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「児童手当の所得制限撤廃」は本質ではない…岸田政権の「異次元の少子化対策」がやはり失敗するといえる理由

プレジデントオンライン / 2023年2月14日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milatas

岸田政権が児童手当の所得制限の撤廃を検討している。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「論点は所得制限の有無ではない。撤廃されたところで自民党が今なお『子供は家庭で育てるもの』という理念を持ち続ける限り、少子化対策が実効性を持つとは考えにくい」という――。

■自民党の児童手当の裏にある政治理念

通常国会の焦点として急浮上した、岸田政権の「異次元の少子化対策」。驚かされたのがその中身だ。「児童手当の所得制限撤廃」。そう、彼らが10年前に散々こき下ろした民主党政権の「子ども手当」を、今になって踏襲しようというのだ。

野党の目玉政策への「抱きつき」戦略で攻め手を封じる狙いだったのかもしれないが、当時政権の側にいて自民党の罵詈(ばり)雑言に耐え続けた立憲民主党は、当然ながら激怒した。首相自身が国会で、当時の自民党の態度の「反省」に追い込まれた。

野党を丸め込むどころか、逆に野党の攻め手をさらに増やす結果を招いた自民党。「この愚か者めが」(丸川珠代元五輪担当相)とは一体どちらなのかという気もするが、そのことへの言及は他に任せたい。ここで指摘したいのは、「児童手当(子ども手当)の所得制限撤廃」という政策に込められた、自民党と民主党政権の政治理念の違いだ。「所得制限の撤廃」は、実は与野党二大政治勢力の「目指すべき社会像」の違いを示す象徴的な政策の一つなのである。

■付け焼き刃的な政策のまね事は無意味

岸田政権が付け焼き刃的に民主党政権時代の政策をまねてみたところで、その背景にある政治理念を共有できないのであれば、仮に政策が実現しても「ほとぼりが冷めたら(統一地方選が終わったら)元の木阿弥」ということになりかねない。

「子ども手当」は、今から14年前の2009年に自民党から政権を奪った旧民主党の、目玉政策の一つだった。民主党の下野から11年、いまだにわずか3年3カ月の民主党政権を「悪夢」と声高に叫ぶ向きがあるが、彼らにとっての「悪夢」の一つがこの「子ども手当」であったことは論をまたない。

■自民党が「児童手当」に所得制限を設けた経緯

簡単に経緯を振り返りたい。

子ども手当について民主党はマニフェスト(政権公約)に、中学卒業までの子どもについて、親の所得の多寡にかかわらず、1人あたり月額2万6000円(2010年度は1万3000円)を支給するとしていた。

しかし自民党は、子ども手当を「バラマキ」と激しくこき下ろし続けた。2010年参院選で民主党が大敗し「ねじれ国会」が誕生、翌2011年度の予算関連法案が野党・自民党などの反対で成立しない状況に追い込まれると、民主党は予算関連法案成立と引き換える形で、自民党などが求めた「子ども手当の廃止」を認めざるを得なくなった。

当時は東日本大震災の発生から間もない時期。予算関連法案が成立しないことは、政権として許されなかった。

民主党と自民、公明両党の「3党合意」によって、子ども手当は自公政権当時の「児童手当」に改組され、年齢などにより金額に差を設けられた上、年収960万円を超える世帯への所得制限が導入された。当時も民主党の幹事長を務めていた立憲民主党の岡田克也幹事長は「政権交代前の前だけには戻らぬよう、苦渋の決断で受け入れた」と経緯を振り返っている。

■自民党が「子ども手当」に過剰に反応した理由

ところで、民主党政権が掲げた多くの基本政策のなかで、自民党が特に「子ども手当」に激烈な反応を示したのは、単に「バラマキ」だったからではない。子ども手当の支給に「所得制限を設けない」という制度設計が「自民党の政治理念として、決して受け入れられない」ものだったからだ。

民主党は子ども手当の創設に当たり「子どもは社会で育てる」ことを掲げた。

子どもは家庭の中だけで、親の「自己責任」で育てられるのではなく、地域や行政から人的にも財政的にもサポートを受けながら、共助や公助という「支え合い」によって育てられるべきだ。そんな考え方だ。だからこそ、子どもを育てるためのお金を親の経済力に頼らず、すべての子ども一人ひとりに分け隔てなく、同じ金額を支給する。所得の高い世帯からは、所得税の累進性を高めるなどして、別の形で負担をお願いすべきだ――。

世帯ではなく「個人単位」で直接手当を支給することで、どんな生き方をしている人にも支援を届ける、という基本原則が「子ども手当」制度の背景にある。こうした政治理念は「高校教育無償化」「農業者戸別所得補償制度」など、民主党の他のジャンルの政策にも一定程度貫かれていた。

■「子育ての社会化はスターリンと同じ」

一方の自民党は「子どもは家庭で育てる」という、信仰にも似た揺るぎない信念を持っている。2月1日の衆院予算委員会で立憲の西村智奈美前幹事長が紹介していた、首相に返り咲く前の安倍晋三氏の発言が分かりやすい。「子ども手当によって民主党が目指しているのは(略)子育てを家庭から奪い取り、子育ての国家化・社会化です。これは実際にポル・ポトやスターリンが行おうとしたことです」

「ここまで言うか」と思うほど強い表現で「子どもは社会が育てる」政治理念を忌み嫌っている。

これは安倍氏の個人的な資質によるものではない。3党合意の際に自民党が石破茂政調会長(当時)名で発出した「『子ども手当』廃止の合意について」という文書には、こう書かれている。

「所得制限を設けることにより、民主党の『子どもは社会で育てる』というイデオロギーを撤回させ、第一義的には子どもは家庭が育て、足らざる部分を社会がサポートする、という我が党のかねてからの主張が実現した」「(子ども手当の撤回は)家庭を基礎とする我が国の自助自立の精神に真っ向から反した『子どもは社会で育てる』との民主党政策の誤りを国民に広く示すこととなり、大きな成果であった」

自民党にとって子ども手当、特に「所得制限」の撤廃問題とは、単なる「バラマキ」批判ではなく、まさにイデオロギー闘争だったのである。

昭和の浦安
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

■「世帯から個人へ」が徐々に社会に浸透してきた

「子ども手当」が自民党に激烈にこき下ろされた10年以上前の当時は、日本社会もどちらかと言えば、まだ自民党の主張を許容する風潮があった。「どうして金持ちの家の子どもまで手当をもらえるのか」という声は、まだ一般社会にもそこそこあったと思う。

しかし、この10年で社会もずいぶん変わってきた。その流れを結果として推し進めたのがコロナ禍だ。まだ記憶に新しい「1人一律10万円の定額給付金」。これも野党の発案を受け、当時の安倍政権が補正予算案を組み替える異例の対応で実現したものだが、安倍政権はこれを「世帯単位」で給付したために、例えば家庭内暴力(DV)被害者や家庭内で弱い立場にいる人に給付が届かないという問題が発生した。ツイッターで「#世帯主ではなく個人に給付して」というハッシュタグも生まれた。

「世帯単位から個人単位へ」ということの意味が、社会的にも広く認知され始めた。

■少子化対策は既にラストチャンスを逸している

そんな社会の変化のなかで、自民党はなおも「子どもは家庭が育てる」に凝り固まり、その「家族のかたち」さえも、極めて伝統的な家族像にこだわり続けてきた。選択的夫婦別姓や同性婚を認めていないのが良い例だ。

今月になって発覚した、荒井勝喜首相秘書官(更迭)の同性婚差別発言問題は、発言のきっかけとなった岸田首相(自民党総裁)自身の「社会が変わってしまう」という国会答弁と相まって、この党の認識を如実に表している。

そうやって、自民党が時代に取り残されたまま政権を維持し続けてきた間に、いわゆる団塊ジュニア世代は出産適齢期を過ぎた。少子化対策は事実上、ラストチャンスを逸している。

当時の自分たちが口を極めてののしり、ついにはちゃぶ台返しした民主党政権の「子ども手当の所得制限撤廃」に、今ごろになって食いついておいて「過去にとらわれず」などとうそぶいても遅いのだ。

■所得制限を撤廃しても「家庭第一主義」は変わっていない

そして問題は、表向きは「所得制限撤廃」をうたったからといって、自民党自身が「家庭が第一」「世帯中心」思想を捨てたわけではない、ということだ。

家族
写真=iStock.com/visualspace
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/visualspace

所得制限撤廃について、少なくとも現時点で岸田首相の姿勢は冷たい。所得制限撤廃問題は、1月25日の衆院本会議で自民党の茂木敏充幹事長が突如ぶち上げたわけだが、岸田首相は30日の衆院予算委員会で「一つの意見だと認識している」と切って捨てた。

どう見ても岸田首相が「個人中心」の給付にかじを切っているとは、到底思えない。

筆者はしばしば、政権を争う二つの政治勢力が、それぞれの勢力のなかで「目指すべき社会像」を共有することの大切さを訴えてきた。個別の小さな政策の賛否だけに着目しても、その政策を支持する背景が全く違うのでは意味がないと考えるからだ。

例えば消費税減税とひとくちに言っても、弱者対策を大事にする人も、金持ち優遇を狙う人もいる。憲法改正といっても、緊急事態条項の導入を狙い行政の権限を肥大化させようとする人と、首相の解散権制約を目指し行政の権限を縛ろうとする人では、目指すべき社会像は真逆だろう。

■見るべきところは「所得制限の有無」だけではない

「子ども手当の所得制限撤廃」も、まさにそういう話である。

民主党政権が子ども手当の制度に込めた基本理念を共有することなく、岸田政権が単に表面だけで「所得制限撤廃」の部分だけ民主党政権をつまみ食いしても、正直言って何の意味もない。それこそ「統一地方選を乗り切るための一時的なバラマキ」に過ぎない。

選挙が終わってほとぼりが冷めた後、岸田政権が熱を入れる防衛費増額問題で財源が見つからない、ということになれば、すぐに「所得制限を再び導入し、浮いた財源を防衛費に」という話が噴出するはずだ。

この問題は今後も国会で議論が続くだろうが、私たちが注視すべきはそういうことである。所得制限撤廃が実現するか否か、だけでなく、背景にある自民党の政治理念がどこにあるのか、結局は自分たちが後生大事にしてきた「第一義的には子どもは家庭で育てる」という理念に、いまだしがみついているのかいないのか、そういう点を見極めることだ。

質問する野党の側も、単に「政府が過去を反省して自分たちの政策を受け入れてくれたらありがたい」というだけで安易に納得せず、こうした点をしっかりとあぶり出す質疑を期待したい。それこそが「目指すべき社会像」について論戦を戦わせる、与野党二大政治勢力による国会質疑のあるべき姿である。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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