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「義祖母と義母のW便いじりの苦痛後始末」義実家軍団と対立30年、ワンオペ介護する嫁の堪忍袋の緒が切れる日

プレジデントオンライン / 2023年10月14日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

一度は義実家を出てアパート暮らしをしていた5人家族だが、再び義実家で暮らすことに。すると、長男嫁である看護師の女性は3人の育児に加え、認知症になった義祖母や義母、がんに罹患した義父などの介護を一手に引き受けざるをえなくなった。味方だったはずの夫も最近はモラハラが目にあまるようになり……。女性はいつ爆発してもおかしくない臨界点に達している――。
【前編のあらすじ】中国地方在住の七瀬信子さん(仮名・50代・既婚)は19歳の頃、共通の友達の集まりで5歳上の金融系企業に勤める男性と知り合い、翌年結婚。当時60代後半の義祖父母、40代後半の義両親の義家族と完全同居になった。3人の子を産み育てていたが、特に義祖父ととことん意見が合わず、陰で嫌味を散々言われた。狭い部屋、プライバシーゼロの劣悪な環境で堪忍袋の緒が切れた七瀬さんは、子どもたちを連れて実家に帰った――。

■義実家に戻る

七瀬信子さん(仮名・当時27歳)が義実家を出てから8年後。子どもたちが大きくなり、アパートが手狭になったため、新しく家を建てようかと夫婦で考え始めていた。その頃、七瀬さんとずっと関係が悪かった義祖父が亡くなったため、義祖母と義両親が、七瀬さんが結婚当初に同居していた義実家に「戻ってきてほしい」と言い出した。七瀬さん35歳、長男14歳、長女13歳、次男11歳になっていた。

「私は絶対に戻りたくなかったのですが、5つ上の夫には、『長男だからいつかは戻らないと』『長男だから親の介護もしないといけない。近くにいたほうがいい』。義祖父のあとを継いだ義父には『土地はやるから』と言われ、渋々でした。義祖父が亡くなってから、義祖母が義母から嫌味を言われていたので、かわいそうだと思ったのもあります。結局は諦めですかね……」

ただ、元の義実家に戻ることは子どもたちも渋った。自分たちの部屋が欲しかったが、そのスペースはなかったからだ。そこで、義実家を建て替えることを条件に戻ることにした。

「夫からは、『土地代はタダなんだから、その分、立派な二世帯を作れば良いじゃないか』と言われましたが、役所で聞いたところ、義実家のあるエリアは市街化調整区域で手続きが大変だと言われ、二世帯にすることができませんでした。頑張ればできたのに、あの当時忙しくてなかなか調べることができませんでした。後悔しています」

それでも、キッチンは1つだが風呂とトイレは2つ作った。義両親には、「義弟、義妹の部屋も作れ!」と言われたが、七瀬さんは、「結婚して出て行ってるのだからいりません」ときっぱりと断った。

1階は、LDKと2間続きの和室。1部屋は義祖母の部屋。もう1部屋は義両親の部屋。

2階は、七瀬さん家族専用のリビングと夫婦の寝室、そして子ども部屋を3部屋作った。

■衰える義祖母と脳梗塞の義母

七瀬さんが義実家に戻った頃、義祖母は80代。長い間、家の中のことはすべてやっていた義祖母だったが、さすがに以前のようには動けなくなってきており、料理以外はやらなくなっていた。一方、家事下手の義母は洗濯くらいしかできなかったため、七瀬さんは、夜勤もある看護師の仕事を続けながら、料理以外の家事を担った。

「義祖母は貯金が苦手だったようですが、それでも自分のお金は孫たちのために使ってくれるような人でした。義祖父が亡くなり、義祖母から義母に家の財布が渡ったときに、義母から執拗(しつよう)に『貯金が少ない』と責められていました。義母は些細なことで義祖母に文句を言い、義祖母は黙って聞いていました」

同居から3年ほど経ったある日。「義父と農作業をしていた義母の呂律が突然回らなくなった!」と、義祖母から仕事中の七瀬さんに連絡が入った。取り急ぎ義父が病院へ連れて行き、すぐに入院が決まる。

医師から脳梗塞と診断され、「1晩家族の付き添いが必要」と言われたが、義祖母では難しく、義父は「俺はできない」と拒否。夫も七瀬さん(看護師)も仕事中だ。結局、「素人がやるよりいいだろう」という義父の鶴の一声で七瀬さんが付き添うことになり、仕事の後、七瀬さんはしぶしぶ義母の病院へ向かった。

義母は点滴治療のため1カ月ほど入院。その後、リハビリのために通院をしたが、そのときは義父が付き添った。

「義母はリハビリに通っていてもなぜかADL(日常生活動作)が落ちてきていて、後遺症なのか、滑舌が悪くなりました」

義母は、大好きだった農作業が以前のようにはできなくなった。唯一できる家事だった洗濯も、調子がいいときは椅子に座りながら干すことができたが、調子が悪いと洗濯機のボタンを押すくらいしかできなくなってしまった。

ドラム型洗濯機のボタンを押す手元
写真=iStock.com/SolStock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SolStock

■特別養子縁組

夫は45歳で金融系の会社を辞め、義実家で代々受け継いできた農業に専念し始めた。

長女は23歳で結婚し、家を出た。次男は関東の大学に進学し、一人暮らしを始めた。

子どもたちが巣立ち始めた頃、七瀬さんは特別養子縁組に興味津々だった。

「なぜ実子がいて……とよく言われますが、子どもたちが乳児や幼児の頃に、義祖父母がひ孫かわいさに子どもたちを自分たちの部屋へ連れていったため、私は自分で子育てをしたという記憶がほとんどありません。なので特別養子縁組という制度があると知った時、もう一度イチから自分1人で子育てをしてみたいと思いました」

相談すると、夫も子どもたちも賛成したが、義祖母や義両親は猛反対だった。決意が固かった七瀬さんは、「誰に何と言われようと私の好きにします。嫌ならこの家から出ていきます」と毅然(きぜん)として言い放ち、3人を黙らせた。

生後間もない男の子を迎えると、義祖母も義父もかわいがってくれたが、子ども嫌いの義母だけは無関心だった。

「子育てと家事と仕事の両立は大変でしたが、生きる希望ができ、とにかくかわいくてかわいくて、全く苦ではありませんでした。血の繋がりは関係なく、最高に一番かわいかったです」

ところが、その大変さは想像以上に増していった。

■孤軍奮闘の果てに

2015年。七瀬さんが40代後半、義両親は70代、義祖母は90代になった。

義母は脳梗塞後、少しずつ動けなくなり、血管性認知症の症状も出始めていた。料理をしてくれていた義祖母にも認知症の兆候が現れ始め、検査を受けたところ、アルツハイマー型認知症と診断。まだ大抵のことは自分でできるが、入浴するときは不安なため、七瀬さんの見守りが必要だった。

MRI画像の一点をシャープペンで指して説明する医師の手元
写真=iStock.com/haydenbird
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/haydenbird

同じ年、介護認定を受けたところ、義祖母は要介護2、義母は要支援2。仕事をしながら1人で2人を介護することが難しいと感じていた七瀬さんは、義祖母に施設入所を促したが、断固拒否。孤軍奮闘の日々が続いた。

看護師の管理職をしていた七瀬さんは、キャリアを手放したくなかった。朝4時に起きて夕食の下ごしらえを済ませ、夜は帰宅後に朝食の下ごしらえをした。夜勤もあるため寝る時間はほとんどなかった。夜勤明けで帰宅した後、ちょうど繁忙期だった夫に農作業を手伝ってほしいと言われて、一睡もせずに作業したこともあった。

養子は保育園に預けていたが、夜勤があるときは夫が世話してくれていた。

「夫も目いっぱい働いていたのは見ていてわかるので、断れませんでした。三男(養子)も小さいながらも私を手伝おうとしてくれていました」

しかし、長くは保たなかった。義祖母が料理をできなくなってから1年ほど経った頃、ついに七瀬さんは退職を決意。

「仕事と介護、どちらかをやめないと体を壊すと思いました。誰にも頼れない状況での義祖母と義母のW介護は想像以上に大変で、たぶん正常な判断ができなくなっていたのだと思います……」

七瀬さんは50歳だった。パートになることも考えたが、管理職だった人間がパートになると、自分の上に立った者がやりにくいのではないかと考え、辞職を決めた。退職後、七瀬さんは長年夢見ていた海外旅行を計画する。だが、義祖母や義両親をどうするかが問題だった。

認知症はあるが、まだらぼけ状態の義祖母はショートステイを嫌がる。悩んだ末に七瀬さんは、「旅行の間だけ預かってほしい」と義叔母(義父の妹、義祖母の娘)に相談するが、けんもほろろに拒否。結局ショートステイを利用することに。

最も手がかかる義母は初めからショートに預けることにし、元気だが一切家事ができない義父のことは義妹に相談したところ、「これが最後だからね!」と言って嫌々預かってくれた。七瀬さんは、夫と唯一独身の長男と養子の4人で海外旅行に行くことができた。

■義祖母の変化

帰国後、七瀬さんの帰りを待っていたかのように義祖母が寝たきりになった。

「オムツ交換から食事まで、全部1人でやりました。ベッドから落ちたり、便いじりしたりと大変でした。一方、義母は脳梗塞の後遺症がなかなか良くならず、ケアマネさんの勧めでデイサービスに行くようになりました。プライドの高い義母はデイサービスに行っているとは絶対に言わずに、『リハビリに行っている』と言います」

義祖母は時々頭がクリアになる時があるが、ほとんどの時間を寝て過ごしていた。しかし何かの拍子に突然起き上がってベッドから転げ落ちていたり、便いじりをして立ち歩き、その手で家具や壁を触ることがあり、七瀬さんはほとほとまいっていた。

「やろうとしてやったわけではないし、怒られてもなぜ怒られているかわからないのは十分理解はできているのですが、後始末を誰にも手伝ってもらえないということに腹が立って『いい加減にして!』と怒ってしまったことがあります。病院での仕事中には一度も口にしたことのない言葉ですが、家ではダメですね……」

便いじりは、義母もした。1階のトイレは、一日に何度も掃除しなければならなかった。

たった一人で農家を継いだ夫は頼れず、義叔母も義弟も義妹も知らぬ存ぜぬを貫いている。

退職から1年ほど経った頃、限界を迎えた七瀬さんは、義祖母に頭を下げた。

「義母にも手がかかるようになって、私はもう限界です。施設に行ってもらえませんか?」

すると義祖母はうなずいて言った。「今までいっぱい世話になったな。ありがとう。施設に行くよ」。義祖母に「ありがとう」と言われて、七瀬さんは初めて報われた気がした。

■義父が肺がんに

ヘビースモーカーだった義父は、COPD(慢性閉塞性肺疾患)のために毎月通院していた。

ところが2022年の6月、肺がんが見つかり余命1年と宣告を受ける。

すぐに手術を受け、片側の病巣は摘出できたが、反対側の肺にも転移していた。医師からは抗がん剤を勧められたが、義父は「やらない」と答えた。

慢性呼吸不全で補助換気療法を受けているシニア
写真=iStock.com/Urban78
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Urban78

しばらくは在宅で過ごしていたが、半年ほど経った頃に肝臓への転移が判明。体力も食欲も低下し倦怠(けんたい)感があったため、七瀬さんは入院を希望したが、医師が「在宅でみるように」と言う。

「がんの末期患者は手がかかる割に収入が少ないので、医師はそう言ったのだと思いますが、義父も家がいいと言ってなかなか病院に行こうとはしませんでした」

看護師を退職した後も七瀬さんは朝4〜5時に起きて家事や義両親の朝食の支度をした。

6時30分に養子を起こして義両親と一緒に朝食。7時には後片付けをしながら義母に薬を飲ませ、歯磨きと入れ歯洗浄。

火、木曜日は義母のデイサービスだ。義祖母がいた頃は、月、水、金曜は義祖母のデイサービスだった。デイサービスの日にちをずらしたのは、介護の負担が重ならないようにするためだった。

デイサービスの準備をして送り出した後、1階と2階のトイレ掃除。8時には養子が小学校に向かう。

洗濯は、義母が調子良い時は義母が干し、できない時は七瀬さんが干した。11時頃には昼食の準備。時間があれば夫の農作業の手伝いをした。12時には義両親と夫と昼食。義両親には15時ごろまで午睡させ、その間に1階と2階の風呂掃除と買い物をし、時間があればまた夫の農作業を手伝う。

15時ごろ、洗濯物を畳んでいると、養子が帰宅。16時過ぎには夕食の準備を始め、18時ごろ、義両親、夫、養子と夕食。片付け後は義母に夜の洗面、オムツ交換をして寝かせる。

「日によって義母の病院受診、訪看さんやケアマネさんとの話し合い、義叔母が来ればその対応などもあり、なかなか時間がありませんでした」

七瀬さんはがんになった義父のために、何かあった時の病院探しをしておいた。宣告からちょうど1年経った今年の6月。義父は突然「病院に連れて行ってくれ」と言い、すぐに入院。9日後に亡くなった。80代半ばだった。

「入院した義父の面会に行っていたのは私一人でした。義母なんて、(退院後に自宅での食事の際に)食べられなくなってつらそうな義父の前で、何度もご飯をおかわりして見せて、まるですでに“いないもの”扱いでした。そのせいか、私が面会に行くと、『会いたかった、会いたかった』と言われましたが、感謝や謝罪の言葉は最後までありませんでした……」

■嫁に甘える義家族たち

義父の遺産はほとんどなかった。最終的には義弟、義妹は相続を放棄した。

「それでも夫は、『土地をもらったんだから義弟妹に100万円くらいずつ渡さないといけない』と言うので、『それなら義母の介護を手伝ってよ!』と思いました。義両親は、義妹がマンションを買うときにほとんど出してあげているのに……。私には関係のない話なので、夫がどうするつもりかはわかりません。特別寄与料制度(※)については知っていました。夫に話をしてみましたが無理でした。もしも特別寄与料をもらったら、後々義家族たちから文句を言われるのが目に見えています」

※相続人ではない被相続人の親族が被相続人の療養看護などの貢献をした場合、その後見に応じた額の金銭(特別寄与料)の支払を請求できる制度。相続法の改正によって2019年7月に導入。

現在要介護3になった義母は、時々七瀬さんの悪口を義妹に吹き込んでいるらしく、七瀬さんはたびたび義妹から電話で責められていた。魚や肉が嫌いな義母のために、七瀬さんはタンパク質を摂らせようと、卵や大豆製品を使った料理を工夫して出していた。それなのに先月義妹から、「自分たちばかりおいしいもの食べてないで、おばあちゃんにも食べさせてあげなさいよ。かわいそうでしょう」と言われた。

おしゃれなオープンサンド
写真=iStock.com/MmeEmil
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MmeEmil

七瀬さんは義母が食べられるもので工夫していることを話したが、義妹は全く信じてくれない。カチンと来た七瀬さんは、「じゃあ義妹さんが何かおいしいものを作って送ってください。お義母さんも嫁より娘の料理を食べたいでしょうから。あっ、それよりお義母さんをそちらに連れて行ったほうがいいか!」と言ったところ、義妹は激怒。

そこで七瀬さんは、「親をみるのは実子の責任ですよね。私には相続権はないのですよ」と言うと、「えっ? お金が欲しいの? 浅ましいね。お金をもらわないと面倒みないの? ひどいねー! おばあちゃんかわいそう。考えが最低だね」と言った。七瀬さんは、「自分は義父からほとんどのお金を奪ったくせに。よく言うわと思います」と憤慨する。

筆者はこれまで100人近くの介護者を取材してきたが、七瀬さんの介護能力は高いと感じる。たった1人で義祖母と義両親、3人の介護ができたのは、ひとえに七瀬さんが優秀だからだろう。それなのに、義家族たちは誰ひとりとしてねぎらいも感謝もない。

おそらく看護師をしていた頃は、その能力が評価されて管理職にまで上り詰めたのだろう。

「正直何度も離婚して三男(養子)と暮らしたほうが楽だと思いました。でも三男(養子、現在11歳)が『お父さんも一緒がいい』と言うので、今は我慢しています」

これまで義実家の人々とさまざまな衝突がありながらも、献身的な姿勢を崩さなかった七瀬さんだが、最近、あろうことか信頼していた夫までも“敵”になりはじめている。“モラハラ夫”化が進んでいるというのだ。

先日、七瀬さんが養子の習い事のために午前中不在にし、13時半ごろ帰ってきたところ、義母と夫がそろって「昼ご飯食べてない」と、早く食事を作れと言わんばかり。七瀬さんはあらかじめ夫に、「義母のお昼も頼むね。冷蔵庫にあるもので何か作って食べてね」と伝えておいたはずだった。

「長女と次男が家にいた頃は、2人とも家事を手伝ってくれました。唯一残っている長男は、現在も時間があるときは手伝ってくれます。でも夫は知らんぷり。私が体調を崩し、病院に行きたいと思っていたことがありましたが、夫に『お前は肝心なときに体調を崩す』と言われ、結局行けませんでした。義父が亡くなってからは義母のわがままが加速しています。正直、義母の介護なんてしたくありません。施設に行ってほしいです」

相談相手はケアマネジャーと長女、そして70代後半の両親だという。長女は「ひどいね」と言って話を聞いてくれるほか、「後少し頑張れば年寄りは死ぬんじゃない?」と励ましてくれる。実家の父親は、「自分も同じように年を取るのだから頑張って見てやれば後悔しないんじゃないか」と言い、母親は「いつでも帰ってきていいよ」と言ってくれている。

「いまだにこんなに古い考えの一族は珍しいと思います。息抜きができる環境だといいのですが、私1人に負担が集まるのでなかなか難しいです。義祖母が施設に入ってくれて少し楽になりましたが、義両親のダブル介護の時は、『2人とも早く死んでほしい』と思いました。まず、夫が無関心。私がこれだけやってもまるでひとごと。これが一番の問題です。手伝ってとか手を貸してとか言われれば快く手伝いますが、全部やれ! は無理です。しかも義家族からたった一度も感謝されたことがありません。感謝の言葉は大事です」

七瀬さんは義父の死後、パートで看護師の仕事を再開し、「看護師としてもう一度、バリバリ仕事をすることが夢です。取りたい資格もあります」と話す。

今は義母がデイサービスに行っている間などに、友達とランチをしたり、養子と過ごしたりする時間が癒やしだという。七瀬さんの堪忍袋の緒が切れるのはいつになるか。その時、義家族たちの慌てふためく様子を見てみたい気もする。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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