んでいる。

YouTube内で、新たなトレンドの中心にあるのは「ショート動画(Shorts)」と呼ばれる、ひとつにつき長くても30秒から1分間の動画群であることは、上の世代の人びとにはあまり知られていない。

これまで数十分以上の動画を主として配信していたHIKAKINをはじめとする著名なYouTuberたちもこの潮流に対応している。数十分の長さの通常動画のほかにも、数多くの「ショート動画」を断続的にリリースしている。それらも通常動画と同じかそれ以上の再生回数を叩き出す。以前なら、視聴者が数分から数十分見続けなければやってこなかった「楽しさ」が、数十秒に凝縮されて提供される。これほど効率的なものはない。しかも近頃では、通常動画も倍速で視聴されていることがもっぱらだ。楽しい動画を見ているときにさえ、若者たちは《なにか》に追われている。

■10分程度の動画でも「見ていられない」

若者はもはやYouTubeの10分程度の動画でも「長い」「見ていられない」と感じるようになっている。それくらいに切羽詰まった毎日を生きている。かれらは「楽しみ方や攻略法を試行錯誤の末に発見する」とか「楽しいと思えるものが見つかるまで、そのジャンルにとどまり続けて、まだ見ぬ作品を試行錯誤して掘り出していく」といった作業をあまり好まない。いや、好まないというか、そんな時間的・精神的余裕がないからできない。

お気に入りのクリエイターやインフルエンサーが発信するコンテンツを効率よく周回しなければ、次のコンテンツがまた大量にやってきてしまう。試行錯誤したり、立ち止まってじっくり考えたり、考察を深めたり、同好の士と夜通し議論を交わしたりする時間はどんどん失われている。さながら、泳ぐのをやめれば息が詰まってしまう鮫(さめ)のように。

砂時計
写真=iStock.com/Nuthawut Somsuk
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nuthawut Somsuk

■「ファスト映画」が流行ってしまったのには必然性がある

昨年に摘発されて一斉に消滅し、逮捕者まで現れた「ファスト映画」とされるジャンルが一時期のYouTubeで大流行したのも偶然ではない。「ファスト映画」とは映画を(実際の映像や静止画を用いながら)10分程度に要約するものだ。

映画をじっくり鑑賞せず、ストーリーとそのオチだけをとりあえず知っておこうというのは、「映画を鑑賞する」という行為を真っ向から否定する営みであるようにしか思えない。なぜこのようなジャンルが流行してしまったのだろうか。たとえ映画が好きではなくても人生でいちどは観ておくべきだとよく言われる古典的名作や超大作の「さわり」を大まかに知っておくことで、効率的に映画の知識や教養を獲得したいと考える忙しい若者たちのニーズがそこにはたしかに存在していたからだ。

「ファスト映画」の流行は、その法的・倫理的な是非はともかくとして、社会から効率的かつ生産的に生きることを求められている若者たちのおかれた状況を考えれば、ほとんど必然的なものだっただろう。

「ファスト映画」が刑事的問題となって駆逐されたいま、新しい開拓地は「ファストゲーム」だ。クリアするまでに多大な時間を要する大作ゲームのストーリーシーンだけを集めて「自分でプレイし終えた」気分にさせてくれる動画に多くのニーズが集まっている。クリアまで50~100時間もかかってしまうような家庭用ゲームの最新作を、いまの若者世代は時間的にも気力的にも満足に遊べなくなった(忙しい社会人現役世代もそうかもしれない)。

■「効率性・生産性・合理性」を求める時代精神のあらわれ

いまの若い世代に「試行錯誤を楽しむ」「紆余(うよ)曲折を楽しむ」「長期滞在を楽しむ」という時代に逆行するスタイルを要求することはきわめて難しい。かれらのメンタリティーがそうであるからというより、そのような「ゆっくり楽しむ」意志を持つことを、スマートフォンやそこから接続されるプラットフォームがゆるさないからだ。尻を鞭で叩き、次はこれを楽しめ、あれを楽しめと絶え間なくサジェストし、かれらを次々と消費に導いていく。

SNSとストリーミングビデオのイメージ
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

効率的であれ、生産的であれ、合理的であれという時代精神とともに生きてきた若者は「無駄を楽しむ」「ゆっくりと楽しむ」「失敗を楽しむ」という営みにしばしば苦痛を感じてしまう。「こんなことをしている場合じゃないのでは?」と焦燥感に駆られてしまう。YouTube、ショート動画、切り抜き動画、ファスト映画、TikTokなどの台頭は、「効率性・生産性・合理性」が人間の価値を測る時代精神の鏡映しである。

演劇や映画や文学が、これからの時代でも淘汰(とうた)されずにプレゼンスを確立し、人間社会を澪引く役割を担うためには、「効率性・生産性・合理性」だけが人間の価値のすべてではないことを、その表現内容だけでなく、鑑賞行為をも含めて一体となって訴えていく必要があるだろう。

■このラットレースには、いずれ揺り戻しが来る

私たちは、本来ならば目まぐるしい日々のなかに挿入する息抜きであるはずの「娯楽を楽しむ」という営為にさえ、多かれ少なかれ向社会的で合理的な処理能力の優秀さを発揮しなければならなくなった。いついかなるときも「優秀」であることを求められている現代人に「別解」を提示できるのが芸術や文学だ。

演劇や芸術のこれからの役割は、YouTubeやTikTokと同じ土俵に上がって可処分時間を奪い合うことではない。「可処分時間を有効活用せねば、社会の正道にいる人間とは認められない」という構造そのものに相対的視座を明確に示し、これに風穴を開けることだ。

1分1秒を惜しむ「娯楽消費」のラットレースは加速している。人びとはこのレースに疲れて、いつか揺り戻しがやってくる。揺り戻しがやってきたときに、受け皿がまったく消滅しているのではどうしようもない。ひとりでも多くの人が「ゆっくりと生きてもよい」と気づくためには、演劇をはじめとする文化や芸術は不可欠になる。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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