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「認知症の母をいじめ抜き泣かせた自分を許せない」10年の介護で精根尽きた60代次男を襲った"ステージ4"

プレジデントオンライン / 2023年7月29日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kimberrywood

自宅介護を断念しグループホームへ88歳の母親を預けた次男。コロナ禍で面会不可となり介護の負担も減ったが、かつて母親に対して罵詈雑言を浴びせるなどの自分の言動を懺悔する日々で、体調不良はどんどん深刻化。MRI検査をすると、前立腺がん。それもステージ4だった――。(後編/全2回)
【前編のあらすじ】酒乱の父親は肝硬変により49歳で他界、その後、2人の子供を育てた母親は42歳で乳がん、75歳で慢性骨髄性白血病にかかり、85歳の頃にはアルツハイマー型認知症を発症。実家近くで飲食店などを営む次男が全面的に介護をすることに。しかし、母親の認知機能はみるみる低下し、介護施設へも行きたがらない。店を営業できない次男は廃業に追い込まれ、母親を罵倒するように――。

■グループホームへ

2017年12月。アルツハイマー型認知症で要介護2の88歳の母親をグループホームに入れると、63歳の山田寅彦さん(仮名・既婚)は、週に1〜2回面会に行く生活が始まった。母親が家にいる間、長時間目が離せない生活に比べれば、格段に楽になったはずだが、精神的には全く楽にはならなかった。

入所したばかりの2018年1月ごろ、施設職員が母親に着せようとした衣類を「自分のものではない」と言い張り、以降、職員の食事の勧めを断るなどしたため、施設に呼び出された。

駆けつけた山田さんは、母親をなだめすかし、施設にいてもらうように説得。他にも、夜中に眠れず、他の部屋に迷い込んだり、自分のいる場所がわからなくなってパニックになったり、帰りたがって、「息子と話をさせてほしい」と職員に何度も要請するなどが繰り返された。

「とにかく母は家に帰りたがりましたが、その家がどうやら生まれた家であることが多くなっていて、少し前までいた私の実家の記憶は薄れているようでした。母を施設に入れて、私は仕事に戻ると、今度は仕事の疲労と、母を無理やり施設に入れてしまった罪悪感から睡眠がうまくとれず、私はずっと体調不良が続きました」

母親の通院時は、山田さんが施設に母親を迎えに行き、一緒に受診していた。

この頃の母親は15分間隔でトイレに行きたがるため、最初の頃、施設から母親を連れ出すときは、山田さんには若干のおびえがあった。

病院まで約20分。大体、15分経過の頃、「ちょっと、トイレに行きてえなあ」と母親が言い始める。

ミラー越しに母親を見ながら、山田さんは、「もうすぐ着くけど、着くまで我慢できるか?」とたずねると、決まって母親は、「我慢するさ~しょうがねえじゃあ」と言った。駐車場に車を止めて、受付を済ませたあとトイレに行くが、トイレに行っている間に必ず名前を呼ばれる。母親のトイレは大小にかかわらず、10〜15分ほどかかるのだ。

診察を終えると、帰る前にもう一度トイレ。

まだ母親は、自分で紙パンツやズボンを上げたり下げたりできるが、ほとんどの場合、ズボンの下で紙パンツが上がっていないので、山田さんが確認する。

手を洗わせて待合室に戻り、座らせる場所を探して、会計を済ませ、病院を出る。薬局に寄り、コンビニでプリンと甘酒を買い、車に乗せると、母の首からお腹にティッシュを置き、プリンを渡す。

「お、旨そうだな……」

おいしそうに食べる母親をミラー越しに見ながら、グループホームに向かう。プリンがなくなると、「これからどこへ行くだえ?」と言い出す母親。「あそこじゃなくて家に帰りてえ……」とぼやくが、そんな母親を無視してグループホームの玄関に到着。

「施設に面会に行くと、必ず確認するのは前回の面会以降の記録帳にある“便汚染”。便の失敗の記録です。それが週に1度くらいのときもありますが、2日に1度とかわりと頻繁にあると、通院の時も気を使います。しかし、5カ月で10回くらい通院しましたが、恐れていた失敗は一度もなく、だんだん母を外の空気に触れさせる良い機会……と思うようになっていました」

■コロナ禍の言い訳

2019年5月。90歳になった母親は「膝が痛い」と言い出し、そのうち痛がって歩くのもままならなくなる。そのため通院時は、さらに気を使わなくてはならなくなった。

「歩けない、動けない、動くと痛がる老人を動かすのは大変なことだなと思いました。その日は半日でしたが、疲れ切った私の身体にトドメを刺したようです。夕方、近場の温泉に行きましたが、浸かりながら寝てしまい、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなってしまいました。寝たきりや身体が不自由な身内の介護をしている方、本当にご苦労さまだと思います」

温泉
写真=iStock.com/Gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gyro

2020年に入ると、コロナのため、面会ができなくなった。

「それまで何とか週1で来ていましたが、コロナで面会中止になってから、母のことを考えないように考えないようにしてきました。途中、少し面会できるようになりましたが、今度は私の咳が止まらず、なかなか母に会えませんでした。でも、内心会えなくてほっとしている自分がいました。われながら、ひどい息子だと思いました」

2020年夏ごろ。久しぶりに面会できたが、91歳の母親はもう山田さんを息子だと認識しておらず、顔を見るなり「にいちゃん!」と言った。おそらく山田さんの兄ではなく、自分の兄だと思ったのだろう。ソワソワと落ち着かない様子で、「みんなのところへ行かなきゃ!」と10分くらいで面会を切り上げてしまった。

■体調不良の原因

山田さんの体調不良は、ずいぶん長い間続いていた。体調不良が原因で、2020年の夏ごろには、衣料品店に続き、経営していた飲食店も辞めてしまった。

山田さん自身は、「2019年ごろから始まった」と言い、介護疲れが原因だと思い込んでいるようだが、筆者は取材をしていて、母親から目が離せなくなってきた2016年ごろから、すでに山田さんの体調不良は始まっていたように感じる。

「不眠は2016年以降から。2019年ごろからは少しずつ体重が減り始め、2020年には一気に体調が悪くなりました。今考えると、グループホームに入所させてからの方が、母に対する懺悔の気持ちからか、精神的にきつくなりました。体力的には楽になったはずなのですが、グループホーム入所後の気持ちの落ち込みや憂鬱(ゆううつ)な状況が、私に病魔を呼び込んだのではないかと思います」

■MRIの結果は、前立腺がんステージ4だった

2021年5月。腰、肩、肩甲骨の痛みがひどいため、山田さんは3カ月ほど寝込んでしまう。ようやく整形外科を受診し、MRIを受けたところ、すぐに総合病院への紹介状を用意された。2日後、検査結果を聞きに行くと、前立腺がんのステージ4であることが告げられた。母親が息子を息子とわからなくなるショッキングな出来事から半年、さらなる衝撃に直面したことになる。

「がん細胞の転移のせいか、2020年ごろからリンパ経路にコリや痛みが出始め、以前からあった腰痛もひどくなり、夜は痛みや母への罪悪感で眠れず、体重がどんどん減り、1年で10キロくらいは減ったと思います」

山田さんはずっと、年に一度の健康診断は受けていた。それに加え、糖尿病があったため、2カ月に一度は病院を受診していた。前立腺がん検診も、1年に一度か隔年で受けていた。2018年に受けた前立腺がん検診で、前立腺がんの腫瘍マーカーの値が少し高めだったが、生体検査するにはもう少しというレベルだった。

「生体検査は嫌な検査だったこともあり、医師からもやんわり勧められましたが、なんとなく引き延ばしにしていて、その間に悪化したようでした……。私が消極的だったことが早期発見につながらなかった原因だと思います」

前立腺がんの画像診断
写真=iStock.com/jamesbenet
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jamesbenet

一説には、睡眠時間が6時間以下の人は、7時間以上の人と比べて、がんの発症リスクが40%増加するともいわれている。もしかしたら、母親の介護のために続いた睡眠不足が、がんの進行を早めたのかもしれない。

2021年12月。治療の合間に母親の面会に行った。年末にして、この年初めての面会だった。

約1年半ぶりに会った母親は、やはり山田さんのことを分からず、「あっちは私の息子だけど、この人は誰だえ?」とそばにいる職員にたずねた。

遠く離れたガラス越しの面会に加えて、山田さんは10キロ以上体重が落ちていた。そのせいだろうか。母親は、山田さんと妻の傍らに立っている男性職員を自分の息子だと言った。

「あっちにいるのが、お腹を痛めて産んだ息子さん。こっちの人は、息子さんの奥さんですよ」

母親のそばにいる職員が訂正する声が聞こえる。

「末期がんだと告知されて、5年後の生存率62%とか言われて、実の母親からは『この人』呼ばわりされ……。いったい、『自分の老後は何だったんだろう?』と思いました」

山田さんが前立腺がんのステージ4だと聞いた妻は、ショックでしばらく憔悴(しょうすい)しきっていた。しかし、放射線治療とホルモン療法が効き、みるみる体調が良くなってくると、前向きに過ごせるようになった。

二十数年前に実家を出て、それぞれ家庭を持っている息子たちも、知らされたときはかなり落ち込んだ様子だったが、「治療に専念してくれ」と仕送りを始めてくれた。無職になり、医療費の自己負担額が国保の限度額上限に達している山田さんは心から感謝した。

「ただ兄は、『お前がいなくなったら、これから亡くなる母の供養やお寺とのやりとり、実家の処分などをどうしよう』と言い、急に不安になったようでした……」

■コロナ禍の死

2022年8月。約8カ月ぶりに母親に会いに行ったが、山田さんはもはや完全に他人だった。

「母がかわいそうで、3日くらい沈んでおりましたが、もう自分にできることは何もなく、懺悔の暗い気持ちを心の奥に押し込んでいるような状態でした。私はコロナを言い訳に、母を見棄てていました。そして、明るく病気と向き合って生きていました」

山田さんは、自虐的にそう言う一方で、相変わらず不眠に悩まされていた。

「母を施設に入れるまでの数年間を思い出すたび、懐かしく、母を愛おしく思うのですが、無理やり入所させて今があるのだと思うと、思い出さないようにしているのですが、思い出してしまいます。だから、眠れないのです」

母親は93歳になった。

山田さんは友人知人と飲みに行き、彼らがすでに両親をこの数年で見送っていることを耳にした。

9月下旬。施設から、「もう3日ほど、食べることができなくなっています」と連絡があった。その数日後、「相変わらずで……水も飲み込めないようです。会いに来てあげてください」と連絡があった。

スマホを確認する男性の手元
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

妻と面会に行くと、母親は車椅子に座っていた。ただそこに座り、黙ったまま、目を閉じたり開いたりしているだけ。何を話しかけても反応はなく、ただマスクの向こうで弱々しい息遣いが聞こえるだけ。

通い介護していた頃、母親が「わたしが死ぬときはこの歌で送ってくれや!」と言っていた曲を2回ほど流したが、反応はない。やがて、妻がボロボロ泣き出した。

「妻に泣かれて、『泣けばいいというものではない』と冷淡に思っている自分がいました。私は妻に遠慮して、100%の介護はできませんでした。親孝行のリミッターをかけてしまっていたのです。それでも妻は、母の介護について、よくやってくれたと思います。母を旅行に連れて行くことに賛成して、母の2人の姉妹も連れて旅行も同行してくれて、年寄3人と一緒にお風呂にも入ってくれました。非の打ちどころがない妻であり、嫁だったのではないでしょうか。

ただ、母がまだグループホームに入る前、私は妻への遠慮がありました。妻にしてみれば、『そこまでしなくて良いのでは?』と思うことも多々あり、それは私の健康面を思ってのことだとは承知していましたが、私からすると、『少し冷たいな』と思うこともありました。けれどそれは仕方ありません。妻にしてみれば姑ですから、肉親ではないですし……」

その2日後、朝、スマホの音で目が覚めた。施設から電話だった。「すぐ来てほしい」と言う。山田さんは察した。

急いで着替えていると、またスマホが鳴った。どうやら間に合わなかったようだ。職員によると、少し手を動かしたくらいで、苦しまずに逝ったという。駆けつけた山田さんが受け取った死亡診断書には、「老衰」と書かれていた。

■懺悔の気持ち

現在山田さんは、徐々にホルモン療法の治療が限界になり、薬が効かなくなってきている。腫瘍マーカーも上昇中で、医師は抗がん剤治療を勧めている。

「介護にやりがいや喜びがあるとしたら、“母との絆は強くなった”ということだと思います。はっきり言って、介護はつらいことばかりです。やらなくて良い立場に自分を置けなかったことを反省しているくらいですから。でも、母のうれしそうな顔を見れたときには私もうれしかった。それくらいですかね……。きょうだいがいるのでしたら、絶対に独りで介護を引き受けてはいけないと思います」

兄は施設に一度も訪れることはなく、山田さんがいくら勧めても、母親と会うことはしなかった。もちろん葬儀には出たが、亡くなったあと、施設に駆けつけることもなかった。

「私は、兄はお金を出すことで、責任を果たしたと思っているのだと解釈しています」

驚くほどさっぱりした兄と比べ、山田さんはいまだに母親への懺悔の気持ちに苦しんでいる。

「母を口汚く罵ってしまった後は、どうしようもなく悲しくなりました。トイレや自分のベッドで、蚊がなくような声で泣いている母。私は何度も、死のうと思いました。母が悪いのではなく、認知症が悪いのに、泣くほど母をいじめ抜いている自分をどうして許せるでしょうか……」

しかし、そんなとき、山田さんのつらい気持ちを和らげてくれたのは、母親自身だった。

「母は数時間もすると、誰に何を言われたか、どんな状況で言われたかを忘れてしまうんですね。だから、『どうしたんだよ、元気ねえじゃ? 元気出さなきゃだめだよ』とか、慰めてくれるんです。で、私がしたことを謝ると『え? そんなことした?』と驚かれて、すぐに次の事件が起きるので、とりあえず、落ち込みも和らぐんです。それでも、私が母にやってしまったことや、あのトイレの泣き声は、私の心から消えることはありません。一生、私が死ぬまでつらい思いは残ると思います。なので残念ながら、10年ほど介護を経験しましたが、介護のつらさを乗り越える方法も工夫も、私にはわかりません」

もしかしたら山田さんにとって、いつしか母親の介護をすることが生きがいになっていたのかもしれない。その生きがいを失って、今は胸の中にぽっかりと穴が空いたようになっているのではないか。

「母が亡くなって、重い荷物をおろしたようで、でも、胸の奥がいつもモヤモヤし続けています。なるべく、考えないようにしていますが、自分を振り返って、結局人間なんて、こんなに冷たいんだと思ったりしています」

そして自分を責め続けるあまり、きちんと母親の死を受け止められていないのではないか。

気持ちや感じていることを表に出せず、心にフタをして抑え込んでしまった状態を、英語で「グリーフ(grief)」と言い、日本では主に「悲嘆」と訳されている。

大切な人との死別を経験すると、人は喪失感に苛まれ、不安定な「グリーフ」の状態になる。グリーフを適切にケアしないと、不眠や記憶障害、情緒不安定、自殺企図などを引き起こすケースが少なくない。山田さんはこの「グリーフ」の状態を、適切にケアできていないのではないか。

また、山田さんの胸の奥がモヤモヤし続けているのは、おそらく「納得のプロセス」ができていなかったからだろう。

筆者はこれまで、50人以上の介護当事者に話を聞いてきたが、認知症を患った家族を介護している人の多くが在宅では限界を迎える。そして、認知症を患った人のほとんどが施設に入り、必ず「帰りたい」と口にする。

レースのカーテンを握りしめている、浴衣着用の女性の手元
写真=iStock.com/liebre
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/liebre

筆者は、施設に入所中の認知症患者の「帰りたい」という言葉の多くは、認知症という病気が言わせているのではないかと考えている。

なぜなら、山田さんの母親もそうだが、認知症になる前や病状が進む前の多くの家族は、“自分の介護のせいで、大切な家族を苦しめたくない”と思っているからだ。山田さんの母親も、まだそこまで症状が重くなかった頃は、「介護の苦労をかけたくない」「最後はホームに入所したい」と言っていた。しかし、認知症の症状が重くなるにつれ、自分本位になり、口癖のように「帰りたい」と言い、人によっては暴れたり、脱走したりするようになってしまう。

また、山田さんの場合、妻に遠慮して、母親の介護にリミッターをかけてしまったことも、「納得のプロセス」がうまくいかなかった理由の一つだろう。自分が思う限界まで介護ができていれば、現在に至るまで胸の奥がモヤモヤし続けていることもなかったかもしれない。

しかし、自分の健康を失ってまで、母親を介護するのは正気の沙汰ではない。山田さんが健康を失えば、母親はどうなるのか。当然伴侶である妻にもそのしわ寄せは行く。その先の息子たちにも及ぶ可能性もある。そこまで考えて介護に挑んでいたなら、とっくに納得できるレベルは超えていたのではないか。

現在も山田さんは、母親への懺悔の気持ちに苛まれ、不眠が続いていると言う。

山田さんはまず、適切な「グリーフ」のケア行うべきだろう。1人でできない場合は、グリーフケアの専門機関に相談するのも良い。心療内科でも良いかもしれない。母親を失った悲嘆を適切にケアすることができれば、胸のモヤモヤはずいぶん晴れるに違いない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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