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非正規を「安く使える駒」としか見ていない…アメリカ人政治学者が指摘する日本経済の最大問題

プレジデントオンライン / 2022年4月15日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yusuke Ide

日本人の給料が一向に上がらないのはなぜなのか。カリフォルニア大学バークレー校のスティーヴン・ヴォーゲル教授は「日本はバブル崩壊後のコスト削減をいまだに引きずっている。企業の利益が上がっているのに設備投資が横ばいであることからも見て取れる」という――。(取材・文=NY在住ジャーナリスト・肥田美佐子。第1回/全2回)

■日本の多くの構造改革は経済の活性化につながらなかった

——2018年に上梓された『日本経済のマーケットデザイン』(日本経済新聞出版社、上原裕美子訳)で、アベノミクスについて書いていますね。過去10年にわたって、日本の経済政策の屋台骨だったアベノミクスをどう評価しますか。

「3本の矢」に照らして見ると、まず、第1の矢である「金融緩和政策」は大成功を収めたと言ってもいいでしょう。政府は積極果敢なデフレ対策を講じ、経済再生の追い風になりました。

スティーヴン・ヴォーゲル教授
スティーヴン・ヴォーゲル教授

第2の矢である「財政刺激策」も適切な指針でした。日本経済は非常に低迷していたからです。ただ、さらなる財政出動も可能だったと思います。その点で、金融緩和政策に対する高評価と比べると、若干控えめな評価になります。日本が巨額の政府債務を抱えているのは確かですが、日本経済の弱さを考えると、まずは経済再生ありきであって、債務残高への懸念は二の次です。

そして、第3の矢(である「成長戦略」)ですが、米国や欧州の経済系メディアは、「第3の矢こそ、日本が最も必要としているものだ」と評しています。それは、(アメリカ型の自由市場モデルを目指した)大胆な規制緩和と市場重視型改革です。

でも、そうした従来の社会通念は2つの点で間違っています。まず、プラスになる改革を阻んできた原因だとみなされている日本国内の政治的制約を過大評価していることです。実のところ、こう着状態にある米国政治と比べると、日本政府は、かなり多くの改革を行ってきました。また、構造改革支持者が、構造改革による経済的利益を著しく過大評価している点も問題です。

つまり、日本は、かなり多くの構造改革を行ってきましたが、経済の活性化をもたらさなかったというのが私の見立てです。米自由市場型経済モデルの追随や、経済における政府の役割の縮小を目指す改革を行ったけれど、経済パフォーマンスの強化につながりませんでした。

■政府介入のレベルを下げるのは逆効果

——コーポレートガバナンス改革などを謳った「第3の矢」を放っても産業構造改革はほとんど進まなかった、という見方もあります。

いえ、日本政府は非常に多くの改革を行いましたが、もっと活力のある、効果的で生産的な経済を構築できなかったため、国民は落胆しているのでしょう。でも、著書にも書きましたが、そうした結果は驚くに値しません。日本政府に必要なのは市場ガバナンスの改善であって、縮小ではないからです。政府介入のレベルを下げる構造改革は逆効果か、少なくとも、あまり恩恵がないように見えます。

日本の政策も企業活動も大いに変化してきました。私は1990年代から、こうした問題を研究し、『新・日本の時代―結実した穏やかな経済革命』(日本経済新聞出版、2006)も出しています。労働政策や規制、コーポレートガバナンス、会社法など、政府や企業部門は多くの改革や再編を行いました。

ただ、政府レベルでも企業レベルでも、プラスになる改革ばかりではありませんでした。要は、多くの変革がなされたとはいえ、すべてが良い変革というわけではなかったのです。

■労働者を犠牲にして企業の利益を上げる改革

——長年にわたる賃金停滞は、そのことと関係がありますか。

もちろんです。その質問に答えるには、『日本経済のマーケットデザイン』で論じた労働市場改革やコーポレートガバナンス、産業政策、イノベーションなど、さまざまな改革を見直さねばなりません。でも、ここでは、賃金(停滞の原因)に関する、あなたの質問と最も密接な関係がある労働市場改革にフォーカスしましょう。

1990年代から第2次安倍政権が始まる2012年(末)頃まで、日本政府の改革傾向は主に規制緩和の方向に向かっていましたが、2014年以降、真の変革が訪れました。規制緩和から、働き方改革やウーマノミクスへと移行したのです。では、この2つの路線の違いは何か――。

1つ目は規制を緩め、労働コストを削減しようとするもので、2つ目は規制を改善し、労働生産性の向上を目指すものです。また、前者は政府の役割縮小を図り、後者は政府の役割を変えようとするものです。さらに言えば、1つ目は労働者を犠牲にして企業の利益を上げるという、利益増と賃金引き下げを図った改革であり、2つ目は企業の利益と賃金の双方を改善しようとする改革です。

つまり、日本は、賃金や福利厚生などの労働コストを減らすことで利益増を目指す「ゼロサム改革」から、労働時間削減と生産性アップという、(労働者と企業の)双方にとってプラスになる「ウィンウィン改革」に転換したのです。

2つ目の改革はまだ結果が出ていないので、必要以上に称賛したくはありませんが、良い変革です。生産性アップの一手段として、女性がキャリアと家庭を両立させやすいよう勤務形態のフレキシビリティーを高めることや、正社員と派遣労働者の格差を減らすこともウィンウィン(双方両得)の改革です。

このように、ひと口に変革と言っても、悪いマーケットクラフト(市場策定・創出)と良いマーケットクラフトがあります。2つ目の改革は、政府と企業がどのように実行するかによるため、概念的にはスコア(評価)Aでも、実践面ではBやCがつくかもしれませんが、1つ目の改革よりははるかに優れていると思います。

(注:『日本経済のマーケットデザイン』の原書タイトルは『Marketcraft』<マーケットクラフト>)

■社員を解雇せずに労働コストを下げた日本の特殊性

——そうした改革と賃金停滞との関係を説明してください。

1990年代にさかのぼると、日本政府は労働市場改革の下、(非正規雇用や、解雇を除く雇用調整などについて)企業のフレキシビリティーを高めました。その結果、企業は、社員をレイオフ(解雇)せずに労働コストを減らすという、日本独特のやり方による労働コスト削減の道を探ったのです。

これは短期的に見れば、そう悪くないアイデアでした。でも、長期的には非常に大きな弊害が生じたのです。企業が組織再編に当たって、(正社員の)賃金を抑え、派遣労働者を増やして正社員の割合を減らしたことは、変わりゆく経済に適応する一助になったかもしれません。でも、最終的にはマイナスの影響をもたらしたのです。

というのも、賃金抑制はマクロ経済の足かせになるからです。賃金が下がれば消費も陰り、経済成長も鈍化します。格差拡大は経済成長の足を引っ張るのです。これは米国人が学んだことであり、日本の人たちも認識し始めていると思います。何十年も前には、格差と経済成長はトレードオフ(二律背反・相反するもの)だという基本前提の下で、高成長には格差が必要コストだと考えられていました。

グローバルな通貨と技術の概念
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

■格差は成長どころか経済を鈍化させる

でも、私たち米国人が学んだことは、その逆でした。高レベルの格差は経済成長にとって必須のものなどではなく、成長をむしばむものだったのです。格差が大きくなれば消費も鈍化し、経済停滞を助長します。

——小泉純一郎元首相がさまざまな点で規制緩和を進めたことで、格差が拡大しました。つまり、日本経済にマイナスだったということですか。

一つひとつ政策を吟味しなければなりませんが、ひと言で言えば、「イエス」です。彼の政策が日本の長期的成長の礎を築いたとは思いません。それ以上のことは、各政策の詳細を見直さなければなりませんが。

格差拡大については、労働市場の規制緩和が1つの要因だと思います。ただ、それが唯一の要因ではありません。(高齢化という)人口統計上の変化や経済成長の鈍化もあります。しっかりした年金制度に守られた年長者と、そうでない若者など、別の形の格差もあるため、小泉元首相だけを非難するのは公正さに欠けます。

その一方で、日本経済の長期的パフォーマンスの観点から見ると、彼の改革はプラスよりも悪影響のほうが大きかったと思います。とはいえ、小泉政権は、賃金停滞をもたらした一要因であり、主要因だったとは思いません。日本の賃金停滞は、何よりもまず低迷する経済の産物です。

■人手不足にもかかわらず賃金上昇にシフトしない理由

1990年代(のバブル崩壊後)、日本の産業は過剰な人員などを削減しなければならず、それが賃金の押し下げ圧力になりました。とはいえ、日本の産業は2010年頃、人員過剰から人手不足にシフトしました。それでも、賃金が上がらないとすれば、いったいそれはなぜなのかという興味深い疑問が生じます。

人手が余っていたときは、企業が労働力を減らしたいわけですから、労働者間の競争もさほどないため、賃金が抑えられても驚くには当たりません。でも、人口が減り、人手不足になるのは明らかなのに賃金が上がらないのは不可解です。そもそも人員過剰から人手不足に転じる時期が大方の予想より遅かったのも、日本経済が停滞していたからです。

また、終身雇用や年功序列など、日本型雇用制度の特質も(賃金停滞の)一要因だとは思いますが、それだけではありません。かつて日本企業は(従業員研修など)生産性を上げるために今よりもっと働き手に投資していた、という事実が見落とされています。

新しい日本型モデルの下で、日本企業はリターンを高めるべく、労働コストを削減しました。でも、人手不足に転じたのですから、本来なら旧式モデルに立ち返り、賃金を引き上げて働き手への投資を増やし、生産性をアップさせるという「双方両得の解決策」を取ってもいいはずです。

そうした動きも若干見られましたが、それほどではありません。その理由として、日本企業は長年、いわゆる「再編モード」にあったため、慎重になっており、パラダイムシフトが難しいということが考えられます。

■コロナ禍がなければ賃金は上がっていた

また、長年にわたって、日本経済が比較的低成長だったということも背景にあります。コロナ禍が景気の腰を折らなければ、日本経済が堅調に転じたあとに若干見られた賃上げの兆しが続いていたかどうかは、わかりません。

とはいえ、私の推測では、コロナ禍が起こらず、比較的好調な経済と人手不足が続いていたら、いずれ賃金が上がっていたのではないかと思います。

——日本企業は、かつてのように従業員に投資しなくなったのですね。

でも、経済の先行き次第では、日本企業も変心するでしょう。実際、米国では、賃上げの度合いが「クレイジー」と言えるほど、すごいことになっています。カフェやレストランは人を確保できないため、賃金で競っているのです。賃金を上げれば優秀な働き手が見つかり、時間はかかっても儲けが増えます。

■設備投資が全く増えない日本企業

——「企業が内部留保をため込んでいる」という指摘もあります。そう思いますか。

はい、そのとおりです。まさにあなたの質問に答えるかのような、日本のコーポレートガバナンスに関する記事を書いたことがあります。2008年以降、日本企業の経常利益は増加していますが、国内設備投資は、ほぼ横ばいです。

そして、次が肝の部分ですが、ひるがえって会社が生み出した付加価値をどれだけ社員に還元しているかを示す労働分配率は、同期間(注:2008~15年初め)において低下しており、これはコーポレートガバナンス改革の時期と一致します。

同改革が賃金停滞の唯一の要因だ、と言っているわけではありません。ただ、トレンドを見ると、コーポレートガバナンス改革以降、企業の利益はアップしているのに設備投資は横ばい、労働分配率は下がっていることがわかります。

ビジネスマンと変化のない給与グラフを考えて
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

——『日本経済のマーケットデザイン』に、「日本政府は1990年代後半から労働規制を大幅に改革してきた。非正規労働者の雇用に関する企業側の自由度を高め、解雇以外の雇用調整の選択肢も増やすと共に、少なくなった正規労働者に長期雇用制度を維持している」というくだりがあります。一方、「正規雇用社員を解雇しにくい点に変化はなかった」とも書かれています。そうした日本特有の雇用制度について、どう思いますか。

従来の日本型雇用制度には大きな強みもあれば、大きな弱点もあります。

まず、強みは、長期勤続が前提のため、企業が従業員研修に投資することでした。企業と働き手の間には忠誠心があり、労使関係も比較的良好な協調関係にありました。日本の製造業が生産性の高さと高品質のモノづくりを誇っていた背景には、労使関係の良好さがあったのです。

■日本型雇用の最大の弱点は「正規と非正規の格差」

一方、弱点は、長期雇用制度の安定が、著しく差別的な「2層構造」から成る雇用制度と結びついていた点でした。男性が大半を占める正社員と、女性が大勢の非正規労働者という2層構造です。両者の待遇には、給与や福利厚生、雇用の保障などの点で、実に大きな格差があります。

とはいえ、私は基本的に長期雇用制度を支持しています。日本が現在抱える問題を長期雇用制度のせいにするのはフェアではないと思います。労使が良好な協調関係の下で健全なコミュニケーションを構築し、雇用主は不必要なレイオフに二の足を踏む――こうした点は、どれもプラスのことばかりです。

日本に必要なのは、問題を解決して弱点を克服し、強みを維持することです。一方、先ほど話した1つ目の改革は、日本の強みを打ち砕き、弱点を放置するものでした。つまり、最悪のシナリオです。

ひるがえって2つ目の改革は、強みを維持し、弱点を克服できる可能性を秘めています。日本は、これを目指すべきです。人手不足は、正社員と非正規労働者の格差を埋める絶好のチャンスです。格差が小さくなれば、生産性が上がり、働き手の幸福感も増します。その結果、弱点を直し、強みを維持できるでしょう。

そのためには、長期雇用制度を破壊すべきではありません。働き方改革により、男性が圧倒的に多い正社員と女性が大半を占める非正規労働者の格差を縮小すべきです。同一同労同一賃金、適正な労働時間、テレワークなどの柔軟な働き方――。正社員を増やせば、生産性も上がります。

スティーヴン・ヴォーゲル
カリフォルニア大学バークレー校教授
政治経済学者。先進国、主に日本の政治経済が専門。プリンストン大学を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校で博士号(政治学)を取得。ジャパン・タイムズの記者として東京で、フリージャーナリストとしてフランスで勤務した。著書に『Marketcraft: How Governments Make Markets Work』などがある。

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肥田 美佐子(ひだ・みさこ)
ニューヨーク在住ジャーナリスト
東京都出身。『ニューズウィーク日本版』編集などを経て、単身渡米。米メディア系企業などに勤務後、独立。米経済や大統領選を取材。ジョセフ・E・スティグリッ ツなどのノーベル賞受賞経済学者、ベストセラー作家のマルコム・グラッドウェル、マイケル・ルイス、ビリオネアIT起業家のトーマス・M・シーベル、「破壊的イノ ベーション」のクレイトン・M・クリステンセン、ジム・オニール元ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント会長など、欧米識者への取材多数。元『ウォー ル・ストリート・ジャーナル日本版』コラムニスト。『プレジデントオンライン』『ダイヤモンド・オンライン』『フォーブスジャパン』など、経済系媒体を中心に取 材・執筆。『ニューズウィーク日本版』オンラインコラムニスト。

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(ニューヨーク在住ジャーナリスト 肥田 美佐子)

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