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「"緊張感をもって注視"するだけで何もしない」そんな岸田政権が高支持率をキープしている"残念な理由"

プレジデントオンライン / 2022年4月8日 8時15分

閣議に臨む岸田文雄首相=2022年4月5日、首相官邸 - 写真=時事通信フォト

岸田内閣の支持率が高水準をキープしている。何が理由なのか。文筆家の御田寺圭さんは「過去の政権を見て、“お願い”さえすれば国民が頑張ってくれることを知っている。なにもしないことが攻略法だと気づいたのだ」という――。

■「岸田政権の実績は?」に答えられるか

発足から半年を経てもなお、岸田内閣の支持率が高水準を維持している。日本経済新聞が3月25日~27日に行った世論調査によれば、内閣支持率は61%だった。支持率は政権発足後、変動はあるものの6割前後で推移している(日本経済新聞「内閣支持、まん延防止解除で復調 感染減鈍くなお警戒」2022年3月29日)。

国内世論では高い支持を集める反面、「岸田政権の主だった実績は?」と聞かれて即座に列挙できる人は少ない。もっともそれは、その人が不勉強だからというわけではなく、実際に目立った実績がないからだ。岸田政権は、政権の柱となるような政策の実行や具体的行動のないまま、徹底したリスクコントロールに徹する、ある意味ではきわめて「保守的」な政権である。数カ月後にひかえた参院選の前に「事」を起こして、無用な不確実性を生み出したくないという思惑もあるのだろう。

社会的に重要な課題について「緊張感をもって注視していく」などと表してなにもしないことこそが政権支持率を高水準で維持するための秘訣だったという「身も蓋もない」真実を、まさかこのような国内外がきわめて困難な状況に陥っている只中で突きつけられることになるとは。

■「節電」の呼びかけに集まった批判

岸田政権は、ネット上での評判はすこぶる悪い。「なにもしないことをバリエーション豊かに表現するだけのおじさん」などといった揶揄もすでに多数なされている。3月に発生した電力供給のひっ迫に対しての「節電」の呼びかけでも、多くの批判があった。

ロシアによるウクライナ侵攻など、予期せぬ国際情勢の変化があったとはいえ、世に不確実性が生じればたちまち電力供給がぎりぎりの状況になってしまうのは、ほかでもない岸田政権が「原発再稼働」という大きな政治的決断をひたすら回避しつづけているせいではないか――という声が多く寄せられていた。そうした批判には一理ある。

■「安全を最優先する」は永田町の文学的表現

岸田政権は発足以降一貫して、原発については「安全を最優先する」と強調してきたばかりで、具体的に再稼働に向けた動きを見せなかったどころか、再稼働する/しないの将来的なビジョンすら言明を避けていた。再稼働を見送るのであれば、その分だけ代替案として別のエネルギー供給源を確保しなければならないが、それもしなかった。挙句に出てきたのが「各家庭での節電」だった。

国会議事堂と高層ビル
写真=iStock.com/kokouu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokouu

念のため補足しておくと「安全を最優先する」とはつまり、「原発は現時点では安全でないので(一部を除いて)稼働しません」を言い換えた永田町ならではの文学的表現である。なにかにつけて「様子を見ます」一辺倒では心証が悪い。だからこそ、なにかに取り組んでいる感を出しながら現状を維持するワードセンスが試される。「なにもしない」の文学的でポジティブな表現のバリエーションは、実際のところ多ければ多いほどよい。

しかしながら、いくら多くの批判が寄せられても、岸田文雄の考え方が変わることはないだろう。もっとも、それは彼が根っからの事なかれ主義者だからではない。彼をはじめ政府関係者が十分すぎるくらいに「国民の物分かりがよい」ことを知ってしまっているからだ。

■国民が努力をするから、政治は無責任でいられる

結局3月の「電力供給の危機的状況」にしても、国民が岸田首相からの「お願い」を聞き入れ、従順に協力したことで需要が供給を上回ることはなく、大規模停電の発生は回避できた。これは国民の「公共心」や「節度」がきわめて高いことと、社会的安定性への顕著な貢献を明確に示している。これ自体を見れば、端的にすばらしいことだと言えるだろう。

その一方で、「市民社会によるボトムアップの努力」のパフォーマンスが高すぎるがゆえに、政治の側にとっては大きな政治的決断を先送りさせるインセンティブとして作用してしまうというパラドックスがある。自分たちがリスクをあえて取って意思決定しなくても、国民がなんだかんだで最後は「うまくやってくれる」というほとんど確信に近い期待がある。

語弊を恐れずにいえば、今回のことも、国民が節電に協力せずに大規模停電が発生し、電力供給が滞ったことで医療機関などに深刻な人的被害が発生するような事態が起きてしまった方が、エネルギー供給問題の根本的解決には近づいただろう。なぜならその方が、時の政権に対する「政治的無策の責任」が生じるためだ。日本国民の「ボトムアップの努力」のハイパフォーマンスが意図せずして、かれらの「政治的無策の責任」の発生を毎度毎度うまく回避させてきてしまった。

■「お願いベース」で乗り切れるという成功体験がある

今回にかぎらず、さまざまな有事や懸案事項についても「なんだかんだ国民が頑張って最後には困難を乗り切ってしまう」というのが日本のお決まりのコースである。たしかに国民の素晴らしい結束力や行動力のたまものではあるのだが、それは同時に、時の政権の「政治的無策の責任」を免責しつづけることにもつながっている。かれらは政治的決断もせず、徹底的に「お願いベース」で乗り切ってしまえる成功体験を重ねている。だからこそ、これからも具体的な決断はうやむやにすることが最適解になる。

これは節電にかぎらず新型コロナ対策でも同じだった。この国は世界でもコロナの犠牲者は圧倒的に少ない。しかも諸外国のように、法整備のもと大規模かつ厳格なロックダウンを行ったわけではない。あくまで国からの「お願い」に応じた国民の社会的協力によって実現した結果である。これは端的に称賛に値するものだ。国民一人ひとりの高い水準の公共心や衛生観念が如実に反映されたものだ。日本以外では到底真似できないだろう。

パンデミック中のタイムズスクエア
写真=iStock.com/Leo Cunha Media
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Leo Cunha Media

■出口戦略を見出せなくなったコロナ対策

だが皮肉なことに、社会秩序を遵守する協調的かつ公共心豊かな国民性であるがゆえに、結果的に――日本より“従順でない”国民を大勢抱えているがゆえに――政治的決断を行わざるを得ず、最終的な結論として「コロナと共生」することを選んで社会経済活動を再開した欧米の先進各国に比べて大きな後れを取ることになった。

ボトムアップのパフォーマンスが毎度あまりにも優秀なせいで、政治の世界では「なにもしない」に慣れすぎてしまった。そのため、米英を先頭に先進各国が選びつつある「かつての生活に戻していこう」というドラスティックな方向転換が日本には選べない。法的根拠を設けるような政治的意思決定をどうにか避けようと「お願いベース」でなんとなくはじまったコロナ対策は、出口戦略を見出すことができなくなってしまった。

■国内経済に対しても「緊張感をもって注視する」

「国民一人ひとりがベストを尽くして最悪の事態を回避する」という、日本社会の様式美が、国のリーダーたちの責任回避的な行動と、決断を先延ばしにする事なかれ主義という形で利用されてしまう。そればかりか、国民のベストエフォートを自分たちの政権の功績とすらしてしまうこともある。我田引水も甚だしい。

いま世の中では、賃金がまるで上昇しないのに、「値上げラッシュ」で物価が勢いよく上昇していく「スタグフレーション」の発生が疑わしくなっている。このような国内の経済状況についても、岸田政権は「緊張感をもって注視する」とだけ言うだけだ。その一方で増税(もしくは国民に不利益な形での税制改革)はきっちり実施しようとする。

ショッピング街
写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

■暴動が起きる国のほうが、国と市民社会の距離は近い

岸田政権が度し難いほど「無責任」な態度を示すのは、結局のところそうしたところで国民がろくに反発せず、なおかつ生活が立ちいかなくなって大勢の死人が出たりすることもなく、やはりなんだかんだと努力してその難局をしのいでしまうことをすでに「わかって」いるからでもある。

ご存知の方も多いと思うが、他の先進各国では、国民による暴動がしょっちゅう起こっている。

その様子はしばしばニュースで報じられたり、SNSでシェアされたりする。なんて野蛮なのだ、暴動ばかりで治安の悪い国には住みたくない、やっぱり日本がいちばんだ――などと多くの人は考えるだろう。けれども、そうした「野蛮な国」の方が政治家に“本当の緊張感”を与える。少なくとも「緊張感をもって注視していく」などと薄っぺらいことを言ってられないくらいには。

国民がなんでも「お願い」を聞いてベストを尽くして問題を解決してしまう国は、一見すると国と国民との距離が近いように見える。だが実際には両者は甚だしく遠い距離にある。国は自分たちに責任が希薄な下々のことなどなにも考えずに済むからだ。国民がしょっちゅう暴れまわる国の方が、国と市民社会との距離は近く、なおかつ緊張関係をもとに対話が成立する。

■岸田政権は日本社会の「攻略法」を見つけてしまった

安倍政権や菅政権にくらべて、岸田政権が「なにもしない政権」であるというのはたしかだろう。しかしながらそれは、かれらの怠惰や無能ゆえではない。「お願いベース」の発信をするだけで、国民が空気を読み、高い同調圧力を発揮しながら、最大限努力してさまざまな困難を脱してきた場面を、過去の政権下で何度も見てきたからこそだ。

わざわざ結果責任が問われかねない「大ナタ」を振るわなくても、国民が勝手にベストを尽くして責任の肩代わりをしてくれる――そんな場面を政権内部でじっくり観察してきた岸田文雄という政治家は、いうなれば日本社会の「攻略法」を発見してしまった。

政治的には、とくになにもしなくても、代わりに国民が頑張ってくれる。国民は自分たちがボトムアップで頑張って状況を打開したのに、それを政治のおかげだと勘違いする。――岸田文雄の導き出したこの「攻略法」が日本の民主主義の核心を正確に衝いていることは、彼のこれまでの「事績」にはふさわしくない異様なほど高くキープされた内閣支持率が示している。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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