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妻子を遊郭に売って衣装代をまかなった…江戸っ子が「お祭り」に異常すぎる情熱を傾けたワケ

プレジデントオンライン / 2022年8月7日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

江戸時代の「お祭り」は、今よりも大掛かりで金もかかった。歴史家の安藤優一郎さんは「神輿に加えて、山車や附祭が出る三部構成だった。江戸の人たちは、練り物の豪華さを競い、衣装代を賄うために妻や娘を遊郭に売るほど熱狂した」という――。

※本稿は、安藤優一郎『大江戸の娯楽裏事情』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■今よりも大掛かりだった江戸時代の「お祭り」

神社の祭礼というと、現在では御神体が乗る神輿がクローズアップされる。神輿には、神社が管理する「宮神輿」と、氏子町会が管理する「町神輿」の二種類があった。

現代では、宮神輿が氏子区域を巡幸する一方で、町神輿は氏子町を練り歩いてから神社に宮入りする。そんなスタイルが定番だ。

ところが、江戸時代まではそんな神輿中心の祭礼ではなかった。

氏子町による山車と「附祭」も加わる三部構成が取られた。というよりも、山車や附祭が祭礼の主役格となっていた。

山車は氏子町が製作したもので、神の依り代としての役割を担った。元々は氏子町にちなんだ様々な造り物や人形といった飾り物が付いた屋台を指しており、各町のシンボルでもあった。

最初は人が担いで練り歩いたが、後には車輪が付けられて牛で牽くスタイルが一般的となる。山車が大型化したため、車輪付きの方が練り歩くのに都合が良かったからだろう。

山王祭では百以上の氏子町が四十五番組に、神田祭でも百以上の氏子町が三十六番組に編成されて、各番組が山車を出した。一つの番組で複数の山車を出す場合も見られた。

■「余興」に大金をつぎ込む江戸っ子

もう一つの附祭は、籤などで当番となった氏子町(当番町)による出し物のこと。時期により増減したが、最低三つの町が選ばれた。その倍以上の町が選ばれることもあった。一つの附祭は踊り屋台、地走り踊り、練り物の三つから構成されるのが一般的である。

踊り屋台は文字どおり踊りの舞台のことで、踊り手を乗せながら移動させた。地走り踊りは歩きながら踊るもので、踊り手だけでなく楽器の弾き手も一緒に歩いた。

練り物は、びっくりするほどの大きな造り物を仕立て、仮装をした人々が一緒に練り歩くものである。

神輿や山車は神霊が宿るという意味で宗教性が強かったが、附祭はそうではない。まさしくエンターテインメントな余興に他ならない。江戸の人々に馴染みの深い古典、もしくは歌舞伎などでの流行りものを取り入れた芸能文化が披露された。若い女性や子どもたちも大勢参加した。

余興である附祭は、祭礼という神事では、本来附属品のような位置付けだった。だが、各氏子町の山車の内容がほぼ固定するに伴い、毎回趣向を変えられた附祭に氏子町は力を注ぐ。言い換えると、大金を注ぎ込んだ。

神田明神祭礼絵巻(部分)
庶民も大金を注ぎ込んで、余興に工夫を凝らす(「神田明神祭礼絵巻」〈部分〉=国立国会図書館蔵)

■神輿が神社に戻るのは深夜になる

実際の順番は、山王祭では氏子町(四十五番組)の山車と当番町による附祭の行列が終わった後に、神輿の行列が続いた。神輿の行列はしんがりであった。

神田祭も同様の順番だった。ところが、天明三年(一七八三)から、十番組(三河町一丁目)の山車と十一番組(豊島町、湯島一丁目、湯島横町、金沢町)の山車の間に神輿の行列が入るようになる。神輿行列が最後尾のままだと、神輿が神社に戻るのが深夜になってしまうからという神社側の要望を幕府が認めたのだ。

それだけ、氏子町(三十六番組)の山車に加え、当番町の附祭の行列を進行させるのには多大な時間を要した。そうした事情は山王祭も同様だった。

幕府からの要請に応えた出し物が行列に加わる時代もあった。これを「御雇祭」と呼んだ。附祭の当番町ではない氏子町による出し物で、独楽回しや太神楽の芸人が雇われた。当時、独楽回しの芸人として知られた松井源水も神田祭の御雇祭で芸を披露している。太神楽とは獅子舞や皿回しなどの曲芸のことである。

幕府が出し物に必要な費用の一部を支給したことから、「御雇祭」の名称が生まれたという。実は御台所や大奥からの希望を受けていた場合が多かった。将軍の上覧にかこつけ、プロの芸人による独楽回しや皿回しの芸を楽しみたかったのだ。

■金に窮して、妻や娘を芸者や遊女に…

附祭や御雇祭の行列は山車の行列に割り込む形で続いた。山車、附祭、山車、御雇祭、山車というような順番だった。そして、山王祭は神輿の行列が最後に、神田祭の場合は途中に入った。

神輿行列を除いて、幕府補助以外の必要経費は氏子町が負担することになっていた。しかし、町だけで負担し切れるものでもなかった。それに、参加者が着用する衣服などは自腹だった。

懐の寂しい江戸っ子のなかには窮するあまり、自分の妻や娘を芸者や遊女(「妓」)に売ってまで衣裳を整えた事例が多かったという。

肥前平戸藩主だった松浦静山には、江戸時代の代表的な随筆集と評価される『甲子夜話』という著作がある。大名・旗本の逸話、市井の風俗に関する見聞の筆録集だったが、天下祭については次のような実態が紹介されている。

歎ずべきは、軽賤の者、祭礼用意の衣服等の料に支ゆるとて、妻娘を妓に売こと頗る有と聞く。かかる風俗を見捨置くは、町役人の罪と謂ふべし。(松浦静山『甲子夜話1』平凡社東洋文庫、以下同じ)

こうした所行を糾弾する静山の指摘はもっともなことだが、いかに天下祭が江戸っ子を熱狂させたかが窺える証言でもあった。

東京スカイツリーと神輿
写真=iStock.com/Hiro_photo_H
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hiro_photo_H

■江戸型山車の誕生

以下、天下祭の主役格となっていた山車・附祭・御雇祭の内容を個々に見ていこう。まずは、氏子町のシンボルたる飾り物が付けられた山車からである。

山車には、町名や町の由来にちなんだ人形が飾り付けられることが多かった。山王祭でみると、十七番組(小網町)の山車は「網打人形」。二十六番組(本材木町一~四丁目)の山車は「棟上人形」。神田祭で見ると、二十七番組(鍛冶町)の山車は「小鍛冶人形」。三十番組(雉子町)の山車は「白雉子」が付けられた。

こうした飾り物を見れば、各氏子町の特徴が一目で分かる趣向になっていた。その様子は現存する祭礼絵巻からも確認できる。

神田大明神御祭図
特徴である三階建ての山車も見える(「神田大明神御祭図」歌川貞重画=国立国会図書館蔵)

神田祭の場合、山車の形態は吹貫型、笠鉾型、万度型、岩組型、江戸型の五種類に分類されている。吹貫型は吹き流しを載せた山車。笠鉾型は一本の柱に笠を付けた山車で、てっぺんに人形や飾りが載っている。万度型は柱のてっぺんに人形や飾り物を置き、その下に町名などを書き記した花飾りの万燈を据えた山車。岩組型は張子の岩(岩組)の上に人形や飾り物を据えた山車である。

■「二輪の台車に三層の櫓」のワケ

そして、江戸型は二輪の台車に三層の櫓を置いた山車だった。三階建ての山車の一階には囃子方が乗り込み、三階には町のシンボルである人形が置かれたが、人形のある三階部分は下降させることができた。上下に伸び縮みできる仕組みとなっていた。

山王祭と神田祭の祭礼行列は江戸城の城門を潜らなければならないため、その高さにはおのずから上限があった。三階建てのままでは通過できず、二階建ての状態にする必要があった。その工夫が施されたのが江戸型の山車なのである。

城門を潜る時に人形のある三階部分が下降し、無事通過した後は上昇して三階建てに戻るのだ。歌舞伎の舞台にある「迫出し」と仕掛けは同じである。幕末以降、この江戸型山車が多く造られるようになった。

だが、他の山車に比べると製作費が跳ね上がるのは避けられなかった。江戸型山車を一つ新調するのに、四、五百両も掛かったという記録も残されている。

■豪華さを競い合った祭礼行列

次は附祭の出し物である。

毎回、祭礼行列のなかでは最も注目を浴びた。いきおい、当番となった氏子町の間での競争が激化して、豪華で華美な内容となるのは避けられなかった。

動きながら芸を披露する踊り屋台と地走り踊りから見ていこう。

前者の踊り屋台は、上に乗った踊り手が芸を見せたものである。参加者は屋台を山車のように引き、踊りや長唄を披露する時は屋台を停めた。移動舞台だったが、屋台に乗れる踊り手や三味線などの伴奏の弾き手の数には限りがあった。

一方、地走り踊りは、歩きながら芸を見せるもので、人数制限を気にする必要はなかった。そのため、女性や子どもが華やかな衣装をまとい、踊り手として多数参加している。附祭の当番町の住人だけでなく、その周辺の町の女性や子どもたちも踊りの師匠に連れられて参加した。むしろ、氏子町以外からの参加者が大半を占めた。

踊りには伴奏音楽が必要であるため、三味線、笛、太鼓、鼓などの楽器を担当する者も一緒に練り歩いた。いずれもプロの演者であり、レベルは高かった。歌の文句も最新の流行語や町名などが盛り込まれていた。仮装による寸劇も演じられた。

このように、賑やかな光景が繰り広げられ、祭礼のメインになっていたと言っても言い過ぎではない。歌舞音曲、造り物などの芸術、演劇……江戸の芸能文化が祭礼の場を通じて、いわゆる「見える化」されていた。

■ゾウや朝鮮通信使の「時事ネタ」も

練り物には定番があり、山王祭の場合は象の造り物がその一つだろう。

享保十四年(一七二九)に、中国の商人を通じて八代将軍吉宗にベトナムの象が献上され、物見高い江戸っ子の目にも触れたことで大きな話題を呼ぶ。象ブームの到来を契機に象の造り物が登場し、山王祭での練り物のシンボルとなった。江戸のガイドブックである『江戸名所図会』や『東都歳時記』の挿絵でも取り上げられたほどだった。

千代田之御表
八代将軍・吉宗に献上されたベトナムからの象が大人気に。早速、造り物の象が登場(「千代田之御表」=国立国会図書館蔵)

神田祭の場合は、「大江山凱陣」にちなんだ練り物が挙げられる。江戸っ子でも知っている古典にちなんだ造り物であった。大江山に鬼退治に出掛けた源頼光が鬼(酒呑童子)の首を持って凱旋(がいせん)してきた場面をテーマにしたものだ。この鬼の首の造り物は神田祭の練り物の名物となり、同じく『東都歳時記』の挿絵で取り上げられている。

山王御祭禮番附
図版=国立国会図書館蔵
神田明神祭礼図
鬼退治をテーマにした造り物が定番に(「神田明神祭礼図」=国立国会図書館蔵)

朝鮮通信使の来日を受け、その様子を復元した仮装行列もみられた。これは時事ネタを取り込んだ練り物ということになる。

単に造り物を移動させるだけでなく、仮装した参加者がともに練り歩くのが通例だった。それも音楽付きだから、さぞや賑やかだったことだろう。

人々の注目を浴びたことで、天下祭における附祭は豪華で派手な余興となった。当番町どうしの競争心が、その傾向に拍車を掛けたのは間違いないのである。

■江戸の華にふさわしい天下祭の賑わい

御徒の山本政恒は神田祭だけでなく、山王祭もリアルタイムで見物しており、その光景も以下のように書き留めている。

各町年寄、其外は美服を着し、袴を付け、脇差を差し、若ひ者は揃ひの衣服を着し、惣体花の付たる菅笠を冠り、紐は太き赤色を用ゆ。白足袋・福草履何れも出しの先へ立ち、鳶の者は足袋はだし、前後左右にありて出しの扱をなす。鉄棒引、又きやりをなす。踊屋台・地踊の踊り子は、町内娘又は芸者、踊の師匠附属し、大きなる団扇を以て踊り子を煽ぎ、底抜屋台は長唄・清本等・富本の三味線を引、うたいながら歩む。太鼓・鼓みも附属す。又芸者の内、髪を男曲げに結び、美麗なる衣服・襦袢を着し、片肌上着をぬぎ、たつつけ袴をはき、草鞋を履き、鉄棒を引き、花笠を冠り、又は背にかけ、出し屋台の先へ立、総て花やかなる扇を開き持なり。又町名を記したる四半の幟を高く建て、町内毎に飲食物を用意せる者附属す。(山本政恒『幕末下級武士の記録』)

山本が書き留めた山王祭の光景は、三部構成のうち附祭のパートであった。

祭礼を監督する立場にある町年寄たち町役人は袴を付けて脇差を差すなど、武士のような格好をしていたが、若い衆たちは揃いの服で派手な格好だった。

出し(山車)を曳く鳶の者が木遣り歌を披露し、踊り子や三味線を弾く演者たちが歌舞音曲を披露する姿が浮かび上がってくる証言である。山車に先立って、男装した華やかな芸者たちの行列が彩りを添えた様子も分かる。町ごとに、祭礼行列の参加者に飲食物を補給する者も付いていた。

■幕府の規制は空文化していった

山本が鮮やかに描写したように、天下祭では江戸の華にふさわしい光景が繰り広げられたが、となれば祭礼費用が増大するのは必至だった。

安藤優一郎『大江戸の娯楽裏事情』(朝日新書)
安藤優一郎『大江戸の娯楽裏事情』(朝日新書)

天下祭は幕府主催の祭礼としての顔も持っていたのだから、あまりに華美なものとなるのは好ましいことではなかった。費用の増大も心配だ。

そこで、幕府は規制に乗り出す。祭礼費の助成という形でその尻拭いを求められることも懸念しただろう。

とりわけ享保・寛政・天保改革では贅沢は敵とばかりに、華美な祭礼は格好の取り締まりの対象となる。附祭での出し物の数を減らすなどして祭礼費の削減をはかったが、改革の時期が終わると、幕府の規制も緩んで元の黙阿弥になるパターンを繰り返したのである。

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安藤 優一郎(あんどう・ゆういちろう)
歴史家
1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学院文学研究科博士後期課程満期退学。文学博士。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。主な著書に『明治維新 隠された真実』『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』『お殿様の定年後』(以上、日本経済新聞出版)、『幕末の志士 渋沢栄一』(MdN新書)、『渋沢栄一と勝海舟 幕末・明治がわかる! 慶喜をめぐる二人の暗闘』(朝日新書)、『越前福井藩主 松平春嶽』(平凡社新書)などがある。

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(歴史家 安藤 優一郎)

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