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独身の86歳男性は「死ぬまでひとり飯」なのか…SNS以上、しがらみ未満でつながれる「こども食堂」の魅力

プレジデントオンライン / 2022年5月8日 12時15分

子ども食堂が行うフードパントリー(食材配布)の様子。ボランティアには高齢者も参加している。 - 筆者提供

高齢になっても元気に過ごすには何が大切か。社会活動家の湯浅誠さんは「孤独は心身の健康をむしばむ。日々の暮らしのなかで人々とつながりがあることが大切だ。そのためにこども食堂を利用する高齢者は珍しくない」という――。

■80歳を超える母親の「話し相手」はだれなのか

私には80歳を超える母親がいるが、たいした親孝行は何もできていない。

一昨年、要介護になったので、最低限のことはしたが、母親の気持ちに寄り添ってじっくり話を聞くようなことは全然できていない。仕事が忙しいのは本当だが、それを言い訳にして頻繁に顔を出せていないことには後ろめたさも感じる。

高齢化とともに母親の交友関係は減っていたが、コロナ禍でさらに減った。私自身も一昨年は盆も正月も帰れなかった。それでも話し相手はいて、それが私の救いになっている。母親の話し相手になってくれている人たちには、感謝しかない。

今、こんな風に、親が「地元で話をする人はいるのか」が気になる人は、私以外にもいるのではないかと思う。

今回は、そんな高齢者が話し相手を見つけられる場所を紹介したい。そこは読者にとってはちょっと意外に思われる場所かもしれない。

■高齢者も参加する「こども食堂」という居場所

妻に先立たれた86歳男性がいる。

一人暮らしだから自分で料理をする。ちゃんと自己規律ができている。「生きていても、人に迷惑ばっかしじゃいけん」と語るその男性が、他方で「テレビを見ても、食べても、何しても、ひとりはいけません」とも語る。

その男性が地域の人たちと食卓を囲む。コロナ禍ゆえの黙食。誰ともしゃべらず食べるのだったら自宅と変わらないのかと思いきや、「たくさんの方でな、顔を見ながらな、言葉ではいえんけど、楽しいです。最高です」と語る。

やはり、一人で食べるのと、誰かと一緒に食べるというのは、ぜんぜん違うらしい(※1)

この男性が地域の人たちと会食していたのが「河原町ふれあい食堂」という「こども食堂」だ。「地域食堂」ともいう。

こども食堂は一般に「こども専用食堂」「食べられない子のための食堂」と思われているので、高齢者の参加を意外に感じる人もいるかもしれない。だから先の番組も「高齢者も参加する 不思議なこども食堂」というコピーを使用していた。

しかし、実態はイメージ(先入観)とは異なる。筆者も参加した調査(※2)によれば、高齢者が参加するこども食堂は62.7%。過半数を占めている。高齢者が参加するこども食堂は実は、まったく「不思議」ではない。

キャプション→子ども食堂の活動に参加するシニア世代のボランティア
筆者提供
子ども食堂の活動に参加するシニア世代のボランティア - 筆者提供

※1:NHKラウンドちゅうごく「やっぱり一緒に食べたいね~コロナ禍のこども食堂」(2021年4月16日放送)より
※2:令和2年度厚生労働行政推進調査事業費補助金(厚生労働科学特別研究事業)総括研究報告書「新型コロナウイルス感染症流行下における子ども食堂の運営実態の把握とその効果の検証のための研究」

■誰もが来ていい公園のような場所

そもそも78.4%のこども食堂には参加条件がない。

ほとんどのこども食堂は、0歳から100歳まで、健常者も障害者も、日本人も外国籍も貧乏人もお金持ちも誰が来てもよいことになっている。

子ども食堂の食事風景。子どものみならず、大人も一緒に食卓を囲む。
筆者提供
子ども食堂の食事風景。子どものみならず、大人も一緒に食卓を囲む。 - 筆者提供

それゆえ筆者は、こども食堂を「公園のような場所」と形容してきた。公園の入口では、年齢や属性、所得を尋ねられることはない。実際、こども食堂の運営者は、「地域みんなが気軽に立ち寄れる場になりたい」「みんなの憩いの場にしたい」「0歳から100歳までがごちゃまぜに交わる場にしたい」と、自分たちの目指す場のイメージを公園と重なるような言葉で語るところが多い。

そのため、高齢者と子どもの関わりが生まれ、「高齢者の健康づくり」という効用を生み出している。

筆者はあるこども食堂で、子どもが高齢者に卓球相手をせがんでいる光景を見たことがある。周囲の人たちの雰囲気から、それが「いつものこと」らしいと伝わってきた。その高齢者は「しょうがねえな」と言いながら、うれしそうな顔をしていた。

筆者はその高齢者に孫がいるのか、孫がいるとして同居しているのか、知らない。でも、孫がいようがいまいが、同居していようがいまいが、その高齢者にこのような地域の子どもとのつながりがあることは、幸せなことだと思う。

そして私がこの高齢者の遠くに暮らす息子なら、この子に、この場に、感謝したくなるだろうと思った。

■「食べられない子が行くところ」に行かせたい親はいない

高齢者の健康づくりなら、介護予防体操など高齢者だけを集めたほうが効果的だろうと言われるが、これも実態はそうではない。

たとえば、要介護に陥りやすい高齢者を対象に実施する介護予防事業よりも、すべての高齢者を対象に開かれた場(「通いの場」)のほうが、実際にはハイリスク者が2倍以上参加していたというエビデンスがある(※3)

「大変な人や課題のある人を集めるように見える場」は、そこに参加すること=支援されることというスティグマ(恥の意識)を生み出し、「自分はそこまでではない」という抵抗感を人々に抱かせやすい。

逆に、対象者を選別せず、地域の高齢者全員、地域住民全体に開かれていると、地域のお祭りに参加するようなもので、そこへの参加に心理的抵抗が伴わない。結果的により多くの対象者に届けたい支援を届けることができる。

これを、リスクある者に対象を絞り込んだ「ハイリスクアプローチ」に対して「ポピュレーションアプローチ」と呼ぶ。

こども食堂も同じだ。「食べられない子が行くところ」と言われていたら、自分の子どもに「行ってみたら?」という親はいないだろう。親だけではない。ほとんどの地域住民は自分が行きたいとも思わないだろう。

「こども食堂は食べられない子が行くところ」という誤解が解ければ、今よりもさらに多くの地域でこども食堂が広がるだろう。そこで、例えば、子どもたちが高齢者との交流が生まれれば、元気な高齢者が増える。筆者が、こども食堂の実態を正しく理解してもらいたいと願うゆえんだ。

※3:加藤清人他「ポピュレーションアプローチによる認知症予防のための社会参加支援の地域介入研究」報告書。(2022年3月30日孤独孤立対策官民協働プラットフォーム主催「現場課題ワークショップ」における近藤克則氏(千葉大学予防医学センター・国立長寿医療研究センター・一般社団法人日本老年学的評価研究機構(JAGES))資料より)

■コロナ禍が破壊した地域コミュニティ

だから、「こども食堂」という名称を改めた方がよい、という声もある。「こども食堂」と言うから「こども専用の食堂」というイメージを抱かせるし、子どもの貧困対策のための場所というイメージもついてしまっているから、という理由だ。多世代による地域交流を行う場なのであれば、「地域食堂」「みんな食堂」といったような名称がいいのではないか、と。

他方、「子どものためと言うから、みんなが集まってくれる」と言う運営者も多い。「みんなのため」だと、一肌脱いで手伝ってやろうという気持ちになりにくいのだ、と。

名称の問題ではない、と思う。

そもそも多世代による地域交流は、町内会や寺社が中心に担ってきたものだ。誰が参加してもいい「公園のような場」は、町内会の親睦会や寺社のお祭り、地元商店街のイベント、学校主催の地域行事等々の形で、多くの人の日常の暮らしの中に織り込まれていた。

しかしそれは、「しがらみ」と分かち難く結びついており、運営者側の住民の負担感を伴うものでもあったため、少なからぬ人々に忌避され、徐々に衰退していった。そこに少子化・高齢化・人口減少といった人口動態の変化、また巨大ショッピングモールの進出や消費の個人化などの産業・消費構造の変化が加わって、衰退は加速した。

焦点が焦点を当て解除された廊下
写真=iStock.com/t_kimura
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/t_kimura

人と人の距離が物理的にも精神的にも空いて、日本の多くの地域はスカスカ(「疎」)になっていった。コロナはそれに追い討ちをかけ、残った「密」をも撃破した。

そうして、地域から交流の場が消えていった。

■SNS以上、しがらみ未満の「つながり」を作りたい

こども食堂は、子どもを中心としつつもその地域交流を取り戻そうとしている。しかしそれを、こども食堂だけがやればいいと思っている運営者はいない。

地域の交流活動は、町内会もやればいいし、お寺もやればいいし、学校もやればいい。だから、大事なのは、「多世代による地域交流」という機能だ。名称は重要ではない。今まであった「多世代地域交流(町内会)」「多世代地域交流(寺社)」は言うまでもなく、「多世代地域交流(保育園)」や「多世代地域交流(コンビニ)」があってもいい。重要なことは、スカスカになっていく地域にあらがうつながりづくりを盛り立てることだ。

いろんな人たちがいろんな名称でやればいい。学校が地域交流をしても、学校の名称を変えようと言う人はいないだろう。小学校は小学校だ。その上で、地域の多世代交流活動も担えばいい。「こども食堂」も同じだ。

もちろん、人々はかつてのしがらみだらけの地域に戻したいわけではない。かといってSNSだけでは物足りない。求められているのは「SNS以上しがらみ未満のつながり」のゆるやかなつながりだ。

こども食堂は、現代の人々のニーズに応える「ちょうどよい」ところを形にした取組みだ。それで広がった。

■つながりがあれば、人々はよりご機嫌に暮らせる

こうした場が増えたとしても、深刻な虐待や貧困がなくなるわけではない。福祉や社会保障の重要性は変わらない。

しかし同時に、ひとり暮らしのおばあちゃんが、朝起きて、庭の手入れをしながらふと抱く不安(「いま自分がここで倒れたら、いつ誰が見つけてくれるだろう」)は、政府の現金給付でどうにかできるものではない。ましてやセンサー付きの電気ポットでは埋められない。それに応えるのは、大文字の福祉や社会保障というよりは、もっと普段着の、暮らしの中の人々のつながりだ。

つながりがあれば、人々はよりご機嫌に暮らすことができる。その状態をウェルビーイングと言う。身体だけでなく気持ちが健康な状態、気分が晴れやかな状態だ。孤独孤立が政策課題となるくらい、私たちの地域と社会はつながりに飢えている。

つながりが心身を健康にする。そのことを「こども食堂」を始めた人々はわかっている。

私たちは、自治体ホームページ等の公開情報からこども食堂の名称や住所を集めたマップを作成した。約半数のこども食堂が掲載されている。

あなたがいくつであろうと、あなたが裕福でも、自分には関係ない場所だと思わずに、是非近所の「こども食堂」=「地域食堂」のドアを叩いてみてほしい。

そこで誰かを笑顔にしてあげることができたり、ご自身が笑顔になったりすることがあるかもしれない。

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湯浅 誠(ゆあさ・まこと)
社会活動家
東京大学先端科学技術研究センター特任教授。認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。1969年東京都生まれ。東京大学法学部卒。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。1990年代よりホームレス支援に従事し、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。法政大学教授(2014~2019年)を経て現職。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。著書に、『子どもが増えた!人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂・明石市長との共著)『「なんとかする」子どもの貧困』『ヒーローを待っていても世界は変わらない』『反貧困』(第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)『貧困についてとことん考えてみた』(茂木健一郎と共著)など多数。

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(社会活動家 湯浅 誠)

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