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なぜ英国は「Britain」なのに、英語は「English」なのか…「英語の語源」に秘められたヨーロッパの黒歴史

プレジデントオンライン / 2024年3月4日 7時15分

「フランス」の由来は「投槍」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Yoke Fong Moey

英語にはどんな由来があるのだろうか。元高校教師の清水建二さんは「英語はもともとアングロ・サクソン人が話していた言葉。アングロ・サクソン人の一つ、サクソン人の語源は『ナイフを持った人』で、戦闘的な民族だったことが示唆される」という――。

※本稿は、清水建二『英語は「語源×世界史」を知ると面白い』(青春出版社)の一部を再編集したものです。

■カール大帝が「ヨーロッパの父」と呼ばれる理由

ライン川の東岸にいたフランク人はゲルマン人の一派で、5世紀に北ガリア(現在の北フランス)に侵入し、481年にフランク王国を建国する。

ここからメロヴィング朝による支配が始まるが、フランク人はアタナシウス派と呼ばれる正統派キリスト教への改宗を通して、ローマ・カトリック教会との関係を深めながら急速に勢力を増していき、のちのカロリング朝が始まる751年まで続くことになる。

フランク王国の全盛期はカール大帝の時代で、800年にはローマ教皇レオ3世からローマ帝国皇帝の冠を授けられ、キリスト教的ゲルマン統一国家として、西ヨーロッパのほぼ全域を制圧し、「ヨーロッパの父」と呼ばれる。

■「フランス」の由来は「投槍」

カール大帝の死後、843年に中部フランク・西フランク(843~987年)・東フランク(843~911年)の3つに分裂し、870年には、中部フランクの一部が東西フランクに割譲される。これがのちのイタリア・フランス・ドイツの原型になる。

なお、カール大帝の「カール(Karl)」はドイツ語による名前で、フランス語では「シャルル(Charle)」や「シャルルマーニュ(Charlemagne)」、スペイン語では「カルロス(Carlos)」、英語では「チャールズ(Charles)」となる。

西フランク王国はカール2世(シャルル2世)が継承し、のちのフランスの原型となる。

「フランス」という国名は「フランク人(the Franks)」によるが、ゲルマン語源で、彼らが武器として好んで使用していた「投槍」に由来する。

■「フランチャイズ」は「フランク人」にルーツ

ゲルマン人による支配が続くフランスの言語がゲルマン系ではなくラテン系であるのは、ライン川より西のガリア地域は元々、ローマ帝国の領内にあったからである。

支配層であるゲルマン人の人口は少なく、ほとんどの人たちがラテン語の口語である古フランスを使っていたのだ。

フランク人が自由民であったことから、小文字でfrankと表記すれば「率直な」となる。

「フランチャイズ(franchise)」とは会社が個人や他の会社に与える「自由に販売する権利」や「自由に営業する権利」のことで、franchiseは「自由にさせる」が原義だ。

フランチャイズのイメージ
写真=iStock.com/Wipada Wipawin
「フランチャイズ」は「フランク人」にルーツ(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Wipada Wipawin

固有名詞のFrancis(フランシス)は「自由で高貴な」、Franklinは「槍を持つ人」や「自由民」、米国西海岸のサンフランシスコ(San Francisco)はキリスト教のフランシスコ修道会創始者「聖フランシスコ」の名前に由来する地名である。

■「フランクフルト」の語源は「浅瀬」

ライン川の支流であるマイン川の北岸にあるドイツの国際都市「フランクフルト(Frankfurt)」はフランク人に由来する。

カール大帝の頃、隣国アレマン族との戦争の際にザクセンを追われたフランク人がマイン川に行き当たり、行く手を塞(ふさ)がれ窮地に陥(おちい)っていた。

その時、1頭の鹿が川を渡っているのを見て、浅瀬があることを知り、そこを渡って難を逃れたという伝説に由来する地名である。

つまり、Frankfurtの語源は「フランク人が渡る浅瀬(furt)」だ。

現在でもドイツ語では、フランスのことを「フランク帝国」という意味の「フランクライヒ(Frankreich)」と呼ぶのに対して、フランス語ではドイツを指して「アレマン族の国」から「アルマーニュ(Allemagne)」と言うのが興味深い。

■神聖ローマ帝国皇帝が味わった「カノッサの屈辱」

東フランク王国は、911年にカロリング王朝が絶え、919年にザクセン人のハインリヒ1世が諸侯によって東フランク王に選出され、フランク人の王統が途絶えてしまう。これによって東フランク王国はドイツへと変わっていく。

ハインリヒ1世の息子オットー1世は962年に、ローマ帝国皇帝の冠を授けられ、初代神聖ローマ帝国の皇帝になる。

実質的にはドイツ王が神聖ローマ皇帝を兼ねることになった。

皇帝はカトリックの中心地であるイタリアを支配下に置いて、ローマで戴冠することを目指していたので、皇帝自身はドイツ本土にいない状態が続いた。

その結果、次第に有力諸侯が自立化して「ラント」と呼ばれる「領邦」が形成され、諸侯の領土が独立国のような存在となり、皇帝の支配がほとんど及ばない状態になっていった。

そこで皇帝は、教会の聖職者の任免権を持つことで諸侯に対抗しようとするが、ハインリッヒ4世の時に、聖職叙任権を巡ってローマ教皇グレゴリウス7世と対立するも、ローマ教会から破門されてしまうことになる。

サンピエトロ大聖堂
写真=iStock.com/font83
ローマ教会から破門されてしまう(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/font83

のちにハインリッヒはカノッサ城に滞在していた教皇に許しを請い、雪の降る城の門で3日間断食と祈りを続けた結果、ようやく破門を解かれた。

いわゆる「カノッサの屈辱(1077年)」である。

■選挙によって皇帝を選出した

これによって、皇帝よりも教皇の力の方が上であることが証明され、その後1254年~1273年までの約20年間、ドイツ人が帝位につかない「大空位時代」と呼ばれる期間が続く。

「大空位時代(Interregnum)」とは本来、王政ローマ時代に、王の死後、後継者が決まるまでの期間、「中間王(Interrex)」が任命されて統治する政治体制を表す言葉であった。そこで、諸侯たちは新たな皇帝を選挙で選出することになる。

■ハンガリー人の祖先はフン人ではない

パンノニアは現在はハンガリーと呼ばれている。Hungary(ハンガリー)の語源は、「フン人(the Huns)の土地」という説が有力であるが、現在のハンガリー人の祖先はフン人ではなく、9世紀に西進してきたウラル系遊牧騎馬民族のマジャール人である。

マジャール人(the Magyars)の原住地はウラル山脈の南西部であったと考えられている。6世紀頃に黒海北部でブルガール人と接触しながら9世紀にパンノニアの地に入り、10世紀には東フランクをはじめとする西ヨーロッパへの略奪遠征を繰り返すも、955年に東フランク・ザクセン朝のハインリヒ1世の子オットー1世とのレヒフェルトの戦いに破れ、パンノニアに戻ることを余儀なくされる。

その後、1000年に、イシュトヴァン1世の時にハンガリー王国を成立させる。

ちなみに、ヨーロッパの国でインド・ヨーロッパ語族に属さない言語にはハンガリー語、フィンランド語(語源は「湖沼の国」)、エストニア語、バスク語、マルタ語などがある。

■ブルガリアは「ボルガ川から来た人」

なお、ブルガール人は黒海とカスピ海の間に横たわるコーカサス山脈北部の草原地域に暮らすトルコ系の遊牧民であったが、4世紀後半頃、フン人に圧迫されて西に追われ、7世紀頃に黒海の北岸に国家を建設するも、さらにハザール人に圧迫されてドナウ川を渡り、先住の南スラブ人と同化しながらブルガリア王国を建国する。

これが今日、日本ではヨーグルトで知られるブルガリア共和国の基になる。

ヨーグルト
写真=iStock.com/kaorinne
ヨーグルトで知られるブルガリア共和国の基になる(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/kaorinne

Bulgaria(ブルガリア)はラテン語で「ボルガ川から来た人」が語源で、彼らが6世紀頃まで暮らしていたボルガの川岸に由来するという説と、彼らがトルコ系とスラブ系のミックスであることからアルタイ語族に属するチュルク諸語で「混合の」を表すbulgaに由来するという説がある。

■ヨーグルトの語源はトルコ語

チュルク諸語の代表的な言語がトルコ語である。yogurt(ヨーグルト)は「ヨウガート」と発音し、英語っぽくない発音をするが、これはトルコ語で「濃縮する」「濃厚にする」という意味のyogurtをそのまま英語に借入したものだ。

トルコ語のyogurtのgは軟音で、発音は英語のwの音に近く、「ヨウルト」のように聞こえる。

■英語は「アングロ・サクソン人が話していた言語」

アングロ・サクソン人とは、ユトランド半島とドイツ北岸のエルベ川下流域に居住していた、アングル人・サクソン人・ジュート人のゲルマン系3部族の総称である。

彼らは5世紀の中頃に、ブリテン島に侵攻し、先住民のケルト系ブリトン人を征服した。

アングル人という名称は、彼らが住むユトランド半島の海岸線沿いの地形が「釣り針(古英語でangel)」に似ていたことに由来し、「アングル人の住む土地」から「イングランド(England)」という国名が生まれた。

テムズ川に架かる橋とロンドンの青い空
写真=iStock.com/extravagantni
なぜ英国は「Britain」なのに、英語は「English」なのか(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/extravagantni

「英語」のEnglish(イングリッシュ)も「アングル人の話す言語」が語源だ。

一般に、英語の歴史はアングロ・サクソン人が話していた言語から始まる。サクソン人(the Saxons)の語源は「ナイフを持った兵士」で、彼らが戦闘的な民族であったことを示唆する語、ジュート人(the Jutes)は「ユトランド(Jutland)の住人」に由来する語である。

サクソン(Saxon)はドイツ語のザクセン(Sachsen)が訛(なま)った語であるが、ドイツ北岸のエルベ川下流域からホルシュタイン(Holstein)一帯に居住していた。

清水建二『英語は「語源×世界史」を知ると面白い』(青春出版社)
清水建二『英語は「語源×世界史」を知ると面白い』(青春出版社)

ホルシュタインはドイツ語読みだが、英語なら「ホルスタイン」で、日本でも家畜牛の一種で、乳量が多く代表的な乳牛として知られる。

語源はドイツ語の「森の住人」に由来する。ブリテン島には渡らずに、大陸に残ったザクセン人は6世紀初めにライン川一帯に勢力を広め、9世紀初めにフランク王国のカール大帝に征服されてサクソニアと呼ばれるようになり、ローマ・カトリックに改宗する。

844年、リウドルフィンガー家のリウドルフがザクセン諸部族をまとめてザクセン公となり、フランク王国内で力を持ち、919年にハインリヒ1世は東フランク王となってザクセン朝を開き、その息子が962年に西ローマ皇帝の称号を授けられ、初代の神聖ローマ皇帝オットー1世となるのは前述の通りだ。

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清水 建二 (しみず・けんじ)
元高校教師
1955年、東京都浅草生まれ。埼玉県立越谷北高校を卒業後、上智大学文学部英文学科に進む。卒業後、約40年にわたり高等学校で英語教員を務める。基礎から上級まで、わかりやすくユニークな教え方に定評があり、生徒たちからは「シミケン」の愛称で親しまれた。現在はKEN'S ENGLISH INSTITUTE代表として、英語教材の開発に従事。英語学習に関する著書多数。

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(元高校教師 清水 建二 )

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