日本ランク2位でも年収は20万円…元プロ格闘家が告白する「キックボクシング業界」の厳しすぎる現実
プレジデントオンライン / 2024年1月23日 14時15分
■勝っても負けてもファイトマネーは3万円
YouTubeなどで格闘技系のコンテンツはとても人気がある。腕自慢の素人が「夢をつかむために、プロになりたい」と宣言するのも恒例だ。しかし、ほとんどの「プロ格闘家」の懐事情は厳しい。本稿では、筆者の友人で、日本ランキング2位の実績をもつ、プロキックボクサーの児嶋真人氏の例を紹介したい。
児嶋氏は、キックボクシング団体JAPAN KICKBOXING INNOVATION(以下INNOVATION)でプロデビューし、破竹の勢いで4連勝を飾った。その後Sフェザー級2位まで上り詰め、同階級のチャンピオンとは3度も対戦した。いずれも僅差の判定負けを喫したが、日本一になってもおかしくない実力の持ち主だった。
プロのキックボクサーの収入は「ファイトマネー」「手売りチケットの販売手数料」「スポンサー収入」の3つ。スポンサーを見つけられる選手はごくわずかで、主な収入減は2つになる。
■得られる報酬は年間で約20万円
ファイトマネーは、児嶋氏の所属団体の場合、3万~4万円ほど。通常の試合でもチャンピオンを決める大会でも、勝敗によるボーナスはなく、買っても負けても金額は変わらない。
チケットの販売手数料は、選手自身が手売りした分の40%をもらえる仕組みだ。チケット代は約7000円なので、1枚につき3000円ほどの収入になる。なお、一般客のチケット代は「運営費用に回す必要がある」とされ、選手の取り分はない。
チャンピオンを決める大会は1000名以上の観客が集まることもあるが、児嶋氏はどんなに頑張っても10~20枚ほどしか手売りできなかった。お金を払ってまで格闘技を観たいと思う知人は少なく、さらに児嶋氏は茨城出身なので、東京の試合に地元の友人を呼びにくかった。
50~100枚ほど手売りする選手もいるが、大半の選手は児嶋氏と同じくらいしか売れない。1試合の報酬は、ファイトマネーと合わせても多くて8万円ほどだ。
通常の試合はチャンピオンを決める大会より規模が小さいため、観客は200~400人。チケットは数枚しか手売りできない。ファイトマネーと合わせても報酬は4万~5万円だ。
プロのキックボクサーは年に3~4回の試合数が一般的なので、得られる収益は年間で約20万円。ジムへ支払うお金が年間12万円、プロライセンス更新が年間5000円かかるため、手元には数万円しか残らない。
■ランキングの6~8位が空位
なぜプロのキックボクサーはこれほど薄給なのか? その理由の一つに、団体数の多さが挙げられる。
「キックボクシングの団体は小さいものを含めると20を超えます。僕は2021年に現役を引退してからレフェリーを務めているので、この業界に10年身を置いています。それでも把握できないほどの数です」(児嶋氏、以下同)
団体数が多いことによる弊害は3つある。
1つ目は、選手が分散してしまうことで、選手のレベルが上がりにくいことだ。
児嶋氏はINNOVATIONのSフェザー級2位だったが、当時は6位、7位、8位が空位だった。ランキングに入る条件は、INNOVATIONが規定する試合数をこなしていること。つまり、その基準を満たした選手が、当時は1~5位、9~10位の7人しかいなかった。
20を超える団体の中でもINNOVATIONは主要団体なのだが、それでも基準をクリアしている選手は少ない。団体数が多いことによって選手が分散しているからだ。
ランキングに入りたくても入れない選手がたくさんいる状況に比べると、競技のレベルはどうしても上がりにくい。
■キックボクシングの団体数は20超
2つ目は、試合の面白みが薄れてしまうことだ。
キックボクシングの各団体が、毎週のようにあちこちで試合をおこなっているので、ファンが分散し、会場は閑散としてしまう。さらに、団体内で同階級の選手が少ないため、同じ相手と何度も対戦することもある。
そうなると選手もモチベーションを上げにくく、試合が面白くなくなってしまう。
3つ目はチャンピオンの価値が下がってしまうこと。
例えば、ボクシングの主要団体はWBA、WBC、IBF、WBOの4つだけだが、それでも、数が多い、チャンピオンの価値が下がるという声がある。団体数が20を超えるキックボクシングの場合は、なおさらだ。試合の価値はそのまま観客動員数につながる。
団体数が多いことによって生じる3つの弊害によって、固定ファンが付きにくい状況を生み出している。それがファイトマネーの低さにつながっているのだ。
■「稼げなくてもいい」
なぜ児嶋氏は、そんな薄給のキックボクシングでプロになろうと思ったのか。
キックボクシングと聞くと、K-1やRISE(ライズ)を思い浮かべる人も多いだろう。K-1は魔裟斗選手や武尊選手、RISEでは那須川天心選手をはじめとしたスター選手を輩出している。
「K-1やRISEに出られればファイトマネーは跳ね上がります。僕は出場したことがありませんが、聞いた話だとファイトマネーは10倍以上。トップ選手だと更に一桁変わってくるそうです」
児嶋氏は元々ダイエット目的で近所のジムに入会しただけなので、K-1やRISEへの出場はおろか、当初はプロになる気すらなかった。
しかし、初めてアマチュアの試合に出場したときに完敗して、悔しさのあまり強くなろうと決意する。そこから少しずつキックボクシングにハマっていったが、プロになってからもK-1やRISEへの出場を目指していたわけではなかった。
「ぼくはキックボクシングだけで生活したいとは思っていませんでした。というのも、リングに上がったときは、対戦相手と自分だけに観客の視線が向けられます。360度すべての方向から飛んでくる怒号のような歓声も、勝利したときに今までの苦しみが報われる感覚も、全てが非日常。『この感覚を味わえれば、これで稼げなくてもいいや』と思っていたのが正直なところです。同じように考えている選手は少なくないと思います」
■キックボクシングで生活できないのは当然
現役時代を思い出しながら児嶋氏は続ける。
「大半の現役選手には本業があります。ある意味で、キックボクシングは副業のような位置づけ。副業している人が必ずしも独立するわけではないですよね? それと同じ感覚で、本業とキックボクシングを切り分けている人は多い印象です。だからファイトマネーが低いことに対して、問題意識を持っている人が少ないのかもしれません。まさに僕がそうでした」
「キックボクシングを始めたころ、シャドーボクシングが下手過ぎて周りから笑われました」と児嶋氏は言う。自他ともに格闘センスがないことを認めていた。
それでも日本2位になれたのは、対戦オファーを断らなかったことが大きい。普通の選手が年間3~4試合ほどおこなうところを、児嶋氏は6試合こなした年もある。試合をした3週間後にまた試合をするという、格闘家としてはあり得ないスケジュールのときもあった。
「多くの選手は『まだ身体が回復していないから』という理由で、試合のオファーを辞退したことがあるはず。でも僕は一度も断ったことがありません。最終的には6年半も現役を続けましたが、当初は3~4年で引退しようと考えていました。だから短いスパンでどんどん試合をしたいなと思って、対戦を断らなかったんです」
■才能がないから続けられた
格闘技の世界は厳しい。周りがどんどん辞めていく中、児嶋氏はキックボクシングを続けた。それができたのは自分に才能がなかったからだと言う。才能のある選手は伸びしろも少ない。「ワンツーフックを打て」と言われたらすぐにできてしまうため、面白みを見いだしにくい。
児嶋氏は伸びしろだらけだったので、練習を経て「できるようになること」が多かった。だからモチベーションを上げやすかった。
「どんどん選手が辞めていくので、勝手に強い人がいなくなりました。僕は対戦オファーを断らないため実戦経験が豊富です。その経験の差を武器に勝利を積み上げられたので、僕のセンスでは到達できないSフェザー級2位まで辿り着けたと思います」
引退後の児嶋氏は、レフェリーとしてキックボクシング業界に携わりながら、豚革を取り扱うアパレルブランド「Sai」を立ち上げた。2022年にはクラウドファンディング「CAMPFIRE」を運営する会社から豚革の可能性が評価され、CAMPFIRE賞を受け、2023年には墨田区に常設店もオープンした。
■始めたときから引退後のことを考えた方がいい
「キックボクシングの経験は今の仕事にいきています。初めてジムに行ったときは周りから笑われて、全く相手にされませんでした。でも豚革事業は、誰も僕のことを知らない状況でも、アパレルグッズが置いてあるだけで『なんだろう~?』と足を止めてくれます。それだけで嬉しいと思えるのは、キックボクシングの経験があったからです」
一方で、反省すべき点もあると言う。
「もちろんキックボクシングをやっていたことに後悔は一切ありません。でもキックボクシング一本で食べていく気がないなら『もっと未来を考えておけ』と過去の自分に言いたいです。僕は運よく豚革事業を始められましたが、今思うともっと前からビジネスについて勉強しておくべきでした」
児嶋氏がキックボクシングを始めたのは2013年。豚革ブランドを立ち上げようと決めたのは2021年。あるオンラインサロンに入って、アパレルについて勉強したことがきっかけだ。それまでの間は特に何も考えずに、派遣会社に紹介された仕事をこなしたり、友人の職場で働いたりしていた。
「キックボクサーは、引退したあとの人生の方が遥かに長い。変な言い方になりますが、キックボクシングを始めたときから引退後のことを考えた方がいいと思います。『もっと練習に打ち込め!』と言われるかもしれませんが、練習しながらでも将来を考えることならできます。これは僕自身の反省から言えることです」
児嶋氏の現役時代の話を聞くと、プロ格闘家の大変さが分かる。本業が終わったあと、クタクタになりながら毎日ハードな練習をして、試合前には過酷な減量も待っている。まさに血のにじむような努力。それを知ってから、命を削る彼らの試合をもっと観たくなり、心から応援したいと思った。
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ライター
1985年生まれ、埼玉県出身。立教大学文学部日本文学科を卒業後、不動産会社へ就職。その後、人材紹介会社を経て、2016年に独立しライターの道へ。
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(ライター 中村 昌弘)
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