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なぜ民主党政権は3年で終わったのか…政界の壊し屋・小沢一郎が考える「3度目の政権交代」に最も必要なこと

プレジデントオンライン / 2024年5月23日 10時15分

衆院議員の小沢一郎さん。当選回数は現職のなかで最も多い18回を数える。 - 撮影=遠藤素子

【連載 #私の失敗談 第13回】どんな人にも失敗はある。衆議院議員の小沢一郎さんは「大学受験では2浪した。政権交代では2回とも自民党に政権を奪われたが、この失敗は必ず3回目の成功の基になる」という――。(聞き手・構成=ジャーナリスト・城本勝)

■名門高校に合格して油断、大学受験で2浪した

剛腕、壊し屋、権力闘争の人……小沢一郎を彩る形容詞は、暗く険しい言葉が多い。

2度にわたって自民党を野党に転落させながら、幾つもの政党を壊しては政治の混乱を招いても来た「悪役イメージ」だ。その悪役は敗北や挫折があってもその都度しぶとく立ち上がってきた。過去のことに囚われず、常に前進してきた。

40年近く小沢一郎を間近で取材してきた私も、小沢の口から反省や後悔の言葉を聞いた記憶はほとんどない。「失敗を認めない男」というのも数ある小沢神話の一つだ。

このインタビュー「私の失敗談」を打診した際も、正直すぐにはウンと言わないだろうと思っていた。ところが、おずおずと切り出した私に小沢は、いともあっさりとこう言った。

「失敗は、いっぱいあるさ。失敗は成功の基(もと)だもんな」

いちばん最初の失敗は大学受験です。2浪したからね。

僕は中学3年になる時、水沢(父・小沢佐重喜元衆院議員の地元、現在の岩手県奥州市)から東京に転校してきました。この時は、それはもう一生懸命勉強した。人生で一番勉強したんじゃないかな。それで都立小石川高校にほぼトップクラスで合格できた。田舎から出てきてすぐだから、それでちょっといい気分になって、遊んでいたんですね。

■「何事も、やれるときに全力でやることが大事」

なめてかかったというか、大学受験など何てことないと思っていた。それがやっぱり油断大敵。東大を目指して結局2年浪人することになった。学校の勉強だけでなく、何事も、やれるときには全力でやることが大事だと思います。過ぎてからでは、もう挽回できない。だから、その反省がものすごくありますね。

2浪して慶応(義塾)大学の経済学部に入ったが、大学ではあまり反省が役に立ちませんでした。おやじが、体も悪くして元気がなくなってしまい、家で一人で酒を飲むようになった。

それまで全然家に帰ってこなかったおやじが一人でちびちび酒を飲んでいたから、かわいそうになって。夜はおやじの酒飲みの相手みたいなことをずっとしていました。大学時代はそんなに遊び惚けていたわけではないけど、充実した感じではなかった。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
中学、高校、大学時代を振り返る小沢さん。 - 撮影=遠藤素子

■「高校、大学でさぼった分、選挙は徹底的にやりました」

そこで法律を勉強し直そうと、大学を卒業した1967年春におやじの母校の日大の大学院(法学研究科)に入りました。何をするにしても、司法試験に合格していれば、食いっぱぐれがない、生活の不安がなくなるから、政治家だろうがサラリーマンだろうが、何にでもなれる。そう思って大学院では猛烈に勉強しました。

翌年の択一試験(司法試験の1次試験)に受かった。択一に受かれば論文試験に大概は受かると言われていました。1年で択一取れる者はほぼいないと大学の先生もびっくりしていましたね。ところが、1次試験の合格発表直前におやじが亡くなった。5月8日に亡くなって、12日が合格発表だった。もっと早く、亡くなる前に知らせてやりたかった。

だから、真剣に勉強したのは中学3年と日大の大学院のときですね。その猛勉強の結果として1年間で飛躍的な成果が出たけれど、その後はずるずると選挙の話になって、その年の暮れにはもう選挙運動に入ってしまった。

だけど、高校、大学でさぼった分、選挙は徹底してやりました。政治家になって初めのうちは、失敗もヘチマもない。通常国会が終わった7~8月に、選挙区内を1日に2カ所も3カ所も歩いては酒飲んで、また飲んでは歩いた。それを10年以上続けたから、今の秘書たちよりもはるかに地元のことを知っています。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
父の地盤を引き継ぎ、衆議院旧岩手2区から立候補した。大学院での学生生活から一気に選挙活動に突入した。 - 撮影=遠藤素子

■初当選直後に「議員を辞めよう」と思った

小さな集落まで全部回ったが、今どきの政治家はここまでやらない。これはオヤジ(政治の師と仰ぐ田中角栄元首相)の教えでもあるんだけど、地盤を固めないと仕事にならんという自分の思いも強かった。そうやって次第に選挙の基盤をつくり、中央での仕事も任されるようになっていきました。

小沢の政治生活は最初から波乱の連続だった。1969年12月に行われた衆院議員総選挙で自民党から出馬し、初当選した直後、思わぬ事態が小沢を襲う。

これは失敗ではないんだけど、27歳で当選して年が明けてからかな。甲状腺がんだと分かったんです。喉元にコロコロと肉団子みたいなものができてね。何だろう、何だろうって調べたらがんだった。

体の調子は良くなっていたんだけど、声がまだ出ない。地元から応援演説に来てくれと言うのを断っていたのですが、もう声が出なかったら議員を辞めるしかないと思っていました。街頭で思い切って大きな声を出したら、出たんですね。それで議員を続けられた。

■みんなに恨まれた、でも公平な仕事ぶりが評価された

その後は、選挙にしても、党の仕事にしても必死でやり続けました。1982年に発足した中曽根内閣で、自民党の総務局長になりました。選挙実務を取り仕切る重要な仕事に就かせてもらったわけですが、まだ当選5回、40歳の私には大変なことも多かった。

翌83年の参院選挙から実施された比例代表選挙の調整は大変だった。議員それぞれに順位をつけなきゃいけなかったから、みんなに恨まれたよ。でも絶対に不公平にはしなかった。田中派だから優遇したりはしない。そういった点は各派から評価してもらえた。

年末の総選挙は、ロッキード事件の一審判決でオヤジに有罪判決が出た後だったから、自民党にとってはとても厳しい選挙でした。僕はその選挙で、2~3時間ほど落選したんですよ。民放が別の候補者に当選確実を打っちゃった。最終的には2000票差で当選することができましたが(笑)。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
当選回数を重ね、政府や党本部の仕事も任されるようになったと振り返る。 - 撮影=遠藤素子

それまではずっとトップ当選だったから「今回の選挙も大丈夫だろう」と思って、地元に戻らず東京で選挙実務をやっていた。でもその時は違っていた。

地元にいた女房が「雰囲気がおかしい、とにかく帰ってきてくれ、絶対帰ってきてくれ」と言うので、選挙戦の最終日にだけ地元に帰ったんです。やっぱり選挙というのは油断大敵。有権者の気持ちを疎かにしてはいけないと痛感しました。これを機にさらに真剣に選挙区を回るようになりました。

■「人を信用しすぎる、だから何度もだまされる」

僕には、人を信用しすぎるところがある。ロッキード選挙をめぐって、田中のオヤジが中曽根(康弘元首相)に裏切られたのを見て、自分も気をつけねばならないと痛切に思いました。

1982年に田中角栄の支援で成立した中曽根康弘内閣は、田中の強い影響力のもと、「田中曽根内閣」とか「角影内閣」などと揶揄されていた。翌83年春にはその秋にロッキード裁判の一審判決が予想される中、判決の前に衆院の解散・総選挙を断行すべきだと迫る田中に対して、中曽根は「角栄のいいなり」との批判を恐れて、解散を拒否し続けた。小沢は田中側近として2人の実力者の暗闘を間近で見ていたのである。

中曽根の裏切りはオヤジにとってショックだったと思います。その時(田中判決前に)選挙をするのが良かったのかどうかは別ですが、オヤジが「ここで解散すべきだ」と言っても中曽根はもうオヤジを切ろうと思っていたから、応じなかった。僕はオヤジが中曽根に直接電話したのも知っていたが、それでも拒否した。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
田中角栄元首相の側近として、中曽根首相(当時)のやり取りを目の当たりにした。 - 撮影=遠藤素子

■「人っていうのは分からんもんだね」

オヤジのおかげで総理になれて偉そうにしている人が、オヤジが苦しい時の頼みを聞かない……。本当にこの人は絶対に信用できないと思った。同時に、僕は誰でも信用するほうだから、自分も気を付けなければならないと感じた。その後も、また騙されたり裏切られたりするんですが、その時は痛切に思いました。人っていうのは分からんもんだね。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
インタビューに応じる小沢一郎さん。 - 撮影=遠藤素子

――政治の世界は、裏切ったり、約束を反故にしたりすることが多い印象です。

ちょっとしたウソはあっても、土下座までして頼んだ相手を裏切ることは、そうそうあるもんじゃない。政治の人間関係は、こういうものかと思って気を付けてきたけど、その後もいろいろと裏切りにはあいました。自分の性格を基準にして考えるからかな。

――小沢さんが裏切ったということはないのでしょうか。

僕は人を裏切らないよ。恩義、信義は守るし、約束は絶対に守る。ダメなことはダメって言うからね、僕は。

■1度目の政権交代の失敗

失敗や挫折を繰り返しながらも、小沢は政治家としての実力を着実につけていった。やがて政局のキーマンとなり、1993年には自民党を割って非自民勢力を糾合し、細川護熙政権を樹立。悲願だった小選挙区制の導入に漕ぎ着ける。だが、その後求心力を失った細川政権は瓦解し、ついに94年、自民・社会・さきがけの村山富市政権によって自民党の政権奪還を許すことになった。その結果を小沢は「政治的に最大の失敗だった」と振り返る。

政治的に大きな失敗は、自社さ政権の発足です。これこそは……、本当に信じられなかった。自社の両方からうすうす聞いてはいたけど、まさかと思いました。

あの頃、細川連立政権の中で不満が溜まっていた社会党(筆者註:コメの自由化、小選挙区制度などの強硬な反対派が、水面下で自民党との連携を強めていた)がパタパタと動揺していたのは分かってはいたけど、まさか、ずっと対立してきた自民党に担がれて総理を出すなんて。

村山さんは今年で100歳を迎えたというけど、お天道さまがどう思うでしょうか。自民党も自民党だけど、社会党も社会党。担がれてポストを得た社会党は2年もたたずに滅んでしまい、村山さん1人が生き残って、あとは全員ダメになった。このことは僕たちにとっても非常に大きな失敗でした。

■「そこが自民党のすごいところなんです」

もう少し社会党議員の心理を考えてやれば自民党に政権を奪われることはなかったと思う。細川政権が退陣した後に社会党の首班を立ててもよかった。だけど、連立する仲間の議員は、誰も「社会党首班(村山)がいい」なんて言わなかったんですよ(笑)。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
1度目の政権交代は、自社の連立によって終わった。 - 撮影=遠藤素子

むしろそこが自民党のすごいところなんです。何が何でも権力を取る、そのためには手段を選ばない。その良し悪しは別にして、権力闘争とはこういうものなんだということを自民党の姿勢から学ばないといけない。

それに比べたら立憲民主党も含めて今の野党なんて赤ちゃんみたいなもの。「対決よりも解決」なんて言ってますが、そんなの小学生か中学生の遊びみたいなものです。

■身動きが取れなくなった2度目の政権交代

自民党は政権を維持するためなら手段を選ばない。いまもまた、窮地に立った自民党は、かつて社会党の党首を担いだように、野党を取り込む連立も狙っているはずだ。小沢の言葉からは、そうした警戒感もうかがわれた。

そして、最初の政権交代から16年経ってまた失敗が繰り返される。2度目の失敗は、国民からの圧倒的な期待を受けて誕生した民主党政権が、わずか3年で瓦解したことだ。

2度目の失敗は2009年の政権交代です。民主党政権はなぜ3年で倒れ、自民党に再び政権を奪われたのか。その大きな原因は官僚との対決があったからです。

僕個人のことで言えば、「あの事件」によって身動きが取れなくなった。大勢の検察官僚が僕の動きを阻止しようとした。そうとしか考えられない。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
陸山会をめぐる事件を、小沢さんは今どう考えているのか。

あの事件とは、小沢の資金管理団体・陸山会をめぐる事件だ。政治資金規正法違反の虚偽記載の罪で元秘書3人が2010年、東京地検特捜部に逮捕・起訴された。小沢自身も11年に検察審査会の議決で強制起訴されたが、翌年には無罪が確定した。

あの事件は、闇献金や不正など全くないのに、検察が無理やりこじつけて立件した。悪いことなど何にもない。石川君(筆者註:石川知裕元衆議院議員、小沢の秘書時代に虚偽記載を共謀したと逮捕・起訴された秘書の1人。石川は一貫して無実を主張し、特捜検事が調書を改ざんしていたことも明らかになったが、裁判では有罪が確定し、議員を辞職した)もかわいそうだ。今回の自民党派閥の裏金問題は完全に法律違反をしているのに何もおとがめなし。石川君は何にもやってないのに議員辞職をすることになった。

これによって僕は民主党政権に手を付けられなかった。検察の捜査があって動けなかった。ひどいもんだ。検察は僕を陥れられなかったけど、動きを封じることができた。結果としては成功したのでしょう。彼らの思惑一つでどうにでもできる生殺与奪の権を握る今の検察の現状は恐るべきものです。検察、裁判所という司法組織は大改革しないといけないと思っています。

■いまの政治家に欠けている重要な資質

――民主党政権の失敗の原因として、官僚をうまく使うことができなかったという指摘があります。それについてはどう考えていますか。

それは政治家の資質の問題です。何やっていいのか分からない政治家が多かった。

僕たちは官僚主導ではなく政治主導を掲げて選挙に挑み、政権交代を実現させた。民主党は政権党であり、自分たちが政府そのものなんだから、自分で物事を決めて自分で実行できなければいけない。何でも役人の顔色を見て、役人に教わってやるからダメだった。

政策の細かいことは役人のほうが知っているに決まっている。しかし基本的な大方針を政治家が持ち、自らの責任で役人に指示をしなければならない。政治家は倫理や哲学を持たなければいけない。

政治家にそれがないから役人に馬鹿にされて、民主党は浮き草のように漂ってしまった。それは今の立憲民主党にも言えることです。これを何とかするっていうのが大変なんですね。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
政治家に必要なものは倫理や哲学を持つことだという。 - 撮影=遠藤素子

■「万年野党で喜んでいるのは国民への裏切り」

――小沢さんは、日本は議会制民主主義なんだから、野党が選挙で政権交代を目指して戦うのが当たり前だと言い続けています。今の立憲民主党はどうでしょうか。

政治家が戦わないんだ。戦うだけの力と知性がない。だから官僚と渡り合えない。政策の細かいところまでやれ、覚えろと言うわけじゃない。政治家が基本の考え方をもって官僚と議論できるようにならないとダメだと言っている。細かいことは官僚に任せればいい。しかし、まずは官僚と議論して戦わなきゃいけないのに、今の政治家にはそれがない。

現執行部は「対決よりも解決」を掲げて、政策の枝葉末節の部分で与党や官僚と議論をしている。しかし、基本的な理念、哲学については議論ができないんです。要するに、誰に対しても、いい子ちゃんでいたいんですよ。誰とでも仲良くしていたい。

しかし、それは「万年野党で喜んでいる」ということだ。政権を目指さず、万年野党のままでいいという政治家がいるなら「今すぐ議員バッジ外せ」と言いたい。政権を取る意欲がないということは、国民に対する裏切りだ。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
政権を取る意欲のない議員は「今すぐ議員バッジ外せ」と語った。 - 撮影=遠藤素子

■民主党政権は「国民との約束」を守れなかった

――政権交代を目指さない議員は、必要ないと。

国民は、こうしてほしい、ああしてほしい、という自分の願いを1票に託し、投票している。国民から託された思いは、政権を獲得し、政府を組織して政策として実行できる。だから政権獲得の意欲がない政治家は、最初から国民を裏切っているということです。

――なぜ民主党政権は3年で終わってしまったのでしょうか。

民主党政権が失敗に終わった最大の原因は、国民と約束した公約を守れなかったことです。

小沢が真っ先に挙げたのは、民主党が2009年の選挙公約(マニフェスト)で「4年間は上げない」と明記したはずの消費増税だった。

鳩山政権は一転して議論を本格化させると宣言、後継の菅政権では参院選挙で「消費税率10%への引き上げ」を掲げて大敗。次の野田佳彦政権では自民・公明との三党合意を成立させ、消費増税への道筋をつけた。

小沢は2012年6月、消費増税が盛り込まれた社会保障と税の一体改革関連法案に反対し、民主党を離党。49人で新党を旗揚げした。

僕は、(筆者註:消費税率の引き上げをめぐって民主党政権が分裂した2012年)野田君(当時の野田佳彦首相)にも、最後に「公約違反をしてでも消費増税をやるというのなら、成立したら辞めなさい」と言った。

「総理がそこまで政治生命をかけてやるというのなら、(反対の)我々も、国民もこれは仕方がない、言う事を聞こうとなるから」と。しかし、結局、野田君にはそれができなかった。

約束したことが守れなくても、どれだけ努力をしたのかを国民は見ています。政治家として、そういう姿勢を見せられるかどうかが大事なんです。

■嫌われる覚悟がなければ政権交代はできない

支持率低下に苦しむ岸田内閣。自民党王国の島根1区をはじめ3選挙区で全敗の結果にも、岸田首相に取って代わろうという岸田降ろしの動きは表面化していない。

解散しないことが最大の武器という倒錯した状況で生き残りを図る岸田首相。だが野党側も相変わらず、独自色にこだわり、まとまって自公政権を倒そうという機運にはなっていない。

インタビューは3補選の前だったが、小沢はこの閉塞状況を予感していたように、最後の戦いだからこそ失敗はできないと繰り返した。

――今の自民党には、かつて存在した、どんな手を使ってでも権力にしがみつくエネルギーすらなくなっているように見えます。一方の野党には政権を奪う気迫が感じられません。

情けないよね。だけど、もう2回も失敗しているのだから、今度は絶対に失敗しないようにしなければならない。

かつての自民党のリーダーたちには何がしかの自分自身の理念、哲学があった。ところが今の自民党にはそれもない。自民党自体がもう、どうしようもない。

しかし、それ以上にどうしようもないのが今の野党だと思います。権力闘争をする意思も意欲も何にもない。むしろ権力闘争を避けている。そんなことやめよう。丸く、丸く、と言うんです。こうした野党の現状を変えていくことが今の日本の政治に欠かせません。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
野党政治家に足りないものは「嫌われる覚悟」と指摘した。 - 撮影=遠藤素子

■壊さなければ、新しいものは生まれない

――小沢さんは「壊し屋」とか「権力闘争の人」と言われてきた。その異名についてはどう感じていますか。

それはマスコミの不勉強。壊さなければ新しいものは生まれないでしょう(笑)。

それに権力闘争が、何か悪いことのように言われるんですが、決して悪いことではない。政権交代は権力闘争そのものなんです。今の政治家はみんなそういうものに弱い。「権力闘争の何が悪いんだ」と言えないんですね。

何か言われると、みんな「そうですね、そうですね」ってなっちゃう。だけど、だんだん世の中も変わってきてます。少しずつだけど、もう少し早く変わってくれないかとも思うんですが、僕をよく批判していた連中だって、徐々に変わってきています。

今度は、野党をきちっとまとめますよ。腹の中ではみんな「このままじゃダメだ」と思っている。まだいい子ちゃんでいたいから、言い出せないんです。困ったもんですね。

■政治生命をかける政治家がいなくなった

平成の政治改革の出発となったリクルート事件。かつてない政治不信の広がりのなかで、自民党は当時の竹下首相が退陣することによって事態を収拾させた。同時に、派閥の解消や選挙制度改革を盛り込んだ政治改革大綱を打ち出し、一時的とはいえ政局の主導権を取り戻していった。

竹下内閣では竹下側近として、その後は自民党幹事長として、激動の渦の真っ只中で「平成の政治改革」を実現した小沢。「令和の政治改革」が求められる今、最高指導者のケジメも政治改革の具体案もまとめられないまま漂流している自民党政権の現状をどう見ているのだろうか。

リクルート事件の時、竹下(登元首相)自身に違法なことはなかった。だけど、結局、あんな形で終わってしまった。でも竹下は消費税導入を果たした上で、総理として政治責任を取った。

いまの岸田総理には、それがありません。自分の政治生命をかけてやるという姿勢は見えない。彼は、自民党の悪いところだけを受け継いでいると思う。こんなに低い内閣支持率だったら、30年前なら自民党の中で大騒ぎになった。だがそんな雰囲気は全く感じられない。

与野党ともに政治家がみんな無気力になってしまったと感じます。野党にも何が何でも自民党政権を倒そうという気概がない。このままだと「大失敗」するぞと同僚議員たちに言っているんですが、なかなか簡単には変わりません。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
インタビューに応じる小沢一郎さん。掛け軸には「百術は一誠に如(し)かず」と記されている。座右の銘だという。 - 撮影=遠藤素子

■「三度目の正直、やりますから」

インタビューの最後、30代編集者の言葉に、小沢は、悔しさを滲ませながら2009年の政権交代を振り返った。「自分が総理をやっていれば違った」と。

そんな後悔の言葉を聞くのは私も初めてだった。だからこそ、今度こそ失敗は許されない。あえて明るく話す小沢の表情からは、かえって秘めた覚悟のようなものが感じられた。

――2009年の衆院選。私は民主党に票を入れたんです。何かが変わるかもしれないと思って。

それは正しかったと思いますよ(笑)。

――結局は何も変わりませんでした。二大政党制は実現せず、昔と同じような自民党の一党優位が続いている。

それはしょうがない。民主党は国民にウソをついて自民党と手を結んでしまったからね。消費増税をしないという国民との公約を破ったんだ。あれがなければ、絶対に(衆議院議員の任期で)2期、3期と続けられたはずです。

あの時(筆者註:2009年5月、秘書が逮捕されたことを受けて)民主党代表を辞めなければ、民主党政権はあんなに変なことにはならなかったと思います。検察に身動きを封じられていなければ、黙っていれば総理になっていましたから。代表を辞めなくても総選挙に勝つことはできたし、総理になっていたら結果は違っていたんだと思います。

今は2009年よりも自民党に対する批判は強いし、政権交代を望む声は大きくなってきている。雰囲気はいい。だから今、頑張らなくてはならない。絶対に「三度目の正直」はやりますから、その時またお会いしましょう。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
「政権交代を望む声は大きくなってきている」と述べ、3度目の政権交代への意気込みを語った。 - 撮影=遠藤素子

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城本 勝(しろもと・まさる)
ジャーナリスト、元NHK解説委員
1957年熊本県生まれ。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2004年から政治担当の解説委員となり、「日曜討論」などの番組に出演。2018年に退局し、日本国際放送代表取締役社長などを経て2022年6月からフリージャーナリスト。著書に『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)がある。

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(ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝)

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