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「100点とるためにがんばる!」そう意気込む小2娘に慶應大教授の父親がかけた"意外すぎる言葉"

プレジデントオンライン / 2023年8月6日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

「テストの目標を満点の100点にしなくてもいい」。慶應義塾大学言語文化研究所の教授・川原繁人さんはそう考えている。社会に蔓延する100点至上主義への4つの違和感と、「“30点でOK”の精神がかえっていい結果を呼ぶ」と考えるワケとは――。

※本稿は、川原繁人『なぜ、おかしの名前はなぜパピプペポが多いのか? 言語学者、小学生の質問に本気で答える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

■私が娘に「100点なんて目指さなくていい」と言った理由

対談の最後に出てきた話題ですが、この点についての私の考えを膨らませて本書の締めとしたいと思います。

まず、私が娘に「100点なんて目指さなくていい」と言ったのは実話で、娘は当時小学校2年生でした。年度末の漢字テストで90点以下は再テスト、というような場面だったと思います。

「100点とるためにがんばる!」と言った娘のことばに思わず反応してしまったのです。改めて考え直してみますと、私の発言の背後には、最近感じている複数の問題意識がありました。

まず1つ目は、これは授業で小学生たちに強調した点でもあり(↓6時間目)、対談で橋爪先生がおっしゃっていたことでもあります。私たち人間が今、本当に考えなければならないのは、正答がまだ見つかっていない問題、それに、そもそも正しい答えが一つに定まらない問題です。

研究者にとってはそのような問題について考えることこそが仕事ですし、一般の人たちにとっては現代社会が向き合っている環境問題などがよい例だと思います。

にもかかわらず、学校教育では答えがある問題に対してその正答を見つけることが重視されているという違和感でした。

高校までそのような教育がなされているからでしょうか。はたまた点数を取るということが最大の目的になっている大学受験の弊害でしょうか。大学で「答えがない問題を考えてみましょう」と言うと、とまどう学生がいる印象を受けるのです。

ここで私と娘の会話に話を戻しますと、100点が取れる問題というのは、他人が用意した答えがすでにある問題です。

「勉強=正解にたどりつく=点数が大事」という誤解を子どもの頃からすり込んでしまうのはよくないと思っていたことが例の発言の背後にあったのだと思います。

■「今日頑張って明日成果が出る」発想すり込みたくない

2つ目の問題意識は、今の世の中、なんでもかんでも短期的な成果が求められているような気がするのです。

何かをやったら、目に見える成果がすぐに出てこなければ評価されない。これは研究の文脈でも大いにあてはまることで、例えば研究費をもらった場合、その成果を毎年、報告する義務が課されます。

しかし、そもそも1年で成果を出すことは難しいですし、そのような短期的な成果を追い求めていると、どうしても小粒の研究にまとまってしまい、大きな仕事ができない、という負の側面もあります。

一般企業で働いたことのない私が推測でものを言うのもおこがましいですが、会社でも同じように短期的に目に見える成果が求められることが多いのでは、と想像がつきます。

また、SNSの普及もこの風潮に拍車をかけているかもしれません。例えば、ツイッターに何かを投稿したらすぐにイイネやリツイートがつく。私たちの脳は知らず知らずに、そうした短期的な報酬を期待するようになってしまっているのではないか。

しかし、長期的にじっくりと腰を据えないと出せない成果もあるわけで、我々にとってはこちらの成果のほうが大事なのです。

私自身の例でいえば、最近は短めのエッセイの執筆を頼まれることが増えました。それはそれでありがたいのですが、やはり書籍執筆という大きな仕事にじっくり取り組む時間が削られてしまうため、仕事を選ばないといけないなぁと実感しております。

また、2017年に出版した本について、5年後の2022年にツイッターで俵万智さんに声をかけてもらい、その後交流が始まるという驚きのイベントも発生しました。自分の努力が何年後どんな形で花開くかわからないわけですね。

SNSの爆発的な普及で、長期的な努力の大切さや長い目で自分の努力の成果を待つことが忘れられていないか不安です。

国語のテストの問題用紙
写真=iStock.com/laymul
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/laymul

最近では、「コスパ」ということばをいたるところで耳にしますが、少なくとも「勉強に関しての時間的なコスパ」という考え方には、私は賛成できません。

短期間で勉強したものは本当の意味では身につかない、ということを研究者人生の中で痛感しているからです。「一夜漬け」などしても、長期的に考えればまったくの時間の無駄です。

このような理由から、子どもの頃から「今日がんばって、明日成果が出る」という発想を自分の娘にすり込みたくない、という思いがありました。

■いい意味で少し「ちゃらんぽらん」に育ってほしい

3つ目の問題は、「完璧主義」の弊害です。

私は長いこと完璧主義でした。専門的な論文でも一般向けの著作でも自分の書いたものにミスがあることを許せない。人からそういうミスを指摘されると落ち込む、ということを繰り返してきました。

そういう性格だと、書籍を執筆するのに非常に精神を消耗します。原稿を確認する最終段階になって、何かミスを見つけると心臓が止まりそうになります。不安になって、また原稿をもう一度読み直す。そして、それを何度も繰り返す。正直、体にも心にもよくない。そのせいで、他の創作活動に費やせるはずの機会を損失してしまいます。

さらに、どんなに注意深く原稿をチェックしても残念ながらミスは残ります。人間ですから完璧な本などつくれません。とある漫画家さんが「漫画を出すことなんて、間違い探しの本を出すようなもんだ」と発言しているのを聞いて、ずいぶん救われたのを覚えています。

ですから、最近では、あとでミスが見つかっても対処できる方法を探ることにしています(もちろん「できるだけいい本をつくろう」という意識は忘れていません)。このように自分が完璧主義で苦労したことから、娘にはいい意味で少し「ちゃらんぽらん」に育ってほしいと思ったのです。

4つ目の理由は、最近ことに他人のミスに対して不寛容な世の中になっている気がするのです。

「100点で当たり前」という考えを自分にも他人にも押しつけるから、他人が100点でない場合、それを許せない。それで世の中ギスギスしているのではないか。もう少し他人のミスに寛容な世の中になったほうがよいのではないか。

川原繁人『なぜ、おかしの名前はなぜパピプペポが多いのか? 言語学者、小学生の質問に本気で答える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
川原繁人『なぜ、おかしの名前はなぜパピプペポが多いのか? 言語学者、小学生の質問に本気で答える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

ちなみに、「世の中」などという大きな視点で考えなくても、個人個人のレベルでも、他人に100点を求めない利点がありそうです。

というのも、他人のミスを許さず怒り続けると自分の幸福度が下がり、逆に許すと幸福度が上がることは、現代心理学の実験によっても実証されているようですから。

さて、これまで娘の発言に対して私が感じた違和感の理由を論じてきました。

まとめますと、①人間の学びにとって大事なことは、他人がつくった正解を覚えることではない、②短期的な成果を求めすぎると、より大事なものを見失う可能性がある、③完璧主義は、生きづらくなり、④他人のミスも許せなくなる、ということでした。

ただ、だからと言って、私は小学校教育からテストを廃止しろ、などと言っているわけではありません。子どもの時に、正解のある問題に取り組ませることも必要だと思います。算数や国語などの基礎は、正解のない問題について考えるための道具になりますからね。

しかし、正解がある問題に取り組ませるにしても100点を目指させるのはよくないと思うのです。

どういうことか。

■30点でもOKなら緊張も和らいでいい結果が出る

子どもたちが「100点」という理想を掲げたとします。しかし、その結果は、最高でもその理想、実際にはその理想に届かないことがほとんどです。

つまり、子どもの時から「失敗」の連続を味わい続け、「理想を超える」という体験ができません。子どもの時から、そんな失敗の体験を積み重ねれば、失敗する自分を許せなくなってしまうのではないかと心配してしまいます。

おそらく、私自身がそのように育ってしまったと感じているのでしょう。何をするにしても「完璧」を自分に課すようになり、それを達成できないことで自分への自信を失ってしまうのではないか。「自分に厳しい」と言うと美徳のように聞こえますが、自分に厳しくしすぎるあまり、自分を愛せなくなっては本末転倒です。

ありきたりな言い方ですが、人間というものは失敗をするものです。自分の失敗を許せるようにならないと、人生がつらくなります。

また、他人のミスも許せなくなってしまい、人生がさらにつらくなります。そうではなくて、自分の失敗も他人の失敗も許せるような人生のほうが楽しいのではないか、そういう社会のほうがみんな生きやすいのではないか。

それに、100点よりも低い具体的な目標を設定する利点もあるのです。

例えば、80点を目指していれば、その結果として80点を超えることも多くあるでしょう。つまり、「期待以上の成功」という体験を多く味わうことができるわけです。これは子どもたちだけでなく大人にも有効なアドバイスだと思っています。

この思いは、あるプロの歌手の友人に教わったエピソードに強い影響を受けています。彼は舞台に上がる時に「僕の歌は30点です。ごめんなさい」という気持ちでいるそうです。すると、自分の実際のパフォーマンスは30点をどんどん超えていくので、気分がさらに上がっていき、最終的にいい結果を残せる。

30点と採点された算数のテスト用紙
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

逆に100点を目指して舞台に上がると、一つのミスに引きずられ、パフォーマンスは下降していってしまう。

この話には目から鱗でした。私自身のことを思い返してみても、何かをやろうとする時100点を目指そうとするから緊張するのです。30点でいいか、と思って実際に取り組んでみると、緊張も和らいでいい結果が残せる気がしました。

友人が教えてくれたこのアドバイスは、娘たちに限らず、世界中の人とシェアしたい人生のコツだと感じています。

ここで述べたことは、「甘い」と一刀両断されてしまう気もします。

「お受験戦争では一点の差で人生が左右されるのだから、こんなきれい事は実際の教育の現場では通用しない」と言われるかもしれません。

それでも、私は少なくとも自分の娘たちに、他人に出されたすでに答えのある問題に解答することを第一に考え、失敗の連続を味わい続け、人生の楽しい部分を味わえず、自分のミスも他人のミスも許せない人間になってほしくない、と思っているのです。

こんな理由で、私は「100点なんて目指さなくていい」と娘に伝え続けると思います。人生の目標はお受験で成功することではなく、人生を楽しむことにあるのですから。

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川原 繁人(かわはら・しげと)
慶應義塾大学 言語文化研究所教授
1980年東京生まれ。1998年、国際基督教大学入学。2002年、マサチューセッツ大学言語学科大学院入学。2007年、同大学院より博士号取得(言語学)。卒業後、ラトガーズ大学にて教鞭を執りながら、音声研究所を立ち上げる。2013年より慶應義塾大学言語文化研究所に移籍。現在、教授。専門は音声学、音韻論、一般言語学。著作『音とことばのふしぎな世界』(岩波科学ライブラリー)、『「あ」は「い」より大きい!?』(ひつじ書房)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社)他。複数の国際雑誌の編集責任者を歴任。

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(慶應義塾大学 言語文化研究所教授 川原 繁人)

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