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「深く考えずに私を産んだことを謝って」両親に迫ったうつ病女性に芽生えた知的障害の兄への"憎悪"

プレジデントオンライン / 2022年4月16日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Luke Chan

「子供らしくいられる時間を奪われた」。両親は障害のある兄にかかりっきりで、妹である自分に目を向けてくれない。20代の女性はそうした幼少期のトラウマが原因でうつ病になった。「なぜ深く考えずに私を産んだの? 私に背負わせた苦労に気付いてないでしょ?」ある時、女性は両親に腹を割って、心のモヤモヤを打ち明けた――。
前編の概要】佐田架純さん(仮名・20代)には知的障害と体にまひがある3歳上の兄がいた。歩くことはできるが、走ることはできない。食事やトイレ、入浴にも介助が必要だ。母親は兄にかかりきり。幼い頃、佐田さんは「かまってほしい」「寂しい」と思っても、兄が優先されることを理解していた。しかし、思春期を迎えると、公共の場で兄が周囲に迷惑をかけていることに罪悪感や羞恥心を抱くようになったものの、両親にも友だちにも先生にも、本心を打ち明けることはできなかった。この先佐田さんは、どのようにして家庭のタブーを破ったのだろうか。どのように家庭という密室から抜け出したのだろうかーー。。

■兄のために悩み傷つく

幼い頃から重い知的障害と体にまひのある兄は、パニックになると周りの人の髪をひっぱったり、腕に爪を立てたりした。3歳下の妹である佐田架純さん(仮名・現在20代)に対しても例外ではなかったため、小学生くらいの頃は、母親や祖母がいないスキを見計らって、こっそり兄にやり返していたという。

しかし兄は、なぜ佐田さんが自分を叩くのか、因果関係が理解できない。そのため佐田さんがやり返した後は、2人の関係が不穏なものになった。

「兄には言葉が通じないので、腹が立っても、罵倒したいと思ったことはありません。こちらが大きい声を出すと余計にヒートアップするため、兄が何か良くないことをして注意するときも、淡々とするように心がけていました。意思疎通がほぼできないことが要因だと思いますが、兄に関する私の怒りは、徐々に兄本人よりも、両親に向いていきました」

幼い頃から、自分より手のかかる兄がいるということを理解していた佐田さんは、寂しくても、「寂しい」とか「もっとかまってほしい」などを、「言ってはいけない」と思っていたため、母親や祖母に伝えたことは一度もなかった。

「その代わり、今思うと中学生の頃、不登校という形で、『寂しい』『もっとかまってほしい』という気持ちを出していました。しばらく学校へ行かず、家で母にかまってもらえると落ち着き、また学校に通うということを繰り返していました」

高校生になると、佐田さんに初めての彼氏ができた。しかし佐田さんは、彼氏に兄のことを話すべきか悩み、苦しんだ。

「考えれば考えるほど、どうして私が兄のことで悩まなければならないのだろう? こんなに悩んでいることを両親は分かってくれるのだろうか? そもそもどうして私を産んだのだろう? と、どんどん“悩み”は“傷つき”に変わっていきました」

悩んだ末に、佐田さんは彼氏に兄のことを話したが、彼氏は障害者そのものや、障害者のいる家庭の生活にピンとこなかったようだ。覚悟していたほどネガティブな反応はなく、佐田さんは胸をなでおろす。結局その彼氏は、兄と会うことなく別れた。

そして佐田さんは、かねてから目指していた関東の大学に合格。初めての一人暮らしを開始した。

■静かで自由な大学生活

生まれて初めて実家を出て一人暮らしを始めた佐田さんは、まず、家の中が静かなことにとても驚いた。生まれたときからずっと兄の大声や奇声を聞き続け、兄のために幼児番組が大音量で再生され続けていた環境で育った佐田さんは、「日常生活ってこんなにも(音量として)静かに過ごせるんだ」と感嘆したという。

さらに、時間を気にせず外出できることも新鮮だった。実家では、夕方には養護学校から兄が帰ってくるため、佐田さんは、家族での夜の外食や外出の経験がほとんどない。兄の都合に縛られることなくスケジュールを組めることに、純粋に感動した。

カウンターに置かれたマグカップに入ったカフェオレ
写真=iStock.com/Sanil Chaudhary
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sanil Chaudhary

「今となっては、大学進学を機に、家を出られたことは良かったと思っていますが、当初は、兄のことがあったから家を出たわけではありませんでした。私自身、卒業後には実家に帰るものだと思っていましたし、両親も『戻ってくるよね?』と言っていました」

ところが、教育系の大学に進学した佐田さんは、徐々に両親に対して不信感を持ち始める。講義や大学生活の中で、自分の生い立ちや家庭について振り返る機会が多くあることや、年齢的にも結婚や子育てに目が行き始める時期だったことも要因のひとつだった。

「大学を卒業する年の22歳ごろ、結婚や子育てを身近に感じ始めたことがきっかけで、『両親は兄の障害を踏まえて、妹の私を産んでいる』と認識し、『自分が両親の立場だったら、果たして2人目を産んでいるだろうか』と考え始めました。さらに同じ頃、とあるきょうだい児の方が、『同胞の存在を理由に婚約破棄に至った』という情報をネット上で知り、きょうだい児が抱えるハンディキャップを両親はどのように捉えているのかが気になって仕方がなくなっていきました」

その年、実家に帰りたくない佐田さんと、帰ってきてほしい両親とのあいだでもめたが、結局佐田さんは関東で就職し、実家には戻らなかった。

■幼い頃の記憶がトラウマに

大学を卒業し、福祉系の仕事に就いた佐田さんだったが、職場でのストレスと、日常生活のふとした瞬間に生じるトラウマによって、体調を崩しがちになっていく。

「子供連れの家族を目にしたり、知らない男性の大きい声を聞いたり、障害者の方を見かけたり……。リアルだけでなく、映画やドラマなどで家族の描写があったり、障害者が登場したりなど、自分と関係している・していないにかかわらず、日常生活のふとした瞬間に、幼い頃の寂しかった記憶や怒りの気持ちが突然ぶわっと湧いてきて、とても落ち込んだりイライラしたりするようになっていきました」

特に、障害者に焦点を当てたTV番組は佐田さんを苦しめた。そのため佐田さんは、トラウマの引き金になるようなものは遠ざけ、目にしないように努力する。

ひどく疲れ切った女性
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

つらい幼少期を思い出すため、両親や兄と向き合いたくない佐田さんは、気付けば4年間、実家に帰っていなかった。

やがて26歳ごろになると、不眠、胃痛、めまい、食欲不振などが出始め、心療内科を受診。「うつ病」と診断され、服薬治療をスタートするとともに、仕事を退職した。

■幼い頃の記憶と向き合う

佐田さんは主治医のアドバイスを基に、服薬治療を受けながら、子供の頃のつらい記憶と向き合い、整理していくことを決意。

そんな中、母親から法事があるとの連絡を受ける。佐田さんは記憶の整理の中で、「両親と腹を割って話さないことには、自分のトラウマは解消せず、病気は完治しない」ことに気付いていた。そこで佐田さんは、意を決して4年ぶりに実家を訪れた。

父親は62歳になり、2年前に定年を迎え、現在は非常勤で勤務を続けつつ、58歳になった母親ともども健康に暮らしていた。兄は29歳になり、障害者が働く作業所に通っている。

法事を終えた夜、兄も寝静まり、両親と佐田さん3人だけになったとき、佐田さんは口を開いた。

「お父さんとお母さんは、お兄ちゃんの障害を踏まえて私を産んでいるよね? きょうだい児が抱えるハンディキャップについて考えたことある?」

突然の質問に、両親は少し面食らった様子だったが、しばらくして父親が、「正直そこまで気にしたことはない」と答えた。

佐田さんは、「やっぱりね」と思いながらも、話を続ける。

「障害のある兄や姉のいる下の子が抱える苦悩について、深く考えずに私を産んだことで、私はこれまでとても傷ついてきた。だから謝ってほしい。お父さんとお母さんは、私に背負わせた苦労に気付いてないでしょ?」

手で顔を覆う女性
写真=iStock.com/show999
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/show999

気が付くと佐田さんは泣いていた。両親は始め、びっくりした表情をしていたが、やがてそれぞれ「申し訳なかった」「ごめんなさい」と頭を下げた。

佐田さんは、長年つかえていた胸のしこりが溶けるような感覚を覚えていた。そして、「私は、結果的に3人目はいなくて良かったと思う。お兄ちゃんに関する悩みを背負う人を、これ以上増やす必要はなかったと思うから……」と両親に言った。

実は、佐田さんが産まれた5年後、両親は3人目を計画し、母親は妊娠。当時佐田さんは、「お姉ちゃんになるんだよ」と言われていたのだ。

「幼かった当時は、お姉ちゃんになるんだよと言われて、純粋にうれしかったです。流産という悲しい結果になってしまいましたが、今は、“兄のための私”“私のための弟妹”という子供の産み方をする両親は間違っていると思います。さらに、もし弟妹が生まれていたら、家族のリソースはさらに割かれざるを得ないので、私はもっと寂しい思いをしていたかもしれません」

佐田さんは両親に、心療内科に通院中であること、主治医からは、「家庭環境がつらかったために、小さい頃のトラウマが強く、慢性的な疲労状態にある」と言われたこと、うつ病と診断されて治療中であることを涙ながらに訴えると、両親はショックを受けつつもおおむね理解を示してくれた。

■タブーは家庭を歪ませる

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

佐田家の場合は、「兄のための佐田さん、佐田さんのための3人目」と出産計画したという佐田さんの両親に「短絡的思考」が見られたように感じる。近年注目されつつあるヤングケアラー問題は、子供が年齢的に見合わない重い責任や負担を負うことで、本当なら享受できたはずの、「子供としての時間」と引き換えに、家事や家族の世話をしていることが問題とされている。佐田さんはまさに、「子供らしくいられる時間」や「子供らしくいられる場所」が得られないままに成長。その反動か、大人になってしばらくした今、身体的・精神的不調に苦しめられている。

虫眼鏡で虫を探している少女
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

幼い頃から佐田さんは「寂しい」「もっとかまってほしい」ということを、両親にも学校の先生にも、友だちにも言えずに生きてきた。そして、兄の存在を「煙たい」「恥ずかしい」と思っていることを、「家族の一員としてあってはならないこと」だと自分の中に押しとどめ、蓋をし、さも何とも思っていないかのように平然と振る舞い続けた。

「兄に対して私が恥を感じていること、その思いを両親にも誰にも訴えることをしなかったのは、周囲の空気を読んでいたからです。私にとって、兄に対して文句を言うことは、解決しようのない問題に駄々をこねるようなものであり、両親が大事にするものへの貶めでもあります。つまり、兄に対して私が恥を感じていること、その思いを両親に訴え出ることは、家庭の中で私の立場を危うくすることでした」

佐田さんは、家族で唯一兄に対して「羞恥心」を感じ、本来ならこの世で最も安らげる場所、ありのままの自分を受け入れてもらえるはずの場所・家庭の中で孤立していたのだ。

「両親も祖父母も、みんな兄を大事にしていたので、その兄を私が心の中で憎んでいることは、あってはならないことだと思っていましたし、悟られないようにしていました。でも当時、もしも誰かに打ち明けることができたとしたら、兄の様子や状況を第三者にすべて理解してもらうことはとても難しいので、同じ時間を共にして、兄と私の両方を知っている大人・両親に話を聞いてもらいたかったです。でも、残念ながら、両親が私から兄への不満を引き出してくれたことは、一度もありませんでした」

■老いた親と兄を私が支えなければならなくなるのか

成人してから佐田さんは、きょうだい児の会に参加したり、SNSなどで同じきょうだい児たちと知り合ったりすることができ、誰にも打ち明けられなかった胸の内を少しずつ明かすことができるようになる。

分かり合える仲間の存在や、幼い頃のつらい記憶と向き合うことが功を奏したのか、佐田さんのトラウマやうつ病は快方に向かっているようだ。

「両親は今のところ健康に過ごしていますが、父母どちらかが大きく体調を崩した時、私が親と兄の両方を支えなければならなくなることをとても不安に思います。両親は、将来的には私に面倒をかけないために、兄を『グループホームへ入れるつもり』と言っていますが、入所待ちの人が多いため、見通しは不透明です」

きょうだい児がいない場合、障害者は、両親が亡くなる前に後見人を立てて、財産などの管理をしてもらいながらグループホームに入居するのが一般的だ。一方、きょうだい児がいる場合は、障害の重さによっても選択肢は異なってくるが、これに、「在宅で面倒をみる」「後見人の役割をきょうだい児が担う」という2つの選択肢が追加される。

「両親は成年後見人も検討していますが、第三者に頼むとなると報酬が高額になるのと、私に任せることの是非について迷っていました。私は将来も実家へは帰るつもりはなく、関東で暮らしたいこと、兄の後見人については請け負っても良いが、自分が家庭を持った場合は、成年後見人に関すること以外は、兄にどこまで関われるかは明言できないということを伝えています」

きょうだい児もヤングケアラーも、問題は地続きだ。家族に世話や介助が必要な人員がいれば、そこにリソースが割かれ、家族にゆとりがなくなるのは仕方がないことかもしれない。

だが、佐田さんのような副次的な問題は、家庭の中の大人が想像力を働かせ、タブーを作らないように意識して努めることで、きょうだい児にトラウマを抱えさせることやうつ病にさせてしまうような事態は防げたのではないだろうか。

今や、共働きが当たり前となり、時間的にも金銭的にも余裕のない親が少なくない。介護の必要な老親を抱える家庭も増えている。子供に“お手伝い”の範囲を超えて、介護や子育てをサポートさせている家庭は、「子供らしくいられる時間」や「子供らしくいられる場所」を奪っていないか、子供と一度腹を割って話し合ってみてほしい。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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