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0歳長男に"熱湯ミルク"を飲ませて悪びれぬ義母…新婚で60代義祖父母、40代義父母と同居した20代嫁の地獄

プレジデントオンライン / 2023年10月14日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/YsaL

憧れの新婚生活は、まさかの義祖父母と義両親との同居。平成・令和の時代に、あまりに古い考え方を押し付けてくる義家族の面々に20代の長男嫁は我慢を強いられる。夫もあまり頼りにならない。ある時、堪忍袋の緒が切れた嫁は、離婚届を残し、3人の子を連れて義実家を飛び出した――。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいる・いないに関係なく、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■義祖父母と義両親と同居

中国地方在住の七瀬信子さん(仮名・50代・既婚)は、金融系企業に勤める父親と、電気機器メーカーに勤める母親が21歳で知り合い、22歳で結婚。その翌年に産まれた。2歳下には妹が、5歳下には弟が産まれ、仲の良い家族だった。

やがて七瀬さんは、高校の看護科を卒業すると、高等学校の専攻科に進み、20歳で看護師になった。

19歳の頃、共通の友達の集まりで5歳上の金融系企業に勤める男性と知り合い、翌年結婚。幸せな結婚生活が始まるはずだったが、最初からつまずいた。

結婚したら夫家族と別居する話だったにもかかわらず、当時60代後半の義祖父母から猛反対に遭ってしまう。それならばと、義実家の400坪ある広大な敷地内の物置小屋をリフォームして住もうかと提案するも、「敷地内に家が2つもあるなんて世間体が悪い」とこれも拒まれた。

「きっと、自分たちは孫夫婦にも大切にされていると世間にアピールしたかったのだと思います。土地が義祖父の名義なので、義祖父母と義両親から反対されたら諦めるしかありませんでした……」

結局、夢見ていた新婚生活は、義実家で60代の義祖父母と、40代後半の義両親と完全同居になってしまった。

そんな中、七瀬さんは21歳で長男を出産し、22歳で長女を、24歳で次男を出産。看護師の仕事を続けることを希望していた七瀬さんは、出産後2カ月ほどで仕事に復帰した。いずれも夫は出産に立ち会い、子育てにも協力的だった。ミルクをあげたり、オムツの交換をしたりすることはもちろん、時々は洗濯もしてくれた。

義実家では義祖母が家事全般を取り仕切っていたため、七瀬さんは看護師の仕事に専念することができた。

■問題だらけの義実家

ところが、義実家での暮らしは良いことばかりではなかった。

まずは義祖父。七瀬さんが敷地内の小屋をリフォームして住みたいと言ったときから、七瀬さんを邪険に扱うようになった。

「『こんな立派な家があるのに何で文句があるんだ!』と言われました。(同居した家は)50坪くらいの大きさでしたが、部屋は足らないし、プライバシーもないような家でした。子どもたちがまだ赤ちゃんの頃、少しでも泣こうものなら、『何泣かせてんだ!』と皆が飛んで来るんです。赤ちゃんは泣くのが当たり前なんですがね……。それに、結婚して出ていった義弟は6畳の部屋、義妹は8畳の部屋があるのに、私たちはもともと夫の部屋だった8畳の部屋に子ども3人と夫の5人。タンスや子どものものを置くと寝るだけで精いっぱいでした」

それだけではなかった。一番上の長男が生後半年を過ぎた頃、義祖父母は長男を自分たちの寝室に連れて行ってしまうようになったのだ。長女が生まれると、長女も連れて行ってしまう。

「私が看護師の仕事に復帰した後も、子どもたちのことは義祖父母がわが子のように世話をしていました。私が保育園に預けると言ったら怒られました。私が休みの日でもお構いなしに連れて行ってしまうので、私は子どもが小さいときに、あまり子どもと一緒にいた記憶がありません。さすがに頭にきて、『自分の子どもは自分で育てるから』と、義祖父母から奪ってきたこともあります」

さらに義母がくせ者だった。義祖父母と義父は子どもたちをかわいがっていたが、義母は子どもが好きではないようだった。七瀬さんが夫から聞いた話によると、夫と義弟、義妹は、ほとんど義祖母に育てられたという。

「私が結婚して同居した頃は、義母は家の中で浮いた存在でした。掃除はできない、料理は作れない、天ぷらを揚げていてそのまま忘れ、火事になりそうになったことも数回あります。私は消防に連絡しなくてはと慌てましたが、その度に義祖母は落ち着いて分厚い座布団を天ぷら鍋の上に乗せて消火していました」

長男が生まれたばかりの頃、義母に「ミルクを飲ませてみたい」と言われたことがある。七瀬さんがお風呂に入れた後、義母が用意したミルクを義母が長男に飲ませた。

一口飲んだ長男は火が付いたように大泣きし、びっくりした七瀬さんは哺乳瓶を触った途端状況を理解した。触るのも熱いほどの熱湯ミルクだったのだ。

ミルクを飲んで、火が付いたように泣き出した赤ちゃん
写真=iStock.com/fcafotodigital
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fcafotodigital

すぐに病院に連れて行くと、医師からは「口の中や喉をやけどしているため、しばらくミルクは飲めません」と言われ、点滴でしのぐことになった。

長男が1歳くらいになった頃、義母は七瀬さんの見ていないところで、今度は勝手に長男に熱湯を飲ませた。またしても長男は火が付いたように大泣きし、七瀬さんが飛んでくると、義母は「間違ってやっちまった」と笑いながら言う。さすがに頭にきた七瀬さんは、「お義母さんが寝たきりになったら、熱湯飲ませてやるから!」と言って長男の処置にあたった。

「義母はわざとではなくて、確認不足。いわゆる、大人の発達障害なのかもしれません。だとしても、ヘラヘラ笑いながら謝りもしないことに怒りしかありませんでした……」

家事育児全般まるでダメだった義母は、農作業をするのは好きで毎晩暗くなるまで外で働き、義祖父を手伝っていた。義父はバスの運転手もしていた。

■堪忍袋の緒が切れる

一番上の長男が小学生になるタイミングで、七瀬さん夫婦は家を建てて出ていこうとしたが、義祖父をはじめ、義家族全員が反対。

「義祖父母の娘で義父の妹である義叔母は、自分でマンションを買って一人暮らしをしていて、義妹は長男に嫁いだのに義両親とは別居で、しかも義祖父母がマンションの代金をほとんど出してくれていました。それなのに、私たちだけ反対されることに納得がいきませんでした」

義実家を壊さなければ良いのかと思った七瀬さんは、敷地内に新しく家を建てることを提案したが、やはり義祖父に、「俺の目の黒いうちはお前の自由にはさせないからな!」と言われた。

長男である夫は、義祖父母や義両親から大事に育てられたのではなかったのか。

「いえ、誰よりも大事に育てられたようです。だから洗濯や育児はしてくれても、料理はしません。できません。私がいくらお願いしても義家族たちが反対したので無理でした。男子厨房へ入らず、です。私たちの長男に対しても義家族たちは、『お前はこの家の跡取りなんだから、ご飯茶碗を流しに運ばなくて良いんだ』と教えていました。長女と次男には言わず長男だけにでした。私は長男だからやらなくて良いなんて思わないので、同じように下膳させたら、義祖父に怒られました。納得いかなかった私は、『私の子なので余計なこと言わないでください!』と思いっきり反抗しました。義祖父は昔の人なので嫁が一家の長たる自分に逆らうなんて許せないみたいですね。義祖父にはすっかり嫌われていました」

子どもたちは自分たちの部屋を欲しがり始めた。しかし義実家内には空いている部屋はあるものの、「義弟と義妹の部屋だから使ってはだめだ」と言われ続けていた。

ついに七瀬さんの堪忍袋の緒が切れた。七瀬さんは離婚届を役所でもらい、自分の名前を書いて部屋に置き、子どもたち3人を連れて、同じ町内にある自分の実家に身を寄せる。

離婚届
写真=iStock.com/yuruphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yuruphoto

弟は事故で亡くなり、妹は嫁いでいたため、実家は50代の両親だけだった。子どもたちを両親に預け、七瀬さんはこれから子どもたちと暮らすアパートを探し、その日のうちに契約を済ませてきた。七瀬さん27歳、長男6歳、長女5歳、次男3歳の時だった。

■別居生活がスタート

その日の夜、仕事から帰宅した夫は、部屋に置かれた離婚届を発見し、すぐに七瀬さんの実家まで来て頭を下げた。

義祖父は夫がいない時を狙って七瀬さん本人に文句や嫌味を言っていたため、夫はそこまで七瀬さんが悩んでいるとは思っていなかったと言った。

七瀬さんは、「私は戻らない。どうするかはあなたが決めて。ついてきても良いけど、家に残るなら離婚する。選択は任せる」と夫に告げた。

七瀬さんと子どもたちは2週間ほど実家で暮らし、アパートの準備ができるとアパートに移った。そのタイミングで夫もアパートに来て、家族5人での暮らしが始まった。

「私はプライバシーがない生活に疲れ果てていました。子どもたちはきれいなアパートに引っ越しすることを喜んでいました。私は別居して初めて、自分で子育てしているという実感が湧きました……」

ところが、家族5人での平穏な生活は長くは続かなかった。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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