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私はね、お父さんが7人おるんよ…結婚は「ラブホテルに行くこと」と語った小5女子の衝撃の生い立ち

プレジデントオンライン / 2023年8月25日 13時15分

アルトリコーダーで腹部を思いっきり殴られた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/borisblik

児童養護施設はどのような役割を果たしているのだろうか。元福岡県警少年育成指導官の堀井智帆さんは「家庭ではろくに食事を与えられなかった少年少女が、児童養護施設で暖かい食事に触れ、その後の人生が変わったケースもある。社会が見捨てずに関わることが重要だ」という――。

※本稿は、堀井智帆『非行少年たちの神様』(青灯社)の一部を再編集したものです。

■アルトリコーダーで腹部を思いっきり殴られた

長い間、この業界で仕事をしていると、不思議な縁で子どもに再会することもあります。

私は、最初に働いていた児童養護施設で、とっても手のかかる小学校5年生の女の子を担当していました。

たぶんその施設の中でも、出来れば担当したくない子ランキング(そんなものはありませんが)ぶっちぎりの第1位だろうと思えるような子でした。

担当発表の時に、私の担当の中にこの子の名前があったときには、1年間大変な年になりそうだと目がくらむ思いでした。

その子のことを、ここでは美和と呼びます。やせ型の、身体の小さい女の子でしたが、気に入らないことがあると暴れます。そこらへんにある物を手当たり次第に投げ飛ばしたり、引きちぎったり、殴ったり壊したりして、私がそれを必死で押さえながら阻止していると、アルトリコーダーで腹部を思いっきり殴られて息ができなくなりました。

■「お父さんが7人おるんよ」

はたまた、暴れないで大人しいと思ったら、逆に自分の部屋や、私の車に何時間も籠城して出てこなくなります。それが4、5時間は平気で続くので、その子にかかりっきりになり、担当している他の子たちからは、「あの子ばっかり」という不満が大噴出です。

みんな自分に関わってほしい子たちばかりですから。

美和の生い立ちがどんなものかというと、彼女は私と出会うまでの間にお父さんが7人いました。

大学を卒業したばかりの私に美和は、「先生何人お父さんおる? 私はね、今までにお父さんが7人おるんよ」と語りかけます。

何番目のお父さんは優しかったけど、何番目のお父さんは暴力をふるう人だったから嫌い、と、こうして話は続いていきます。

■「結婚するっていうのは、まずね、ホテルに行くんよ」

「先生、結婚するって知ってる?」と尋ねられたので、「え、どういうこと?」と尋ねると、彼女は「結婚するっていうのは、まずね、ホテルに行くんよ」と言うんです。

結婚は「ラブホテルに行くこと」と語った小5女子(※写真はイメージです)
写真=iStock.com/Alessandro Torchiani
結婚は「ラブホテルに行くこと」と語った小5女子(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Alessandro Torchiani

話を聞き進めていくと、どうやら、母親が彼氏とラブホテルに行くときに連れて行かれていたらしく、そこでのことを「結婚する」と教えられていたようなのです。

そんな一般常識が通じない話が、その子からはたくさん語られます。

彼女は、お父さんが変わっても全員のことを「お父さん」と呼ばされていたそうです。

みんな大嫌いだったのに、みんなをお父さんと呼ばされた、と。そして兄弟が増えていったのだそうです。父親の違う兄弟ができていくわけですね。

■親の食事を買いに行かされていた

家での暮らしは、このように決して穏やかな暮らしとは言えない状況でしたが、それでも美和は施設にいることをまだ受け入れられていなくて、とにかく母のもとへ、家へ帰りたがっていました。

納得していないものだから、施設を飛び出して、裸足で1時間半くらい走って家に帰ってしまったこともありました。

私たちは夜中じゅう探して、朝になってやっと見つけたと思ったら、自分の家に帰っていたのです。朝の4時とか5時に家から出てきたので、「何しよっと!」と声をかけたら、バツが悪そうに笑って、コンビニにお母さんの朝ご飯を買いに行くところ、と言うのです。

施設から飛び出して裸足で帰って、帰ってきた娘に温かいご飯を食べさせるならまだしも、自分の朝ご飯を買いに行かせるなんてどういうこと! とやるせない気持ちでしたが、それでも親に会いたいのが子の想いです。

結局この子は、暴れたり無断外出したりを繰り返して、施設でも面倒を見きれないということで、家庭引き取りということになりました。

家においておくべきではないから施設に来ているのに、施設が面倒を見きれず、家に帰すのです。私は児童福祉の限界や矛盾を感じ、やりきれない思いで、とても課題の残るケースでした。

■「親からご飯作ってもらったことないやん」

その後も、高校にも行かず、いくつもの紆余曲折がありました。家に帰ってこなくなったり、年齢をごまかして夜の仕事をしたり……。

そんなこんなのうちに、17歳の時に付き合っていた男性との間に子どもができて、母親になりました。

結婚した相手とはうまくいかずに、すぐ離婚してしまったのですが、シングルマザーになって離乳食が始まるくらいの頃に、彼女から電話がかかってきました。

何の用かと耳を傾けると、「堀井さん。私、親からご飯作ってもらったことないやん」と言います。確かに、コンビニに親のご飯を買いに行っていたくらいですから。それは理解できました。

コンビニに親のご飯を買いに行っていた(※写真はイメージです)
写真=iStock.com/Vorawich-Boonseng
コンビニに親のご飯を買いに行っていた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Vorawich-Boonseng

■「子どもにちゃんとあたたかいご飯を食べさせたい」

そして、こう続けます。「施設はあったかいご飯がでてきたやん。今、子どもの離乳食が始まったんやけど、私、あんなふうに子どもにちゃんとあたたかいご飯を食べさせたい。だけど作り方が分からなくて、作っても子どもが全然食べてくれん」と言うのです。

彼女は、施設には2年間いました。あんなに嫌がっていた施設だけど、温かいご飯を食べた経験がこの子の中にしっかり息づいていたんだということが分かり、嬉しくなりました。

ただし、その頃の施設は調理師さんが調理室で作ったものが出てきていたので、作るところは見ていません(今は、この点も改善されていると聞いています)。

とにかく美和は、料理を作るところも見たことがないし、人と一緒に作った経験も浅かったのです。でも子どもが生まれてご飯が必要になり、自分は自分のお母さんみたいにはなりたくない、子どもには自分で作った料理を食べさせたいと思ったのだそうです。

■「うちの子、味噌汁大好きやん!」

その時は私も、ちょうど下の子を産んで家で育児休暇中でした。それでちょうどいい、私にも時間があったから、3日間くらいうちに泊まりにおいでと言いました。

3日間、朝昼晩の3回の食事があれば、とりあえず簡単なものは作れるようになるはずだから。一緒に作って食べようと。

すると「わー、行く」と言って早速うちに泊まりに来ました。

我が家では、一緒にご飯を研いで炊いて、お出汁をとって味噌汁を作りました。

1日目、子どもの分のお味噌汁をどうするかと訊いたら、うちの子は味噌汁を飲まないからいらないと言うので、でもまあ一応あげてみようかと言って、子どもの分も注いで食卓に並べました。

みんなで「いただきます」と手を合わせて、子どもにお味噌汁をひと口飲ませたら、すごい勢いで一気に飲み干しました。

するとそれを見た美和は、「えー、うちの子、味噌汁大好きやん!」と嬉しそうに驚いています。

「うちの子、味噌汁大好きやん!」(※写真はイメージです)
写真=iStock.com/cosa4
「うちの子、味噌汁大好きやん!」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/cosa4

■食べられるものを出してなかった

今までどうしていたのか訊くと、ご飯はコンビニで売っているレンジで温めるパックのご飯を鍋で茹でて、味噌汁はインスタントの、カップのものを薄めに飲ませていたらしいのです。そういうのはもう、全然飲まないし食べなかった。

ちゃんと研いで炊いたご飯もぱくぱく食べて、親ながらびっくりして「ちゃんと作ったのだったら食べる!」と喜んでいました。

子どもは体重が少ないということで保健師指導になっていて、ずっと保健師訪問で身体を大きく、体重を増やすようにという指導を受けていたそうなのです。

「うちの子食べんからね」と言ってやり過ごしていたそうなのですが、それは食べないんじゃなくて、食べられるものを出してなかったのだ、ということに気づいた3日間でした。

3日間泊って、ご飯を炊く、お味噌汁を作る、魚を焼く、ちょっとした煮物を作る……くらいの基本的なことをひと通り一緒にやってみて、帰りには一緒に作ったハンバーグをお土産に持たせて2人は帰っていきました。

■高校進学のお金を母親がパチンコで使ってしまった

ついでに、この3日間の間に、私は長年気になっていたことを尋ねました。高校に行かなかった本当の理由です。あんなに頑張って受験して、合格して喜んでいたのに、急に行かないと言い出したことがずっと腑に落ちないままでした。

すると、「あの時、絶対怒られると思って言わなかったけど、少年院から出てきてから高校の制服を買うまでの一週間の間で、お母さんから私の高校進学のお金を全部パチンコで使われちゃった」と言うのです。それで高校に払うお金がなくなって、行けなくなった。

でもその時は、お母さんが使ってしまったからとは言えなかった。家にいたかったから。私は子どもの大事なお金をパチンコで使い込むとか、本当に信じられない! と言ったのですが、でも「そういう人だからね」と苦笑いしていました。いくつになっても、子は親に寛容です。

■「笑い飛ばして聞いてくれる人」が大事

彼女が、赤ちゃんが生まれた時に、あったかいご飯を食べさせてあげたいと思ってくれたということは、社会の財産です。社会が見捨てずに関わることで生まれたものだと思っています。

美和は今はもう30を過ぎていますが、今でも子どもたちのことで何かあると時々連絡をしてきます。そんな時にご飯をちゃんと作っているか聞くと、もううちに3日間作りに来たことなんてすっかり忘れて、「作ってるし! なんて失礼な」と言われるんです。

堀井智帆『非行少年たちの神様』(青灯社)
堀井智帆『非行少年たちの神様』(青灯社)

まあ、作ってくれてさえいればいいのですが。

子育ては、本当に一生懸命やっています。今でも時々「子どもが言うこと聞かーん! 助けて」とパニックになって電話がきたりします。

私は、「いやいや、誰の子かよく考えてごらん」と答えます。小5で児相に一時保護された時、ガラス窓を割って破って逃げて、遮断機の下りた踏切に飛び込んだのは誰ですか? そのあんたの子どもが言うことを聞かないだなんて、と笑い飛ばすと、「またそんな、古い話を引っ張り出して!」と大笑いになり、笑っているうちに何だか少し落ち着くのです。

笑い飛ばして聞いてくれる人って、大事なのです。

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堀井 智帆(ほりい・ちほ)
元福岡県警少年育成指導官
1977年、横浜市に生まれる。西南女学院大学福祉学科卒業。児童養護施設勤務をへて、福岡県警察本部北九州少年サポートセンター勤務。少年非行の根っこに寄り添い、その背後にある虐待の問題に取りくむ。2020年10月、NHKテレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演、大きな反響をよぶ。2022年、同センターを退職。現在はフリーの立場で子ども相談、講演活動などを行う。著書に『非行少年たちの神様』(青灯社)。

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(元福岡県警少年育成指導官 堀井 智帆)

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